今でも閲覧することは出来ると思いますが、ミュージシャンの藤井フミヤ氏がJR九州の古宮社長と対談する動画(JR九州公式チャンネル)をこないだ、ちょっとだけ観ました。

フミヤ氏が国鉄OBだというのは有名な話ですが、その対談の中でフミヤ氏の口から「操車場」「ブルートレイン」「さくら」・・といったワードが発せられるとは思いませんでした。「ブルートレイン」や「さくら」は鉄道ファンでなくても知っている単語ですけど、「操車場」はもしフミヤ氏が国鉄関係者でなければ間違いなく発することはないワード。

 

フミヤ氏は高校卒業後の昭和55年、国鉄に奉職し、門司鉄道管理局に配属、鳥栖駅での見習い期間を経て、早岐駅の構内係に従事。本業の傍らでバンド活動を行っており、昭和58年に国鉄を退職後、チェッカーズとしてデビューを果たしますが、その後の活躍は皆さんもよくご存じのこと。因みに、フミヤ氏の父親氏も国鉄に奉職しており、鳥栖駅長などを歴任した方。国鉄には政治家同様、そういった「世襲制」がありました。

早岐駅はスイッチバック方式の配線ゆえに、構内係ということは、列車の方転準備や機関車の付け替えなどを行っていたと推察されますし、フミヤ氏が奉職した当初の鳥栖駅では「みずほ」が熊本行きと長崎行きに分かれていたので、その作業もフミヤ氏はやっていたに違いありません。

 

 

JR九州は好きじゃないけど、フミヤ氏が奉職当初、活躍していた機関車にED73があります。

鹿児島本線電化に際して2つの機関車を用意しましたが、旅客列車用に蒸気暖房発生装置(SG)を備えたED72、貨物列車牽引用にSGを取っ払ったED73。運用的には分け隔てましたが、昭和43年、ED73に20系客車を牽引するチャンスが訪れ、20系牽引用に必要な装備を取り付ける改造を行いました、改造したという証しで元番号にプラス1000を足しました。

 

ED72とED73の “好い所取り” 的な仕様のED76が製造されたのは昭和40年ですが、それでもED72とED73は九州北部の “ヌシ” としてその地位を確固たるものにします。ED74やED75 300番代といった “外様” が押し寄せてもその地位は揺らぎませんでした。ED72も20系は牽引出来なかったものの、14系や24系といった新系列の寝台客車を牽く光景が時折、見られました。

 

昭和50年代に入ると、さしものED72とED73にも老朽化の兆しが見え始め、昭和51年にED72の1、2号機が廃車されると、堰を切ったように両機の廃車が加速し、昭和57年度までに全機が廃車の憂き目に遭います。そんな中、ED72の1号機は北九州市門司区内の公園に、ED73の1016号機は解体を免れて国鉄小倉工場で保管され、イベント時にその姿を見せていました。しかし、ED73 1016は平成18年に解体されてしまいますが、ED72 1は平成15年に開館した九州鉄道記念館に保存されて現在でも見ることが出来ます。

 

藤井フミヤ氏以外にも “国鉄OB” の著名人は数多おりますが、掻い摘まんで取り上げると・・・(敬称略)

 

伊藤敏博(歌手~「サヨナラ模様」のヒット曲で知られる)

今井雄太郎(元プロ野球選手)

三遊亭圓歌(落語家)

田中要次(俳優~国鉄最後の新規採用者として知られる)

野中広務(政治家)

ストロング金剛(プロレスラー~旧名ストロング小林)

etc...

 

歌手の郷ひろみ氏の父親氏も国鉄時代の東京駅長を務められた方だったりします。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

国鉄機関車~激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)

ウィキペディア(藤井フミヤ、日本国有鉄道、国鉄ED73形電気機関車など)

3月30日(月曜日) 晴れ時々曇り

 

今日は色々なことが錯綜しました。

出勤してロッカールームで着替えてたら、財布が無いのに気づきました。小銭入れならともかく、お札やカードなどが入った長財布なので焦りましたが、家に忘れたことが確認されてまずは一安心。去年のことを思い出したので、家にあるのが判っただけでも安心ですよ。その代わり、今日一日、何も出来ないですけどね。

 

