機  番:117号機

新  製:昭和32年3月13日

製  造:東芝

製造番号:東芝No.302401-3

新製配置:東京機関区

最終配置:宇都宮運転所

廃  車:昭和58年6月18日

 

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS15

前照灯:原型(ハチマキ状ケース無し)

尾灯:原型内バメ式

正面窓:小窓+Hゴム支持

Hゴム色:黒色

正面ヒサシ:小型

デフロスタ:無し

正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈

列車電話:無し

電源車制御装置:あり

元空気ダメ引き通し管:あり

スノープラウ:無し

ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ

汽笛カバー:無し

常磐線用列車無線:無し

乗務員ドア:原型

側面ハシゴ:原型

側面エアフィルター:改造鎧戸タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:EG

 

【改造履歴(抜粋)】

昭和35年 3月 9日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年3月18日に出場)

              車警(A)の取り付け。

昭和35年 7月22日~:臨時検修(施工は浜松工場で同年7月26日に出場)

              特急用特別塗色に塗り替え。

              電源車制御装置の取り付け。

昭和37年11月19日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年11月27日に出場)

              前面窓下に手すりと足台の取り付け。

昭和44年 2月 6日~:中間検査B(施工は広島工場で同年2月14日に出場)

              側面エアフィルターを鎧戸式に取り替え。

昭和47年 8月28日~:臨時検修(施工は広島工場で同年9月5日に出場)

              元空気ダメ引き通し管の取り付け。

昭和50年 9月23日~:臨時検修(施工は大宮工場で同年11月7日に出場)

              暖房装置を電気式に改造。

昭和52年 1月26日~:全般検査(施工は大宮工場で同年2月4日に出場)

              前面窓をHゴム支持に改造。

              ワイパーを強力型に取り替え。

昭和54年 1月18日~:要部検査(施工は大宮工場で同年1月29日に出場)

              デフロスタの取り付け。

 

 

【転配履歴】

昭和38年12月23日:宮原機関区

昭和39年 8月 9日:下関運転所

昭和39年 8月 9日:広島運転所に貸し出し

昭和39年 8月18日:下関運転所に返還

昭和44年 2月15日:広島機関区に貸し出し

昭和44年 2月20日:下関運転所に返還

昭和49年 4月23日:広島機関区

昭和50年 3月15日:宇都宮運転所

 

 

山陽本線姫路電化用と東北本線宇都宮電化用の早期落成車として東京機関区に新製配置された117号機は、20系寝台特急を牽引機に抜擢されて専用の改造を施します。20系牽引の任を解かれた後は宮原、下関と転々としますが、下関配置日にいきなり広島運転所へ貸し出されてしまいます。広島への貸し出しはもう1回あって、昭和49年に晴れて(?)広島に正式配置になるものの、山陽新幹線博多全通の昭和50年3月に宇都宮に転じ、ここが終の棲家となりました。下関時代に再度、20系牽引の機会が訪れ、元空気ダメ引き通し管の取り付けを行います。

 

 

 

昭和50年3月30日、鶯谷駅にて。

運転を開始したばかりの寝台特急「北星」。

運転開始当初の「北星」には、新聞輸送用のワサフ8000(8800番代)が上野寄りに連結されていました。

 

 

昭和52年頃、これは日暮里付近でしょうか?

これだけだと、急行なのか鈍行なのかは判別がムズいですが、ゴハチには旧客がよく映えています。

 

 

撮影日は不明だそうですが、前面窓がHゴム支持に改造されていますので、昭和52年以降の撮影と思われます。

ここは宇都宮運転所でしょうか?

エアフィルターのビニロックフィルター化とHゴム支持以外は切り欠きの無い側面ハシゴや内バメ式テールライトなど、原型を保っていました。

 

(以上3枚は、旧国鉄高崎第二機関区OBの方から、特別のご厚意で掲載させていただいています)

 

オフィシャルファンクラブ「Mako Mix」によると、先日お伝えした3月のライブに際して、FC先行予約があります。その日程が2月14日(土曜日)に決まりました。

1人2枚まで申し込みが可能なんですが、私、その日、仕事なんです。しかも、土曜日なので何時に(仕事が)終わるか皆目見当が付きません。まぁ、今週は祝日が挟みますので通常の土曜日より化は幾分、配達量は減ると思いますが、それだって厳しい現状が突きつけられます。

