私の父親は57才で他界した
私が28才の時の出来事だった
私は#不登校#高校中退#引きこもり#無職…と言う正に敗北人生
父は優しい人だったが真面目で厳格な考え方を持つ人間で#働かざる者喰うべからず!#誰のお陰で飯を喰えていると思っているんだ!…が口癖の様な人間だった!
だからこそ、たとえ私が#場面緘黙症で#苛めに合い#不登校になったことも#コミュ障で#高校を中退し、職場でも苛めに合い#引きこもり#無職でいたことも許せなかったのだと思う
#甘えている#弱すぎる…#いつまでもあると思うな親と金!…
贖罪の思いで家事。家の掃除や洗濯。食器洗い。犬の散歩をしていても父は「掃除の仕事をしろ!掃除だって仕事にすれば金になるんだ!」…
食事を作っていれば「調理師にでもなれ!家で料理をしても一円にもならないぞ!」
庭の掃除をすれば「造園業でもしろよ!」
私の贖罪の気持ちや悩みなどには全く耳を傾けてくれる人ではなかった!
そんな父が上司に騙されて会社をクビになり毎日うちに居る様になる
・・・すると散々バカにして来た私の家での仕事#家事を父親がする様になる!
私は自分が言われた言葉をそのまま親父に返してやりたかった!
やがて私はアルバイトだが#社会復帰を果たす!
・・・父は相変わらず#主夫で母が一日14時間も働く様になる
母の実家も貧乏で(叔父がダメ人間)仕送りをしていた事情もあるし弟が借りた車で交通事故を起こして母が号泣して「なんでこんなに頑張っているのにお金で苦労しなくちゃならないの!」…と悲痛な姿を見ていた私は父親に対して憎悪を燃やしていった!
父親は自分が無職になってからは母の実家の叔父に対しても!弟に対しても!なにも言わないことにもムカついていた!
俺のことは散々バカにしたくせに!
・・・ある日。毎日のことではあるが呑気にテレビに夢中になっている残念な親父がいた
その時点で私は親父ともう何年も話しをしない顔も合わせない関係だった
・・・私が仕事から帰ると、逃げる様に自分の部屋へ行く親父がその日に限って動かない!
呑気にテレビに向かって独り言を言っている親父に私は「お前は女房を毎日何十時間も働かせてなんとも思わないのか!散々人のことをバカにしやがって!テメーが会社をクビになったら散々バカにした俺のマネしか出来ねぇークズじゃね~か!恥ずかしくないのか?生きていて恥ずかしくないのか?死ね!俺が殺してやろうか!」
・・・その時父は小さく見えた!当時筋トレをしていた自分が本気で殴れば本当に逝ってしまうと思った!
幼い頃の優しかった父が脳裏を過る
父「自分の息子にそんなことを言われると思わなかったな!情けない!」
私「情けないのはこっちだ!これ以上俺を怒らせるな!早く部屋へ行け!」
父がその場を去ったので私は父殺しにならずに済んだ
その数年後に父は癌が見つかり半年で逝ってしまった!
父親と過ごした約30年の間の20年は話す機会も無かったと思う。
そして私が後悔していることはやはり「お前は死ね!俺が殺してやろうか!」…と言った言葉。
今にして思えば幼少期は優しかった父!
それを塗り潰したのは父が悪かったのか?自分が悪かったのか?
それは分からない。
57才で逝った父。
自分もそれ位で逝くのかと思っていたがその気配はない!
貯蓄のない自分にとっては長生きすることこそ恐怖だ!
私は自分の中では父親を殺めたと思っている
そんな悪夢を今でも見る
だから#コミュ障や#対人不安とは別に#反社会性!#人間嫌いが根付いている!
本当は優しい人間なんだけどね!
きっと父も優しい人間なんだったと思うよ!