始業間近、家族から「叔母が亡くなった」という第一報。

その段階では「葬儀等々はやらない」方針だそうで、通夜や告別式の日程は聞かされていませんでした。

でも、私は内心、「参列したい」と思っていました。仕事がサボれるから。

今の段階ではそれは叶わなさそう。

ウチに限らず、家族が亡くなっても通夜や告別式をやらない家庭が多い草。良いのか悪いのかは別として、真剣に「やらない」のであれば、こっちはお金の都合とか休みの都合とかが割愛されるので、不謹慎ながらも「ラッキー」っちゃあ、ラッキーです。でも、色々とお世話にもなったのは間違いないので、その辺をどうするかが今後の課題のような気がします。

 

今日は組合の会議があったので、そそくさと仕事を終わらせて上がりましたけど、その後で「懇親会をやる」と通達がありましたが、「財布を忘れた」ことを伝えると、タダ酒、タダ飯になりました。当然のことながら立て替えながらも払う気は満々でした。

帰宅して時計を見たら10時近く。明日も4時半起き。ちょっと考えないとな・・・。

 

明日は雨だそうですが、せめて仕事中は弱々しい降雨であって欲しいです。

 

 

3月29日(日曜日) 晴れ

 

3月、というより、令和7年度も終わりですね。

私的には金曜からの3連休が終わりましたが、明日から別の意味で憂鬱な日々が始まります。それはCMの後で。

 

先ず金曜日。

我らが石野真子さんのライブがありました。

表向きは大いに盛り上がったんですけど、私は別の意味でドン引きでした。真子ファンの皆さんは皆、優しいからそういうのは目を瞑って愛するアーティストを護ろうとするんだけど、私は愛するが故に、そのドン引きな行為が思いっきり気になっちゃうんですよね。普通のミュージシャン、アーティストなら考えられないですよ。でも、それを “暴露” しちゃうと炎上案件になりかねないのでここでは伏せますが、「愛する」「誹謗中傷じゃ無い」のであれば、「問題提起」ということで皆さんにも考えて欲しいとは思います。

 

 

その金曜日の、ここは原宿駅から続く表参道ですが、もいっかい言うけど、ド平日の真っ昼間ですよ。

にもかかわらず、この人だかり、何なのよ?

大阪の心斎橋から道頓堀にかけての商店街も凄かったけど、まぁ、「春休みだから」というのは百歩譲れるけど、土休日じゃないんです。

ただ、ここを通る人の7~8割は害国人だろうというのは想像に難しくありません。

 

土曜日は医者(眼科)で、終わると残りは自宅で引き籠もりました。

 

日曜日、つまり今日は川崎に用事があって、それが終わったらあとは自室で引き籠もりましたが、マラソンもない、大相撲もないだと、1日の過ごし方を変えなければなりません。

プロ野球が開幕したけど、今はなぁ、あまり興味を示さなくなったし、村神様がいなくなったヤ軍を私的にどうやって支持していこうってまず考えます。

それで思い出しましたが、ここんところ、ヤ軍のFCから郵便物がごっそりと届き、それをあるお宅に配達した際、ボソッと「今年のヤ軍は大丈夫でしょうか?」ってその配達先に言いました。すると、「郵便屋さんもヤクルトファンなの?」って聞かれたから「詳しくないけどずっとヤクル党ですよ」って返して、「村上がいなくなった後のスワローズはどうなっちゃうんだろうって」って、ある意味の “本音” をぶつけたら、「若手が台頭しているから大丈夫よ」って。私よりも数百段、解っている。つまり、村上選手の補強はいくらでもいると言いたいのでしょう。村上選手級のスターがいつまでも日本球界に残存ていたんじゃあ、後継者が育たないじゃんかっていう裏返しになりますよね。今のプロ野球はそういうシステムになっているのね・・・。

 

4月に、私のチームに “伝説のポンコツ” が入ってくるって聞きました。

人間的には真面目なんだけど、とにかく仕事が遅くて、いつも「いつ、(仕事を終えて)帰ってくるの?」という社員らしく、そのせいか、今まで追われ追われて10局ほど渡り歩いているらしい。

私も批判出来る立場じゃないけど、そんな社員とどう向き合えば良いのか、戦々恐々としていますし、その影響からか、胃が痛いです。

 

