この章の要点
平安時代末期、12世紀には、たいへん優美な仏画が数多く制作されました。これを「院政期仏画」と称します。さまざまな彩色の工夫や、細緻な截金で装飾的に仕上げられた院政期仏画と、その余韻を残しながら新たな展開を見せる鎌倉時代前期までの仏画を、当時の仏教文化と合わせて見ていきます。
Movie1・・・高野山 《仏涅槃図》
Movie2・・・京都国立博物館 《十二天像》
Movie3・・・東京国立博物館《普賢菩薩像》と広島 持光寺《普賢延命像》
Movie4・・・高野山有志八幡講十八箇院 《阿弥陀聖衆来迎図》
Movie5・・・知恩院 《阿弥陀二十五菩薩来迎図》(早来迎)
応徳3年(1086年)の銘をもつ院政期を代表する仏画のひとつ高野山《仏涅槃図》は、この時代の特色である優美な色彩で描かれています。これは、絵具に白色を混ぜた具色という色彩を用いたり、白色顔料を多用したりすることで調和のある色相をつくり上げている効果によります。またその上に金色に輝く繊細な文様を截金で表し、一層優美な装飾性を高めています。一方、墨書銘が見つかったことで仁平3年(1153)の作とわかる広島・持光寺の《普賢延命菩薩像》は、金の装飾を全く使わず、強い暈取と動勢を感じさせる墨線などを用いた力強い表現で描かれた作品で、ここには鎌倉時代へと繋がる新しい様式の萌芽を見いだすこともできます。 平安時代後期から鎌倉時代には、浄土思想が高まった時代でもあります。これは、寛和元年(985年)に源信が著した『往生要集』の影響が大きかったと考えられます。この中で阿弥陀仏を一心に信じ念じ続けた人は、臨終のときに阿弥陀聖衆が迎えにくることが説かれます。また、臨終に際しては、阿弥陀の像から五色の糸を引き、往生者に持たせるといった臨終行儀が奨められました。このために平安後期以降、多くの来迎図が描かれるようになりましたが、なかでも日本独特の来迎図とされるものは、山並みの向こうに上半身を現した阿弥陀如来を描く《山越阿弥陀図》です。