Please Stand By(2017 アメリカ)
監督:ベン・リューイン
脚本:マイケル・ゴラムコ
製作:ララ・アラメディン、ダニエル・ダビッキ
音楽:エイトル・ペレイラ
撮影:ジェフリー・シンプソン
出演:ダコタ・ファニング、トニ・コレット、アリス・イヴ
①人を動かすフィクションの力
ウェンディは自閉症。ソーシャルワーカーのスコッティが支える施設で生活しています。
毎日同じルーティンを繰り返し、曜日ごとに着る服も決まっている。コミュニケーションを取ることが苦手で、人と目を合わせられない。
そんなウェンディですが、「スタートレック」についての知識なら誰にも負けません。スタートレックの脚本コンテストが行われることを知ったウェンディは、500ページの大作を書き上げます。
離れて暮らす姉オードリーと久しぶりに面会したウェンディは、興奮してかんしゃくを起こしてしまいます。寝込んでしまったウェンディは、今から郵送したのではコンテストの締切に間に合わないことに気づきます。
ウェンディは自分一人でロサンゼルスへ行って、パラマウントの本社に脚本を届けることを決意します。惑星連邦の制服を着た犬ピートとともに、ウェンディは明け方、施設を抜け出します…。
というあらすじを見ただけで、すごく面白そう。いろいろと興味深い要素が満載のストーリーだと思います。
真っ先に思うのは、これはフィクションが人に及ぼす力を描いた映画だということ。
僕たちは時に、映画やドラマなどのフィクションから、元気や勇気や前に進む力をもらうことができます。だからこそ、僕は映画をずっと見続けているわけで。
そこに焦点を当てた映画は、やっぱり響くものになることが多いと感じます。
最近では、「ブリグズビー・ベア」がそんな作品でした。
誘拐・監禁という辛い少年期を過ごした主人公が、大きなハンデを抱えたまま世間に放り出され、でもSFドラマ「ブリグズビー・ベア」を糧として、生きる力を取り戻していく物語。
80年代ポップカルチャーをテーマにした「レディ・プレイヤー1」もそんなテーマを含んでいたし、「ワンダー 君は太陽」でもハンデを抱えた少年の力になるのは「スター・ウォーズ」(特にチューバッカ)でしたね。
フィクションって、ともすれば「そこから出て、現実に目を向けなさい」なんて言われがちだけど、フィクションが現実に立ち向かう力になるんだということを、力強く描いていたと思います。
②自由になれるSFという表現
面白いのは、だいたいテーマになるのはSFであったり、古い特撮であったり。
一般には子供っぽいと思われていたり、オタク趣味と言われていたりする作品であることが多いということです。
そういった作品の代表と言えるのが、「スタートレック」であると言えます。
1966年のテレビシリーズから始まり、2018年現在もリブートされた映画シリーズと、ドラマシリーズ「スタートレック:ディスカバリー」が継続中です。
ちなみに、ウェンディが書いた脚本に登場するカークやスポックは、1966年のオリジナル・シリーズ(日本では「宇宙大作戦」)に登場するキャラクターです。1979年から1991年にかけて公開された劇場版にも登場しています。
キャストを一新して1987年に開始された「ネクスト・ジェネレーション」(日本では「新スタートレック」)が大ヒットしたので、スタートレックの人気キャラも一回様変わりしました。
パトリック・スチュワートのピカード艦長や、ブレント・スパイナーのアンドロイド・データたちです。
現在は再びカークやスポックを主役にしたリブート版映画が人気なので、オリジナルのキャラクターたちの方が有名になっていますね。
ウェンディがどういう世界観、時間軸で脚本を書いたのかは、映画からははっきりとは読み取れないですね。
長年続いているスタートレックの時間軸はかなりややこしいことになっているので…。
リブート版映画はオリジナルと同じキャラが主役なんですが、時間旅行者による過去改変があったので、パラレルワールドと言える時間軸になっています。
