8章戦後の抽象-抽象表現主義と現代絵画の系譜 | 65歳の芸大生

65歳の芸大生

定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に編入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

この章の要点

1933年にドイツではヒトラー率いるナチス党が政権をとり、政治状況が緊張を強めると、多くの芸術家が活動の拠点となるヨーロッパの諸都市からの移動を余儀なくされました。とくに、40年のドイツ軍のフランス侵攻によるパリ陥落は、フランスのダダやシュルレアリスムなどの前衛的な芸術活動を担ってきた多くの作家たちがアメリカに亡命するきっかけとなりました。彼らヨーロッパの芸術家の流入は、ニューヨークを中心とする若いアメリカ人芸術家たちの活動に大きな影響を及ぼすことになります。 Movie1・・・抽象表現主義の台頭 Movie2・・・アクション・ペインティング Movie3・・・ポスト・ペインタリー・アブストラクションとハード・エッジ Movie4・・・イタリアの抽象 Movie5・・・ブラジルのアヴァンギャルド

 

1950年代前半から、当時のアメリカ絵画の流れを示す抽象表現主義という名称が定着しました。なかでもウィレム・デ・クーニングらが用いた激しい筆触ブラッシュ・ストロークは、絵画における激しい身振りを示すものとして注目されます。ジャクソン・ポロックが独自に行った、床に置いた画布の上から絵具を注ぐ技法はポーリングとして知られています。批評家のハロルド・ローゼンバーグはそうした傾向をアクションペインティングと名付けました。その後、そうした傾向に反するように、硬質で空間的な奥行を排除したハード・エッジも台頭します。