川崎に用事があっての帰り道、川崎で昼飯を食っても良かったんですけど、「そういえば、蒲田の家系の隣に煮干しラーメンの店があったよな・・」と、蒲田に向かいました。

今日は何処に行ったのでしょう・・・。

 

行った店・・・・麺屋にぼじ

場所・・・・・・大田区西蒲田7丁目(蒲田駅の近く~京浜東北線の線路沿い)

食ったもの・・・濃煮干しラーメン(味玉をトッピング)

         ご飯をつけて ¥1,280-

 

 

スープ・・・○

昨年行った家系の「三楽家」の隣にあります。

蒲田駅西口を降りて工学院方面に歩いた、京浜東北線の線路沿いにあります。つまり、「鉄ビューラーメン」ということになります。えっ!? 停まっているだけじゃつまんない?

昔は煮干しラーメンは嫌いだったけど、赤羽の「伊藤」を食った辺りから出会っちゃった様な気がして、そして加齢とともに動物系よりも魚介系スープを好むようになりました。だから「三楽家」に行った時、「次はこの “煮干し” にしよう」って思いました。

バリエーションが結構あるようですが、今回は初志貫徹でオーソドックスな煮干しラーメンにしようかと思ったのですが、その中でもちょい濃いめが良いかなと考え直し、“濃厚” にしました。

店内に入ると、最初だけ煮干しの香りがぷぅ~んとしました。それだけでも「ここ、もしかしてもしかしたらホンモノ?」って思ったくらいですから。

オーダーの際に「野菜は多め少なめ?」「脂の量は多め? 少なめ?」「ニンニクはあり? なし?」って聞かれました。「全部普通で、ニンニクは無しで」と答えましたが、どっかで聞いたことがあるような・・。あと、麺の量も聞かれましたが、150gにしました。

フードデリバリーからの注文を捌くのに手一杯で、なかなか私がオーダーしたものが供されませんでした。

 

始めの一口ぃ~

 

おぉっ! 良い感じの舌触り。「煮干しスープを飲んでいる」感じがしました。なんですが・・・

濃厚っちゃあ濃厚なんだけど、何て言いますか、時に「ガツンッ!」と殴られた感じ、そして時に「ポカッ!」と小突かれたというの繰り返し。即ち、ミオチクリンということ。あまり定まっていなかったですね。

 

よくできました。

 

 

麺・・・◎

前述のオーダー時、麺の量を聞かれまして、「150gで」って答えましたが、その際、麺の茹で加減をこちらから問いたところ、「 “麺固め” はやってません」と素っ気ない回答。この段階で評価を下げましたが、注文したラーメンが運ばれてビッ栗。麺はなかなかな極太麺で、啜ってみると、「麺固め」って言わなくても良い感じの茹で加減でした。こりゃたまげた。

 

たいへんよくできました。

 

 

チャーシュー・・・○

小振りで薄いチャーシューが2枚、乗っかってるだけでした。そういえば、「チャーシューメン」にしなかったです。

小振りで薄いながらも、食感は良く、後味の悪さもありません。この手のチャーシューとしては上出来だと思います。

 

よくできました。

 

 

玉子・・・◎

白身の弾力感と黄身の熟し加減は文句ないんですが、その黄身がちょっとしょっぱかったですね。こんな過剰に味玉をアピールしているのは久々のような気がします。もうちょっとしょっぱめを抑えれば、満場一致で “S◎” でしたね。

それでも

 

たいへんよくできました。

 

総合評価・・A2

 

さっきのオーダー時、ヤサイとアブラの量を聞かれた時、「どっかで聞いたことがある」ってお伝えしましたが、食い終わって店を出る時、「あっ! 「二郎」だ」って今更ながら思い出しました。さらに別のお客様が「マシマシ」って言ってたな。店名も「にぼじ」だし、煮干しと二郎のコラボ店だったのね。

ここ最近、「二郎」はそれこそ齢の影響で遠慮していますが、今日はそんなんでもありませんでした。それも評価を上げる一因なのかもしれませんね。

 

 

ごちそうさまでした・・・

 

 

所有事業者:大阪名鉄観光バス(大阪)

仕様・用途:観光貸切仕様

愛称:Venus302

登録番号:大阪22 あ 5891

シャシー製造:三菱自動車工業

搭載機関:三菱8DC9型

車体架装:三菱自工名古屋

車両型式:P-MS725S

車名:三菱ふそうエアロバス

撮影日:1988年5月29日(日曜日)