こういう時、誰かに「一緒にチケット、獲っておいて」と頼めるバディがいれば良いんですけど、意外にも私は「持ちつ持たれず」、「Win win」のファン仲間は多くありません。皆無に等しいです。 “一匹狼” ってこういう時は不便だよなぁ~。「早い者勝ち」となれば尚更。

 

一縷の望みを繋いで同僚に「金曜と土曜、シフトチェンジ出来ないかな?」と頼み込み、最初は「この日は何も無かったような・・。嫁さんに聞いてみます」という返答だったんですが、この段階で私は諦めました。「嫁さんに聞いてみる」で、(シフトチェンジ)OKだったという事例は1回もありません。案の定、夕方にその返事をもらいました。「てめぇが散々突発して、その穴埋めを誰がやっていると思ってんだいっ!?」っていう発言が喉仏まで出ましたが、堪えました。明日、ズブ濡れになって仕事をしな。

 

だからね、こういう「血で血を洗うような争奪戦は止めれ」って事ある度に自分が極悪人になって具申しているのに、真子サイドはあまり意に介していない様子。

 

色々と、弊愚ブログの「真子レポート」を楽しみにして下さってる方も少なくないのですが、そんな拙レポートを楽しみにして下さる方に対してこの場を借りて厚く御礼を申し上げます。でも、今回ばかりはダメかも・・・。

 

 

2月8日(日曜日) 雪のち曇り

 

金曜日。

長かった5連勤が終わりました。木曜日でもお伝えしましたが、選挙入場券の配達は思ったほど地獄ではなく、普通に帰れました。

 

 

これは2月3日に撮ったものですが、何とかムーンって言うんでしょ? 良い感じに明け方の国会前を照らしていました。

 

 

そして金曜日は「5連勤お疲れ様」とばかりに胃袋を満たしに行きました。変わり映えしないけど。

 

土曜日は池袋で人と会う約束をしていましたが、確か「夜から雪になる模様」って予報を出していた輩がいたでしょう。でも、朝からチラチラと舞っていました。おいおい、マジかよ?

帰宅後は特に家を出ず、「明日の投票、いこうかどうしようか」と考えながら床につきました。

 

そして今日。

 

 

朝起きて窓を開けたら、一面の銀世界。

背景は真っ白だけど、気持ちは真っ黒でした。東京でこんなに雪が降るなんて久々ですが、私的には2014年2月の大雪の方がフラッシュバックとしては強いです。

様子を見に外に出ると、結構サラサラの雪で軽い。降ってはいるけど路面に雪はありません。その調子で行きたくはなかったけど、投票に行きました。どの党もやだけど、消去法で選ぶしかありません。惨敗確定なんだけど致し方がありません。

投票後、NHKが出口調査をやっていましたが、私は声がかかりませんでした。かかったとしても、「教えない」って応えたと思います。出口調査は開票前に誰が当選したかが概ね判っちゃうじゃないですか。ネタバレみたいなものなので、それはそれで面白くないから、出口調査は廃止にすべきですよね。

 

さて、明日は仕事だけどやりたくないなぁ~。

雪は多分、幹線道路も路地も溶けてはいると思うけど、凍結が恐いですよね。チェーンを巻くか否かは会社が決めることだけど、晴れるのであれば、ワンチャン、ノーチェーンを考えています。恐いけど。

 

 

春の京阪神をゆく72/73系(以下、73系と一括りします)。

もはや “庶民の足” という意味合いの「下駄電」という呼び名は死語になり、73系の記憶も遠い彼方に消されていますが、彼らが戦後復興期から高度経済成長期にかけての通勤輸送を支えました。

 

昭和40年代に入って101系や103系が通勤輸送の主役に躍り出ると、必然的に旧型の居場所が無くなります。特に東京の山手線、京浜東北線、中央線、総武線、常磐線、大阪の京阪神緩行線、大阪環状線、阪和線といった線区に優先的に新型を投入し、そこで活躍していた旧型は他線区への異動を余儀なくされます。

昭和45年前後、前述の主要通勤線区では新性能化をほぼほぼ達成していましたが、京浜東北線や常磐線、京阪神緩行線といった線区ではまだ旧型が残っていました。まぁ、どの線区も予備車的に残っていた格好になりますが、京阪神緩行線に残っていた車両は別の意味で邪魔者扱いになります。

