7章和様化の過程-平安時代の仏像 | 65歳の芸大生

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定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に編入学しました。このブログが日々の学習内容の記録として活用しています。

この章の要点

平安時代前期にあたる9世紀から10世紀の仏像はそれまでの一木造の力強い作風がしだいに弱まり、仏像の和様化が徐々に進んでいきました。平安時代後期の11世紀になると、平等院鳳凰堂の《阿弥陀如来坐像》が示すように、仏師・定朝によって仏像の和様化が完成されます。また三十三間堂の千体の《千手観音立像》で知られるように、大規模な造寺造仏が行われました。本章では平安時代における仏像の流れを順に見ていきます。 Movie1・・・仁和寺 《阿弥陀三尊像》 Movie2・・・室生寺の仏像 Movie3・・・神像彫刻 薬師寺 《八幡三神坐像》 Movie4・・・定朝の仏像 平等院鳳凰堂 《阿弥陀如来坐像》 Movie5・・・九体阿弥陀堂 浄瑠璃寺 《阿弥陀如来坐像》

 

平安時代になると仏像の様式は徐々に和様化の道を歩み始めます。早期の作例では仁和寺《阿弥陀如来坐像》、醍醐寺《薬師如来坐像》などがあげられます。平安時代後期になると寄木造の技法を完成させた仏師の定朝が活躍しました。末法思想と浄土への強い憧憬を背景に、皇族や貴族たちにより大規模な造寺造仏が行われ、藤原道長が建立した法成寺の九体阿弥陀堂、千体の《千手観音像》を安置した三十三間堂などが建立されました。定朝以来の仏師の集団は、京都を拠点とした円派と院派に奈良仏師を加えた三グループに分派しました。