撮影場所:浜松町バスターミナル

 

初めて撮りバスをした際に撮った1枚。

撮影も佳境に入り、この日のメインである夜行高速路線バス「ノクターン」を撮るため、出発場所である浜松町バスターミナルで「ノクターン」を待っている時に撮りました。

 

名鉄が大阪での営業を容易くするため、1968年に設立したのが大阪名鉄観光バス。

経営的には堅調でしたが、転機が訪れるのは2000年代。名古屋阪神観光バス、和歌山南海観光バス、東京近鉄観光バスなどと共に悪名高き某人材派遣会社に乗っ取られ、「クリスタル観光バス」と商号を変更しました。その後、別の悪名な某人材派遣会社が親会社を乗っ取り、傘下にあった貸切事業者の親会社が変わりますが、現在はグループから離脱、大阪バスグループに救済されて「近畿観光バス」と商号を変えて今も残存はしています。

 

最後まで年式は判りませんでしたが、登録ナンバーから1985~1986年頃に導入されたものではないかと推測します。

型的には何処にでもあるようなMS7エアロバスの標準スタイルで、乗降扉はスイングドア、窓は上部が開閉するいわゆる「逆T窓」、サスペンションは前輪独立懸架なので型式はMS725になります。スイングドアを採用しているところが些か豪華さを強調しているようにも見えますが、「Venus」というグレードがどの程度のホスピタリティなのか知りたいですね。

 

社名としての大阪名鉄観光バスも浜松町バスターミナルも “今は無き” になりますが、毎度申し上げるように、1980年代後半はバス業界も潤っていましたし、行き交う車も多種多様で良い時代にバスを撮ったなと思います。自身の偏屈な拘りが無ければもっとライブラリーは多くなってましたね。

 

 

【参考文献・引用】

ウィキペディア(クリスタル観光バス)

 

ここは上野駅。

我々の世代の「上野駅あるある」的な日常の光景です。

東京駅在来線の主役がブルートレインで脇役が113系だとすると、上野駅の主役は電車特急で脇役は115系になります。両駅に入線していた急行は準主役ってところでしょうか。

まだ新幹線が開業してなく、航空機網も高嶺の花だった昭和50年代前半において、東京対東北・北海道の輸送シェアは鉄道、特に国鉄が圧倒的に掌握しており、東京方のターミナルである上野駅には特急や急行といった優等列車が踵を接して出入りしていて、それを掻い潜る形で115系や401系(一括りに扱います)を使った普通列車が設定されていました。

 

489系特急「白山」のヘッドマークがイラスト入りになる前の文字のみのマークになりますので、昭和53年10月改正以前に撮影されたものであるのは判りますが、いつ撮られたものなんでしょう?

手掛かりになるのは115系の列車番号。「887M」と読めます。そこから手繰り寄せます。

800番台の列車は高崎線の列車になります(東北本線は500番台で、常磐線は400番台)。で、「887M」なんですけど、該当列車がありません。似たような番号を持つので「1887M」という列車が存在しますが、上野を18時50分に発車する籠原行きの列車で5番線から発車するので、却下となります。

画像を見る限り、乗客は半袖なので夏場だというのは判りますが、いくら夏場とはいえ、夜の7時前はこんなに明るくありませんし、何よりもその時間帯に「白山」は運転されていません(上り「白山」の最終は19時50分に上野に着く3号だから余計)。

 

次に「白山」。

53.10改正前、「白山」は3往復が設定されていましたが、8番線から発車するのは14時34分に発車する「下り3号」のみ。同じ時間帯で9番線に陣取る普通列車は14時20分発前橋行きの853Mが該当しますので、画像的には辻褄が合いますが、やはり115系の列車番号が気になります。その853Mは14時02分にとうちゃこする874M(前橋発)の折り返し列車です。

発車するホームから「下り白山3号」、隣の普通列車は853Mで決定づけても良いと思うんですが、53.10改正以前の大規模改正である50.3改正前でも同じようなダイヤだったので、このスジは変わらなかったのでしょう。

 