 

昭和45年10月から運転を開始した新快速は、大阪鉄道管理局の思惑とは裏腹に、複々線の内側線(電車線)を使う羽目になったというのは弊愚ブログでも度々お伝えしています。当時の新快速は京都を出ると次の停車駅は大阪で、その間ノンストップ。複々線の外側線(列車線)を走れば何ら問題は無いのですが、電車線には行く先々に各駅停車がのんびりと走っています。その度に新快速は速度を落とさざるを得なくなり、列車の遅延を引き起こしていました。当時の新快速が日中のみの運転だというのはそういう理由もありました。103系も必死に走っていますが、旧型はさらに速度が遅いため、後続列車の行く手を阻むというのは日常的なことでした。そんな旧型を誰が言ったか、「妖怪通せんぼジジィ」と形容していたとかいなかったとか(本来の「妖怪通せんぼジジィ」と形容されたのはF1ドライバーのルネ・アルヌーね。古舘伊知郎氏が発案者)。

 

新製や改造等々で様々なバリエーションが存在する73系ですが、東急3000系列(初代)同様、73系を事細かに分類出来る人は皆無のような気がします。「1両1両違う」説もあったりしましたからね。

画像に写っているクモハ73。クモハ73233だそうですが、これも改造で生まれ変わった車両で73系フリークには有名な近代化改造の試作車とのこと。

73系は63系からの改造であるのは有名ですが、種車の多くが戦中から終戦後しばらくにかけて製造されたもので、物資不足で粗悪な素材で製造せざるを得ない現実があって、終戦後も日本人同様、着の身着のまま、どうにか走らせているというのが実状でした。加えて昭和26年に発生した桜木町駅列車火災事故は木材を多用した車体や、三段窓が影響して多数の犠牲者が出たこともあって、63系の根本的な改善が求められます。先ず実施されたのが木造の車体を鋼体に挿げ替える「鋼体化改造」ですが、それでも車内の化粧や設備について新製車と見劣りの落差が激しかったため、計画的な車体強化と近代化改造を施工するべく、その試作車として昭和35年度から3両のクモハ73、2両のモハ72に対して実施しました。

 

実際の改造内容は、

① 車体外板の鋼板を鋼体の歪みや浮き上がりの多い1.6mm厚から2.3mm厚に張り替え。

② 腐食している側柱は全て取り替え、垂れ木は従来のものは全て撤去。

  新たに3.2mm厚の鋼板型押物の鉄垂れ木に挿げ替え。

③ 台枠枕梁は補強して、床にはキーストンプレートを張る。

④ キーストンプレートの上にはリノールを充填し、上面にはアロンフロアリングと呼ばれる

  床敷物を張る。

⑤ 車体屋根高さを新製電車の標準である3,654mmとする。

⑥ 屋根には1.6mm厚の鋼板を張り、その上に塩化ビニール布を張る。

⑦ 室内内部にはメラミンプラスチック化粧板を、天井板や内帯などの押面類には

  軽合金板を使用。

⑧ 前面窓と戸袋窓はHゴム支持。

⑨ 側引き戸は鋼製の新品に交換。

⑩ 室内灯は蛍光灯を使用。

etc・・・。

 

とかなり大がかりな改造になりましたが、これを叩き台にして翌年度から近代化改造が本格化します。

クモハ73233はモハ63579を改造・改番して昭和27年に登場しましたが、近代化改造(B)は昭和36年度に吹田工場で実施されました。側窓と妻窓の上下段の比率をA施工の1:2に対して1:1とした他、乗務員室扉は木製から鋼製に変更し、前面幕板上部の屋根布押さえが付いてません。

 

京阪神緩行線で活躍しているところから、配備は明石電車区か高槻電車区になろうかと思いますが、最終配置は淀川電車区で昭和51年に廃車されています。淀川電車区ということは、片町線が終の棲家になったということか・・・。

 

大阪環状線や阪和線が3扉化を断行したのに対し、JR京都線・神戸線(京阪神緩行線)は民営化後も4扉車を継続しており、後々の流れでJR学研都市線(片町線)やJR東西線、JR宝塚線(福知山線)の普通用車両も4扉を使っています。JRおおさか東線は最初こそ4扉の201系が使われていましたが、現在は221系に統一されているもようです。

