自分が何をすべきかはっきりとわかっていることはいいことだ。

とてもいいことだ。

でもその“すべきこと”以外の道はないのだろうか。

わたしの場合、いつもふらふらと地に足が着いていないように思う。

もしも風が吹いたら、ゆらゆらと飛ばされそうになるし、時々飛ばされたいと思うこともある。

でもわたしは今なんとかこの地に立っている。


永遠なんてのは夢だ。

幻想だ。

でも失望はしない。

むしろ希望を感じる。

永遠はわたしたちのずっとずっと遠くにある、でもだからこそわたしはそれに少しでも近づきたい。

近づけるために頑張りたい。

だから頑張れるのだ。

わたしという人間が他人にどうみられているのかはわからない。自分のことを客観的にみるのはむずかしい。実際どうみられているのかな。わたしは以前、そういうことをよく気にしていて時期があった。他人にばかにされないよう強くみせていたり、相手が近づかないように壁のようなものを作ったり。でも壁といっても、それはもろく、みせかけだけのものに過ぎなかったのだけど。そんなふうにして、ある時期を過ごした。でも最後に残ったのは、空しさだけだった。小さいけれど隠すには深すぎる自分という世界だけに、自身を押し込めておくのは死んでることと同義であることをわたしは知らなかった。わたしは既にそのなかを経験し、そこから出て行った。そして出る時にわたしはそこに鍵をつくった。そしてそれはいつでも開けて入れるようにしてある。小さく深いその世界は、時にわたしを大きな暗闇に包むけれど、それはわたしが生きていくうえで大事な居場所のひとつでもあるような気がする。わたしはこれからも時々はそこにノックし、そこの世界に顔をだしたいと思う。

ていうか、要は使い方なんだよね。さっきシャワー入りながらもくもくと考えてたんだけど、要は使い方ですよね。はい、わたしはバカです。


何事も、バランスですね。要領よく、ですね。


わたしにとってそれが一番難しいんだけれど・・・

わたしたちの周りにはあまりにもたくさんの情報があります。そのすべてを知ることはできません。だからといって、視野を狭く、とはいわないけどなんだかあまりにも多すぎてわたしはついていけません。ネットでなんでも調べられるし便利だし、実際自分も使ってるけど、なんかときどきバカみたいって思う。そんなに多くを知ってどうするんだよって。なんの役に立つんだよって。こんなのはひねくれた考えだとは思うけど、そう思わずにはいられない。とくに最近。


インターネットがなかった時代は、みんなどうやって生活していたんだろう。わたしがネットを使わないで生きていたときのことは忘れた。今はあって当たり前で、ないことなんて考えられない。ネットが出てきて本当に、ほんとうに便利になったけど、なんだかなぁ。今パソコンない人とかいるのかな?いたらきっと世間からは、「え~ないの?」みたいな感じでみられるのかな。


ネットが普及してなかった時代は、つまらなかったのだろうか。いや、絶対そんなことはなかったと思うな。ネットが全くない時代に一度いってみたい。どんな気分になるんだろうか。やっぱりネットは必要だーとか思うのかな。もうわたしはネットからは逃れられないのかな。別にそれでもかまわないけど。。。それでもわたしは一度ネットのまったくない生活をしてみたい。それも、ネットという存在を知らない状態で。


BUT,それは無理です。メールだけはしたいです。毎日。


はて?自分は一体なにが言いたいのでしょうか。さっぱりです。自分にも分かりません。


で、今日やばすなかわいさのワンピースを見つけてしまった。

わたしは普段ワンピース着ませんが、あれは着たい!


着たい!!


が、


高い!!!


やっぱりオゾンコミュニティは高い。


けど、その分生地とか、パターンとかがとてもステキ。かわいい。


欲しかったけど、本当に欲しかったけど、こんな身のわたしが買える値段ではない。


仕事はやくしたい。そしていますぐ買いたい。涙。。。

会いたい、今すぐに。

どこでもドアが欲しい。

自分がまさかニートになるとは思ってもいなかった。

絶対にそれだけは避けたいと思っていたけど、いざなってみると別にどってことない。

むしろなってよかったかも。

普段あまり読まない本になぜか没頭できてるし、なんか、平和です。

こんな時間、もう仕事始まったら絶対やってこない。

でもそんなことは大学時代に十分できただろうと思います。

でもその時はできなかった。

言い訳に聞こえるけど、ほんとに出来なかった。

人それぞれ、その人にあった、“その時”っていうのがあるんだろうと思いました。

みんな同じであるわけないと思う。

もう、自分は自分でいいやって思いました、ニートになって。

しかし、もちろん今就活しています。

こんなこと、いつまでもしてられないし、したくないし。

でも今、バイトも学校も、なんにもない時間が少しでも取ることができて良かった。

みんなからは遅れてるかもしれないけど、それはそれでいいかな。

甘えかもしれないけど、私はわたしでゆっくり生きたいと思います。




生きながら死んでいる人はたくさんいるように思える。少なくともわたしもある時期は、死んでるように生きていた。それは生に値しない生き方だった。それじゃあ今は素晴らしい生き方しているのかと聞かれると、そうとは言えない。でも、今は少なくとも私は生に対して以前よりポジティヴな感情を抱けている。

人は、肉体をもち、そして魂をもつ者しか"ほんとうに愛する"ことはできないのかもしれない。どちらかだけでは駄目なのだ。もちろん音楽や絵画も生きている。芸術は生きている。なぜならそれらは私たちに深い感動や喜びを与えてくれるものだから。しかし、それらに魂はあっても、肉体はない。人間は両方をもつことができる。


しかし、人間にも2つの種類に分けられる気がする。ひとつは、肉体と魂を両方もつ者。そしてふたつは、肉体しかもたないもの。人間なのだから、魂しかもたない者はいない。それは幽霊です。


これは恋愛小説。主人公は死んだ友人の彼女、直子と恋人関係になるが、そこに緑という新たな女性が現れる。主人公は心を閉ざし、深い傷を負った直子を、見返りを求めることなく深く愛した。その愛に嘘は全くなかった。しかし、緑という女性と出会い、彼女と過ごしていくうちに主人公は徐々に緑を愛していく。生への活力を失くした直子と、生を求める緑。死んでいるように生きる直子。生きているように生きる緑。彼女たちの決定的な違いは、魂をもつかどうかということだった。でも主人公は、直子も緑も心から愛していたのだ。最後にぽつんと取り残されてしまうような気持ちで終わるこの作品は、なんと言ったらいいのでしょうか。。。それは自分自身に聞いてみてください。

Love and Peaceということばがこれほど似合うカップルはほかにいない。Chapter1から5までで成り立つこの写真集だが、なんといってもChapter3はこの作品のなかで絶対にはずしてはならない章だ。


Chapter 3: Just Like Starting Over は、この世にこれほど美しいものがあったのかと思わざるを得ないほど、美しい。そこにエロな要素など全くない。純粋なLove and Peace だけがそこにはある。世界で一番大事なものは、それなのかもしれない。


この作品を出してくれて、ありがとう。