謎を残してこの調査は終了することになりますが、「何で115系のホーム側じゃないドアが開いてるの?」と疑問に思う方も多いかと思います。今はそれが無いけど、上野駅と東京駅で普通列車が折り返す僅かな時間を使って列車の清掃が行われていました。

以前にも弊愚ブログで取り上げたことがありましたが、折り返し時間を利用した清掃は新幹線のようなシートカバーを取り替えたり、シートに備えられたテーブルを拭き拭きする大がかりなものではなくて、座席や網棚といった車内に残された落とし物をかき集め、大きなゴミを拾うのが主な使命。そしてもう一つ大きな仕事として「サボの取り替え」があります。例えば、画像の853Mの前身は前橋発上野行きで、折り返しも前橋行きですから、この列車ではサボの取り替えは発生しませんが、次の列車が高崎行きだったり、籠原行きだったりするとサボを取り替えなければなりません。「前橋⇔上野」の裏面が「高崎⇔上野」や「籠原⇔上野」ならひっくり返せば作業は終了ですが、そうじゃない場合は「前橋⇔上野」のサボを外して「高崎⇔上野」、あるいは「籠原⇔上野」が印字されたサボに取り替える必要があります。それが重労働。1枚ならともかく、7両とか11両とかだと結構な作業時間を要します。しかも両サイドその作業が発生します。当然、一人でやるのではなくて、2~3人でやる作業だと思われますが、板サボが巻き取り式方向幕に変わった時、作業スタッフはサボの取り替えが無くなったことを喜んだに違いありません。ただ、東海道線東京口、東北本線上野口、高崎線、そして常磐線に関しては国鉄末期から民営化にかけて巻き取り式方向幕に切り替わったため、国鉄時代はこのような作業を連日連夜実施していました。

 

ホーム側じゃないドアを開けて各種作業を行っていたのも「国鉄の風物詩」になります。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1974年1月号、1978年8月号(日本交通公社 刊)

絶望的だったのが奇跡的に参加することになった今回の真子ライブ。

いつもそうなんですけど、今回も大盛り上がりで、Z世代にも喜ばれた公演をお伝えします。

 

先月14日、一般発売を前にFC先行予約があったのですが、その日、私は仕事でした。色々と策を講じてみましたが、自力での申し込みが不可能だというのが判り、この段階で私は諦めましたが、一縷の望みで真子友に申し込みを依頼。すると、1人はダメだったんですが、もう1人は「昼夜両方獲れた」という報告を受けて、絶望から一転、歓喜に包まれました。しかし、私はいつものように素直には喜べませんでした。やはり「FC会員がFC先行予約で落選する」という事態が私には受け入れられないから。他の大物アーティストでは「そんなの珍しいことではない」と一蹴されそうですが、でも行きたいのに落選したFC会員の立場になって考えた時、「珍しいことではない」では済まされないような気がします。

 

そうは言っても、「(ライブに)行ける、(真子さんに)逢える」というのはやっぱり嬉しいですし、行く以上は行けない人の分まで盛り上げないとという気持ちにもなります。それで今日、行ってきました。それにしても、平日の真っ昼間によく皆、休みを入れられたなと感心するばかり。

 

今回の公演は少しだけ違いがあれど、内容的には一部二部ほぼほぼ同じだったので、まとめてレポートさせていただきます。

原宿「ラ・ドンナ」でやるのは今回で3回目。暇つぶしにキャパを調べたら100席無いようで、やはりキャパの広い会場での開催を切に願います。きっと、それ以上のキャパシティを持つ会場、土、日開催であれば尚更、お金の問題が発生するようで(あくまでも噂ね)、予算内で何とか収まるのが「ラ・ドンナ」なんでしょう。ただ、年度末のサラリーマンはなかなか休みが取りづらく、いくら「真子さんのため」とは申せ、そこらへんも考えて欲しいなとも思います。

 

そうそう、ここは「1ドリンク、1フード」をオーダーするのが表向きの決まり事になっていますが、私達はシカト。「注文してもなかなか商品が供されない」「いくら物価高とはいえ高価過ぎる」「味は及第点スレスレかそれ以下」となれば、オーダーしなくても・・と結論づけましたが、チケットを獲ってくれた人の「小腹が空いた」の一言に私も乗ることになりました。その先のことも考えて私はウーロン茶をオーダーしました。

 

第一部の開場は12時と早めですが、飲食の時間を鑑みての時間だと思われます。でも普段から「呑み食いは要らない」「呑み食いの時間があるんだったら、早く真子さんの姿を見たい、早く真子さんの歌を聴きたい」が私の主張。そうしないと収益というか、利益を生み出せないのでしょうか?