次なる転機は207系や321系の老朽取り替えになろうかと思われますが、次世代のJR西日本通勤用車両は4扉でいくのか、3扉になるのか、注目されます。

 

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.938 (電気車研究会社 刊)

池袋駅はJR山手線、埼京線、湘南新宿ライン、そして西武池袋線、東武東上線、東京メトロ丸ノ内線、有楽町線、そして副都心線が乗り入れる大ターミナル。JRは事実上の中間駅で、池袋を起点としているのは西武池袋線、東武東上線、東京メトロ丸ノ内線の3線になります。「池袋から分かれる東京メトロ副都心線も池袋が起終点なのでは?」と思う方も少なくないのですが、戸籍上(路線上)の副都心線の起終点は小竹向原になるのだ草。私的には小竹向原-池袋間も有楽町線の中に含まれているので、副都心線の起終点は池袋だと思っているんですけどね。戸籍(法律)がそうだというのだから仕方がありません。

 

 

で、これです。

JR線上にある0キロポスト。言わずと知れた「その路線の起点」を示す標ですが、池袋においてJR線の起終点はありません。因みに、山手線の戸籍上(法で定められた路線上)の起終点は品川になります。そこから目黒、渋谷、新宿、池袋を経由して田端までを戸籍上の「山手線」として、田端-上野-東京間は東北本線、東京-新橋-品川間は東海道本線に属します。「んじゃ、埼京線と湘南新宿ラインは?」 と聞かれたら、即座に「山手線」と答えます。謎が謎を呼ぶ池袋駅の0キロポスト・・・。

 

んっ!? 待てよ?

この0キロポストはもしかして・・・赤羽線・・・?

民営化後、戸籍上の路線の扱いについて、どのような法改正が実施されたかは知らんけど、多分、そうでしょう。

つまり、その説が真説であれば、民営化後も赤羽線は存続していることになりますし、0キロポストは赤羽線の存在を確かなものにする証しです。

 

「埼京線」も「湘南新宿ライン」も正式な路線名ではなくて、あくまでも列車運転上の “愛称” となります。

埼京線の場合、川越-大宮間が川越線、大宮-武蔵浦和-北戸田-赤羽間が東北本線(別線)、そして赤羽-池袋間が赤羽線、池袋-新宿-渋谷-目黒-大崎間が山手線となります。湘南新宿ラインの大崎-西大井間は東海道本線(別線~蛇窪支線)となり、横須賀線の列車も通る品鶴線も戸籍上は東海道本線の一部とみなされています。

 

とは言うもののやはり、板橋駅も十条駅も「埼京線の駅」として認知されているのは確かです。でも、前述の論が真説であれば、板橋も十条も「埼京線の駅」ではなくて、「赤羽線の駅」となります。

1985年の埼京線開業までは、池袋-赤羽間を黄色い101系、後に103系がピストン輸送していて、利用者から「せめて新宿まで延伸してくれれば・・」と国鉄に具申していたとか。池袋でわざわざ乗り換えるんだったら、そのまま新宿まで行ってくれればこんな煩わしさは解消するのにと誰もが思います。でも、「親方日の丸」の国鉄は赤羽線の新宿延伸は首を縦に振りませんでした。実際に埼京線が開業しても池袋止まりだったし。いつも国鉄は利用者を敵に回していました。

 

その赤羽線も元はと言えば山手線でした。

1986年に放映されたドキュメント番組で山手線を取り上げた際、「山手線は品川を起点に渋谷、新宿、池袋を経て赤羽までを“山手線” と言う」的なナレーションが私の怒りの琴線に触れ、「山手線は品川-田端間を “山手線” と言うんだ」と心の中で反論したのを思い出します。でも、1972年まではそのナレーションの説明で間違いはありませんでした。「じゃあ、池袋-巣鴨-田端間は?」と聞かれたら、その区間は「豊島線」と呼称されていたそうです。

1972年って、半世紀以上前の話だけど、比較的最近の話でもあります。山手線の列車が赤羽まで行かないのを気づいた(?)国鉄が、1972年に正式に品川-田端間を「山手線」として、池袋-赤羽間を「赤羽線」としました。立場逆転ってやつね。

 

埼京線が誕生した経緯については、弊愚ブログで幾度か取り上げているのでここでは割愛しますが、東北・上越新幹線が無ければ存在しなかった路線でもあります。

 

重要性は重々解っているけど、でもやっぱり「埼京線」の路線名は “ダサイタマ” だよね。

もっと、シティーボーイ(それもダサい)風な路線名を考えられなかったか?