その一方で、現在配信されている「ディスカバリー」はほぼ同じ年代を舞台にしつつ、過去改変のない本来の時間軸の世界です。つまり、そのまま宇宙大作戦に繋がっていく世界が舞台。
ややこしいんですけど、だからこそ時間や空間に限定されない、自由な物語が作れる。
ウェンディの物語も、スポックがタイムスリップして、ディープスペースナインに行って、ウォーフを仲間にする…いろんな時間軸を交差するものになっています。
(ディープスペースナインは宇宙ステーションの名前で、新スタートレックに続いて1993年に始まったテレビシリーズの舞台です。ウォーフは新スタートレックとDS9に登場するクリンゴン人です)
こんなふうに、自由であることが、SFの魅力の一つであると言えますね。
地球の重力を離れて、太陽系すら簡単に飛び出して、ワープスピードで遥かな宇宙を駆け巡る。
場合によっては時間すらも超えて、取り返しのつかない過去さえも変えてしまったり。
想像力を駆使して、あらゆる地上の法則から自由になれる。それが、SFの特質です。
ただでさえ、現実世界は生きづらい。ハンデを抱えていなくても、何かと思うようにならない現実にはうんざりすることが多くて、だからこそ僕らはスタートレックのようなSFに惹きつけられるわけですが。
自閉症であり、毎日の生活の一つ一つの局面がとてもしんどい。現実との折り合いの悪さを常に抱えているウェンディにとっては、なおのことでしょう。
それが、ウェンディがスタートレックに夢中になり、自分で脚本を書こうと思う大きな理由であるのだと思います。
③スポックに見る理想の未来
スポックはバルカン人。とんがり耳とおかっぱ頭を特徴とする、スタートレックの代表的な異星人です。
バルカン人は論理を重んじ、感情を抑制することを美徳としています。
だからバルカン人は常に冷静であり、感情を表に出すことをしません。まるでコンピュータのように論理的に話し、冗談を理解せず笑顔も見せないのでロボットのように冷たく見えます。
カークは陽気で感情的な典型的アメリカ人なので、スポックとは度々衝突することになります。
感情を優先し、直情径行な選択をするカークの姿はスポックには非論理的で間違ったものに見えます。
一方で、スポックにはカークが当たり前だと思うような、他者に感情移入しての行動が理解できません。熱血漢のカークは度々「冷たい」「機械のようだ」とスポックを責め、スポックは自分の欠落を突きつけられて自信を揺らがせることになります。
つまり、スポックは感情に関して、問題を抱えているキャラクターなわけです。
このパターンのキャラクターはスタートレックではおなじみになっていて、例えば新スタートレックのデータも同様のキャラです。データはアンドロイドですからね。
ヴォイジャーというシリーズに登場するドクターに至っては更に進んで、ホログラムキャラクターです。
同じくヴォイジャーで途中からクルーになるセブンは、ボーグという機械宇宙人に同化された女性。ボーグには個人という概念がなく、セブンはクルーとの交流を通して少しずつ失っていた感情を取り戻していきます。
つまり、スタートレックは伝統的に、人間の感情の問題、特に感情を失ったり、理解できなかったりといった問題を抱えた人物を扱って、人間性とは何かという命題をあぶり出していく、そんな構造を持っています。
だから、これはまさに自閉症の人たちが日々感じている問題を扱っていると言えます。ウェンディがスポックを主人公に脚本を書くのは、だから必然なのです。
スタートレックの大きなポイントは、スポックがただ「あるべきものを欠いた人間」として描かれているわけではない、ということです。
感情を理解できないことを、欠点だとは描いていない。それは時にスポックを悩ませはするけれど、一方で誇るべきバルカン人の伝統的態度だし、尊重すべきスポックの個性です。