 

 

 

画像は私の座席。

1枚目が第一部、2枚目が第二部になります。

特に第二部は前から2列目、真子さんを目の当たりに観れました。

 

二部のみの傘下になりますが、せんだみつお氏がほいけんたという芸人を連れて久々に姿を見せました。

私はほいけんた氏が誰なんだか全然知らないのですが、ものまねをやる人だそうです。「キンタロー。や古賀シュウなら知っているけど・・」という次元は時代遅れだ草。

そういえば、ほいけんた氏は以前にもせんださんに連れられて来ていましたね。

せんださん、齢のせいかどうかは知らんけど、結構ほっそりしちゃって、まじまじ見ないと誰なんだか判らないというくらい、痩せてました。体調不良の影響で痩せてなければいいんですが、でも、サービス精神は相変わらず。せんださんはやはり良い人です。

 

それと冒頭、「Z世代にも喜ばれた」と記しましたが、最近、真子ライブにはヤングジェネレーションの姿がチラホラ散見されるようになりました。後期高齢化(超失礼っ!)している真子ファンの低年齢化は喜ばしい限りですが、今回も20代の女子学生二人が参加してて「何処から来たの?」と助平根性丸出しで聞いたら、何と高知からだって。しかも公演中に彼女たちをチラホラ助平根性丸出しで見たら、歌を口ずさんでいるじゃないですか。うわぁ~、結構、ホンモノかも。

他の元アイドルも観るらしいのですが、ここは助平根性丸出しで調教して、 “真子一筋” にせにゃあ。

 

13時30分、会場が暗くなり、今回は “One Night” じゃありませんね。

“One Day Dream” が始まりました。

 

では、お待たせしました。今回のセットリストです。

 

①:LIfe is beautiful

②:My Friend! ~旅に出よう~

③:春ラ!ラ!ラ!

④:恋のジョギング

⑤:恋人たち

⑥:失恋記念日

⑦:思いっきりサンバ

⑧:フォギー・レイン

⑨:恋のハッピー・デート

⑩:彼が初恋

⑪:プリティー・プリティー

⑫:めまい

⑬:ジュリーがライバル

⑭:ワンダー・ブギ

⑮:彩りの季節(とき)

⑯:恋のサマーダンス

⑰:ハートで勝負

⑱:日曜日はストレンジャー

E1:わたしの首領

E2:狼なんか怖くない

 

このセトリは一部二部同じで、二部での曲変更はありませんでした。それは極めて残念です。

今回は真子さん、調子が良かったようで、「フォギー・レイン」は真子歌の中でも一、二を争うハイトーンナンバーなんだけど、それが歌えているのだから、喉の調子は良い証し。

「恋のジョギング」は、「春ラ!ラ!ラ!」のカップリング曲ですが、初登場と思いきや、結構歌っていました。

 

「恋人たち」は1981年にリリースされたアルバム「TWENTY」に収録されているナンバーで、リクエストに応えたものだ草。そして、「片思いで失恋してしまう」という内容の歌だというのを初めて知りました。イントロで曲を当てるのは自身があるけど、きちんと内容まで読み込んで聴いていない証しになります。

「片思いで失恋してしまう」・・それで「失恋記念日」を「恋のジョギング」の次に持ってきたんだ。

「恋人たち」は今回初登場になりますが、複数の真子友が「「恋人たち」って演ったことあったっけ?」「もはねに聞けば判るのでは?」というやり取りがあったらしいです。アイドル時代は知らんけど、音楽活動再開後では「恋人たち」を演った記録はありません。

 

「失恋記念日」を終えて、順不同ながら「ありがとう!新人賞!「ありがとう!17歳」と叫ぶ真子さん。そうでしたね、“失恋記念日」で、レコード大賞新人賞を獲ったんですよね。そこから「デビュー48周年」に繋げていました。二部ですけど、私が「あと2年で50周年ですよ」というと、「50周年なんて考えられなかった」と真子さんも言っていました。確かにアイドル時代の人生設計が順調に進んでいたとしたら、真子さんの芸能時計は1981年8月で止まる筈でしたからね。