「東玉線」とか、「浦和線」とか、「さいたまんぞう線」とか・・・。

何か、昔のまま池袋-赤羽間も「山手線」でいけば、良かったかもしれません。

立憲民主党と公明党がわざわざ合併しなくても良いように、山手線と赤羽線が合併しなくても良いんだって思いました。

 

所有事業者:神姫バス(兵庫)

仕様・用途:都市間夜行高速路線仕様

           (高速「プリンセスロード」号仕様)

登録番号:姫路200 か 1621

社番:5430号車

配置:姫路営業所

初年度登録:2008年

シャシー製造:三菱ふそうトラック・バス

搭載機関:三菱6M70(T4)型

車体架装:三菱ふそうバス製造

車両型式:BKG-MS96JP

車名:三菱ふそうエアロクィーン・ハイウェイライナー

撮影日:2024年10月18日(金曜日)

撮影場所:姫路駅北口

 

 

2年前、姫路駅で撮りバスをしててその終盤、神姫バスのFCバスを待っていたら、目の前を夜行高速路線バス「プリンセスロード」号が通りました。「まだ、生き残っていたんだ・・・」というのが最初の感想。

 

三菱ふそうが与党という事で撮りバス黎明期から神姫バスの存在は知っていましたが、1989年に初の夜行高速路線バス「プリンセスロード」を運行するという情報が入り小躍りしました。しかも当時、時代の寵児になっていたエアロクィーン・Mを使うということで「いつかは撮りたい」と思いを馳せました。

 

運行開始当初の「プリンセスロード」は、分社化前、電鉄直轄時代の東急と共同運行を組んだのですが、神戸行きはJRバスの「ドリーム」号で具現化するものの、姫路へは初めての進出でした。東急の夜行高速路線バスはこの頃、酒田、出雲、和歌山・・と立て続けに路線を開設し、姫路もその一環になります。でも、その4路線で打ち止め。東急曰く「旨味がない」。東急には東急の考え方があったんだと思いますが、JRを始めとする大手のバス会社が手を染めない地域に高速路線バスを開設するところに東急のフロンティア精神を感じ取ったものでした。まぁ、東急に限らず、首都圏の電鉄系バス会社は、他社が考えつかないような場所を選びますよね。京急の弘前(ノクターン)や米子(キャメル)だったり、小田急の秋田(フローラ)や福山(エトワール・セト)だったり、逆に言えば、「かゆいところに手が届く」柔軟性が当時の高速路線バスにはありました。

 

話を「プリンセスロード」に戻します。

現行の「プリンセスロード」専用車は薄い青緑の車体に姫路城を描いたボディカラーになっていますが、初代のエアロクィーン・Mはもっと濃い青でした。そして腰部に黄色が配され、車体後方に姫路城を描くというデザインでした。やがて車両はエアロクィーン・MからMS8系エアロクィーンに置き換わりましたが、その時、現行のボディカラーに変更されたと推察します。

 

1998年には東急が撤退し、神姫単独の運行が続きましたが、2003年には新宿便が設定され、ここで京王バス(当時は京王バス東)が共同運行で参画し、久々に2社運行となりました。一応、渋谷便と新宿便は別系統扱いになっていましたが、2007年に一本化。兵庫側も加古川に寄ったり、その加古川停車を学園都市に変更したりと変遷を繰り返しています。

 

画像のMS9は2008年に導入され、当時の登録番号は「姫路200 か ・646」でした。

2015年には1台増車(QRG-MS96VP)されています。

 

東京で「しばらく見ないな、撤退したのかな」って思って調べたら、コロナで運行休止してて、その間だと思うんですが、2台とも神姫観光に移籍していました。コロナ禍にもかかわらず、貸切車になったのでしょうか?