カークのような感情まかせの人間ばかりではエンタープライズはやっていけない。冷静なスポックの論理があって初めて、カークも活躍できる。そういう描かれ方をしています。
つまり、多様性の一つなんですね。
スポックだけではない。データにしても、セブンにしても同じです。
スタートレックには他にも多くの異星人が出てきて、考え方や習慣の違いゆえに様々なトラブルが起こります。時には戦争になって、激しい戦闘が描かれていくこともあります。
でもその根底には惑星連邦の理想があって、それは宇宙にあるあらゆる「違い」を、「多様性」として受け入れるというものなのです。
だから、ウェンディはただスポックを自分に似たものとして重ねて見ているだけじゃない。
スタートレックの未来世界でのスポックの扱われ方は、ウェンディにとって理想的な扱われ方。
スタートレックは、人と違う個性を持った人々にとって、理想的な未来を描いているのです。
④共通言語としてのスタートレック
SFの中でもスタートレックが特別なのは、やはり圧倒的にファンが多いということでしょう。
特に、熱狂的なファンが多い。トレッキーと呼ばれる人々です。
ファンが多いということは、スタートレックが共通の言語として機能する、ということです。
人づきあいが苦手なウェンディにとって、バイト先のシナモンロール屋で、同じ年頃の男の子たちと会話をするのは非常にしんどいことです。
別に相手に悪気がなくても、ただ当たり障りのない会話をするだけで、大変なストレスになってしまいます。
でもそんなバイト先でも、スタートレックのトリビアクイズで知識を披露することで、ウェンディは曲がりなりにも同僚たちと会話をすることができます。
つまり、スタートレックがコミュニケーションにも役立っている。
この構造は、映画の終わり近くでもう一度、とても印象的な形で出てくることになります。
バスからは放り出され、親切そうに見えたカップルには騙されてお金を奪われ、コンビニでも騙されそうになり、やっとの思いで辿り着いたロサンゼルス。
パラマウントを目前にしてウェンディは警官に見つけられるわけですが、その警官が偶然にもトレッキー仲間なんですね。
それも、クリンゴン語が喋れちゃう筋金入りの本物トレッキー。
この展開をご都合主義と言わせないだけの説得力が、スタートレックにならある、と感じさせます。
こんな人、実際にいそうなんですよね…クリンゴン語を話せる警官がどれほどいるかはよくわからないけど、少なくともスタートレックが大好きで、同じスタートレック好きに悪い奴はいないと考える人なら、たくさんいるだろうと思えます。
そこはやっぱり、スタートレックの理想的な未来の世界観を共有しているわけだから。
たとえコミュニケーションが苦手でも、スタートレックを介して人と人とが繋がれてしまう。それもまた、理想の未来と言えそうです。
⑤ダコタ・ファニングの魅力と音楽
スタートレックのことばかり書いて、ほとんど「500ページの夢の束」について書いてませんが。
でも、テンポよく、いやみもなくて気持ちのいい映画でしたよ。
ダコタ・ファニングもずっと子役のイメージでしたが、良かったです。すっかり感情移入して、応援する気持ちにさせられてしまいました。
感情を表に出さず、表情も乏しい設定です。伏し目がちの目の演技で、不安や恐れを見せていく。
難しい演技だったと思いますが、とても自然に演じていたと思います。
一つ個人的にグッと来たのは、公募原稿を送るドキドキ。
似たような経験のある人は、強く共感できるんじゃないでしょうか。
音楽も良かった。オー・ルヴォワール・シモーヌはデヴィッド・リンチもファンのバンドで、「ツインピークスThe Return」でも使用されていましたね。
ハンデを扱った映画の重みを、うまいこと軽く、明るい印象にしていたと思います。
音楽のポップさで、お涙ちょうだいのムードにならないのも良かったですね。
ダコタ・ファニングというと僕はこれを思い出します。宇宙戦争。
1966年のオリジナル・シリーズ、全3シーズンを収録したボックス。