1章三国時代の墳墓美術-韓国古代美術の成立と展開 | 65歳の芸大生

65歳の芸大生

定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に編入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

はじめに古代韓国の成り立ちを概観しましょう。『三国遺事』に記された韓国の開国伝説によると、天帝・桓因の子の桓雄は風伯などの神々を率いて天から太伯山(現在の白頭山と推定)の神壇樹に降り、熊女と結婚して檀君が生まれ、その檀君が紀元前2333年に朝鮮を開いたと伝えられます。この朝鮮は、1392年に建国した朝鮮と区別して、古朝鮮と呼びならわしています。本章では、こうした古朝鮮の時代から三国時代にいたる韓国古代美術の成立についてみていきます。 Movie1・・・安岳三号墳 -現存最古の高句麗古墳壁画- Movie2・・・舞踊塚 -高句麗の都の古墳- Movie3・・・江西大墓 -高句麗古墳の四神図- Movie4・・・金冠塚金冠と天馬塚 -新羅の古墳- Movie5・・・武寧王陵 -6世紀の百済の古墳-

現存する最古の壁画古墳は高句麗時代の安岳三号墳です。舞踊塚は中国吉林省集安県にある5世紀中ごろの高句麗の壁画古墳です。洗練された四神図で有名な古墳は江西大墓で、6世紀後半から7世紀初期ごろの古墳では四神図が多くなり、墳墓の内部空間に対する認識の変化が見てとれます。百済第二十五代国王の陵である武寧王陵は中国で流行した塼築墳の形式です。