コロナが収束に向かい、「プリンセスロード」の運行再開時に再び神姫バスに戻り現在に至る感じなんですが、私的には今も「プリンセスロード」が運行されているとは思いませんでした。

 

ところで、「プリンセスロード」の運行開始時、その名の由来は何かなってずっと思ってたんですが、よくよく考えると「Princess(姫)」 と「Road(路)」であることに気づき、思わず「アホかっ!?」って絶叫しました。35年以上前の話ですけどね。

 

 

【参考文献・引用】

バスラマインターナショナルNo.109、200

BUSRAMA EXPRESS10「三菱ふそうエアロクィーン&エアロエース」

(いずれもぽると出版社 刊)

ウィキペディア(神姫バス、プリンセスロード)

 

2月5日(木曜日) 晴れ

 

投票日までカウントダウンが始まっていますが、私の働き場所では今日、やっと入場券配布が終わりました。

「投票日まで間に合うのか」と不安要素ばかりが先走りしましたが、それは杞憂に終わりました。

でも皆さん、普通だったらやらなくてもいい選挙です。そんなんにムダな労力を強いられている現実を知って下さい。入場券配布だけじゃなくて、選挙に関わる全てのことが、今回に限って言えば「ムダ」以外の何者でもありませんし、首相と政権と自民党に振り回されっぱなしだというのを有権者は(投票の要素に)加味して欲しいですね。でも、自民の圧勝だと判ると、何ともやり切れない気持ちでいっぱいです。

2月4日(水曜日) 晴れ

 

昨日は節分、今日は立春と、少しずつではありますが春が近づいています。

 

話題にもしたくないけど、今度の日曜日は選挙の投票日。 “勝ち” が判っている選挙に投票してもムダだなと思いつつも、取り敢えずは投票所に行こうかなとは思っています。

そんな中、選挙戦の “台風の目” になるのでは? と少しだけ期待された中道何とか連合。立憲民主党と公明党が合体した新党ですが、今までの情勢を聞く限りでは、惨敗の様相を呈しているのだとか。

 

連合も何も言及はしないけど、何でよりによって組んだ相手が公明党なの?

これ、合体しなかった方が良かったんじゃない?

選挙協力という関係に留めて、立憲民主は立憲民主、公明は公明で戦った方が勝機はあったと思います。

これで選挙に負けて、「また元に戻ります」は通用しないし、双方の執行部の責任も追及されるでしょう。

 

だから、最初から「望まない結婚」はしない方がいいのです。

2月3日(火曜日) 晴れ

 

タイトルのまんまです。

あれこれ考えたけど、ネタが見つかりません。

世間を見回せば・・・まぁいいや。

 

そういえば、仕事が終わってロッカーで着替えていたら、後輩に聞かれました。

「出世するにはどうしたらいいんですか?」

私は答えました。

 

「簡単だよ。「忖度」、この二文字に限るね」

 

続けて

 

「今の出世の方法は、如何にして権力者の下に付くか、これが全て。マネージメント能力が長けていて、いざとなれば、自ら(仕事の)応援も買って出る、部下からの人望が厚い人、いるかい? いないよね。局長の言う事に「御意っ!」って言っていれば能力がなくても出世出来るのが今の常だよ」

 

と、夢のない話をしましたが、8~9割事実だと思います。

 

でも

 

「あいつ見てみなよ。何も言わなくても「何かやることある?」と聞きに来れば、率先して手伝いをする。助かっている奴がどれだけいるか。加えてマネージメント能力もずば抜けているし、あーゆー奴が出世しなければ(ゆくゆくはするんだけど)、世の中終わりよ」

 

と付け加えました。

こういう出世の裏事情は、何も郵政だけじゃないんでしょうね。一般の企業でも日常的なことでしょ。

そういうのとは関係無しに、実力且つ人望のある者が上席の座を狙える人事制度にして欲しいですね。

 

あれっ!? ネタ、あったじゃん。

2月2日(月曜日) 晴れ

 

早いものので2月ですが、世間的には選挙ですか?

皆さんの手元には投票に必要な投票所への入場券、届きましたか?

各自治体の選管はその入場券が印刷が間に合わないと、今になって入場券の配布を行っているようです。

私の配達先も明日から3日間の行程で入場券を配達しますが、やはり「間に合わない」という理由で昔ながらのハガキになります。つまり、「1世帯1通」が、「1人1通」というやり方。何時に配達、終わるのかな? しかも私は月~金の5連勤。入場券配達、全部被ります。

これだけでもムダな浪費だし、現政権に不信任ですよ。

下馬評だと、「自民と維新で300議席」って煽っているけど、そうならないように祈るばかりです。