 

前述の「フォギー・レイン」では、サビの「ライライライライ・・」の一節をオーディエンスにマイクを向けて煽るという一幕がありました。初めての試みでしたが、皆で歌いました。

 

いつも歌詞を間違える「恋のハッピーデート」ですが、今回は間違えなかったなぁ~。

そういえば、「思いっきりサンバ」「彩りの季節」では組織が手探り間隔でコールをしていましたけど、吉祥寺の「Living Live」を思い出しました。(コールを)やって良いのかどうか判らなくてそろりそろりとコールしたら、真子さんが歌えなくなってキレ気味になったことがありましたよね。因みに音楽活動再開後の楽曲は別として、アイドル時代の楽曲には全てコールがあるのは知っていました。

 

二部でのこと。

今回グッズの仲間入りを果たしたアクリルスタンドですが、元々、1月に行われた「バースデーファンミ」でジャンケンに勝った人が貰えた限定アイテムでしたよね。高評だったのでしょう、今回のライブで販売されました。でも、ファンミのバージョンとは異なります。

新たにデザインとして採用されたのが「ギターを持つ真子さん」なんですが、そういえばここ最近、真子さんはギターを抱えて演る姿を見ません。「ここんところ、全然弾いていない」と素直に認めたので、「今度、ライブをやるときは全曲、ギターで」と私が促すと、ほぼ瞬殺で「ムリムリムリムリ!」って返されてしまいました。バンド編成にしないのであれば、ギターで弾き語りも悪くないと思うんですけどね。せっかく2本も作ったのに、手入れをしなければネックが曲がったり、ボディが歪んだりしちゃいますよ。

 

アンコールに応えた真子さんですが、一部二部双方で涙腺が破裂していて、特に二部のアンコールは修正不可能状態になっていました。それでも、観客の手を借りることなく歌いきったのは流石プロだなと印象づけましたが、本人曰く「真面目な話をすると涙が出る」とのこと。

 

改めてセトリを見ると、アンコールを含めた20曲のうち、16曲がアイドル時代のシングルA面曲。演っていないのは「バーニング・ラブ」だけ(厳密に言うと、アイドル時代にリリースしたレコードでシングルA面は「私のしあわせパート2」と「明日になれば」も入る)。2年前の吉祥寺ライブも同じ手法で上手く騙してくれました。真子さんも「最近の曲も歌いたいね」って言及していましたが、私個人的にはそれが望み。今回は「Life is beauitiful」と「My Friend!」を演ってくれましたが、「生まれる前から恋してた」「碧の奇跡(それはこないだ演った)」「カナリア」「雨の日と映画館」「揺れるカリプソ」etc・・。音楽活動再開後に発表した楽曲にも “名曲” 域に達するナンバーは数多あります。

 

楽しいひとときはあっという間で、真子さん本人もそうですが、我々もまた元の生活に戻ります。

でも、一度ライブを含めたイベントが決まると、皆はそれを目標に頑張れます。だから真子さんも加齢から来る体力の衰えをものともせず、頑張って欲しいと思います。

 

所有事業者:富士急シティバス(静岡)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:沼津200 か ・439

社番:E8267号車

配置:本社営業所

初年度登録:2002年

シャシー製造:日産ディーゼル工業

搭載機関:日産ディーゼルPF6HTA型

車体架装:富士重工業伊勢崎

車体型式:富士重17型E

車両型式:KL-UA452MAN

撮影日:2025年12月4日(木曜日)

撮影場所:沼津駅南口

 

自身初となる、富士急行の一般路線仕様車です。

富士急グループのバスは撮りまくっていますが、いずれも貸切仕様車だったり、高速路線仕様車だったりで、一般乗合車は実は撮ったことがありませんでした。

富士急グループの乗合バスは静岡や山梨へ行けばいくらでも撮れますが、なかなかそういう機会に恵まれませんでした。

 

それと現在の富士急バスグループは、貸切仕様車と高速路線仕様車については、白地に富士山を遇った「リゾートカラー」が標準になっていますが、かつては貸切も高速路線も一般路線仕様と同じ、緑地の「グリーンベルト」カラーでした。東京(フジエクスプレス)ではこの「グリーンベルト」を纏った車が無いし来ないため、「緑の富士急は久しぶりに見るな」って感じで撮りました。っていうか、「グリーンベルト」の貸切、高速車って残存しているのか?

