2章三国時代の仏教美術-仏教の伝来と古代美術の開花 | 65歳の芸大生

65歳の芸大生

定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に編入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

インドに源を発する仏教は1世紀頃には中国に伝来し、中国の伝統文化と融合して新しい中国仏教として生まれ変わり、南北朝時代の動乱のなかで厚く信仰されました。中国各地に寺院や石窟が建立され、夥しい数の仏像がつくられました。やがて高句麗や百済、新羅にも仏教が伝来し、以前とはまったく次元の違う新しい宗教美術の世界が生まれました。本章では、三国に伝わった仏教が王権や民衆に受け入れられ、古代美術の主流となっていく過程をみていきます。 Movie1・・・高句麗の仏像 Movie2・・・百済の仏像 Movie3・・・新羅の仏像 Movie4・・・半跏思惟像 Movie5・・・「皇龍寺」と「弥勒寺」

高句麗は小獣林王二年に中国の前秦から仏教を輸入しました。百済の蓮洞里石仏坐像は光背の表現が法隆寺金堂釈迦像のそれに酷似し、百済と日本との密接な関係を示す好例です。新羅の仏教は法興王十三年に公認され興輪寺や皇龍寺などの国家規模の大寺院が建立されました。半跏思惟像は 韓国では地上に下生した弥勒菩薩像とみなされ、三国時代に流行しました。皇龍寺と弥勒寺は百済と新羅が総力を挙げて建立した大寺院です。