 

静岡の東部が営業の縄張りである富士急シティバスは、1995年に「富士急三島バス」として分社化。三島営業所と沼津営業所の一部の管轄路線を引き継いだのが始まり。その後、2002年にの沼津地区の残りの路線も引き継ぐことになり、同時に「富士急シティバス」と商号を変更しています。2005年には車庫を現在の沼津に移転して一本化しました。

 

画像のE8267号車は富士急本隊からの移籍組ではなく、富士急シティ生え抜きの車になりますが、全国的に見ても日産ディーゼル+富士重のUAは稀少な存在になります。画像の車はWB5.3mの標準尺ですが、同5.8mの長尺車も存在します。

 

 

【参考文献・引用】

バスラマインターナショナルNo.119

BUSRAMA SPECIAL11「UDマークのバス達」

(いずれもぽると出版社 刊)

ウィキペディア(富士急シティバス)

3月25日(水曜日) 曇りのち雨

 

誰が名付けたか、3月25日は「狼なんか怖くない日」。

我らが石野真子さんのデビュー記念日です。ちょっとだけお休みしていた時期もあってけど、芸能生活48年になります。

明後日は原宿でライブがあります。

 

さて、今日は生憎の天気でしたが、思わぬ郵便を配達することになります。

 

 

それこそ、「誰が名付けたの?」なんですが、タイムカプセル的郵便がごっそり届きました。

小学校が卒業記念になんでしょうか、「10年後の僕へ(もしくはあたしへ)」に手紙を書き、それを10年後に読むという企画なんでしょう。

10年前ということは、2015(平成27)年。12歳だった僕とあたしは今年22歳。

 

年齢や背格好は変わるけど、それ以外で変化はありましたか?

10年前に立てた目標や夢を叶えましたか?

「こんな筈じゃなかった」と踠き苦しんでいますか?

人それぞれ歩む道は違うけど、元気で毎日を楽しく過ごせれば、それはそれで良いんじゃない?

私も紆余曲折、右往左往した人生だけど、今のところ元気ですよ。

 

そういえば、1985年に茨城・つくばで開催された国際科学技術博覧会(科学万博)で当時の郵政省は「2001年の元日に届ける年賀状」というポストを用意。その間、居場所が変わったりした人もいたでしょうけど、郵便局も八方手を尽くして2001年にその年賀状を届けましたが、あれ、意外にウケたようです。

今回の「10年後の僕(もしくはあたし)」宛ての郵便も、私が配達した中に1通だけ所在が変わったのがありましたが、転居先が至近だったため、配達しました。

 

2015年かぁ~。何してただろ?

というわけで、2015年3月25日のブログを載っけときます。

 

 

この時のブログを読んで感じたことは、10年経っても何も変わっていなかったということでした。

3月24日(火曜日) 晴れ

 

このやり場の無い怒りを何処にぶつけたらいいの・・・?

誰が悪いというわけじゃないんだけど・・・。

 

詳細は省きますが、今日は朝からフラストレーションが溜まる1日でした。

そのフラストレーションを晴らすべく、西葛西駅高架下にある「長田本庄軒(・・敢えて店名を公表します)」で夕飯を食べました。でもね・・・

 

注文しようとしたものが悉く「売り切れです」と言われたため、出鼻を挫かれた格好になりましたが、そこは「飲食店あるある」だと思って、ムッとしつつも、最初は何も言いませんでした。

したら、害国人の熟女軍団が店側の制止を振り切って空いている席を陣取るじゃないですか。

店には店のルールがあるのは知っているけど、今日は酷かったなぁ~。スタッフの忠告を100%以上、シカトだもんね。

 

私もその超熟軍団を目の前にして、「(席)、変わった方が良い?」って再三聞きますが、店側はあたふたしているだけ。

終いには超熟軍団全員が制止を振り切って座りだしたから、もう、私の声は聞こえるはずがありません。こっちも半分キレてますよ。でも、長田本庄軒サイドはシカト。そうなりゃもう、お客としての私の行動は一つしかありません。

 

長田本庄軒西葛西店には二度と行きませんっ!

 

だよな・・。