早朝の東海道本線を終着・東京駅に向けてラストスパートをかける寝台特急「瀬戸」。

三島-函南間の「竹倉踏切」は富士山をバックに列車が撮れる撮影名所ということで、昭和の撮り鉄に人気がありました。今は被写体となる列車が無くなったのか、竹倉踏切そのものが無くなったのは知らんけど、ここで撮る人や撮った作品を媒体に掲載するというのは見かけなくなりました。マナー/モラル知らずの悪質撮り鉄が増えたことから、この辺を立ち入り禁止にしたという説もあります。

 

国鉄時代のブルートレインブーム時、「さくら」や「富士」などに隠れて脇役に徹していた「瀬戸」と「出雲」は今や、東海道/山陽線、いや、日本で唯一残った寝台特急になり、以前別のコーナーでお話ししましたが、その切符はプラチナチケットと化しています。

国鉄時代から「瀬戸」も「出雲」も観光地へ向かうアクセス機能は十二分に発揮していたものの、私を含めた当時のガキどものの評価はそんなに高くはありませんでした。九州へ行かないから? A個室や食堂車が連結されていないから? ハッキリとしたことは知らんけど、「出雲(下り1号、上り4号)」はA個室も食堂車も連結されていたし、「出雲(下り1号、上り4号)」に関しては、寝台券はいつも完売だったし、「出雲(下り3号、上り2号)」や「紀伊」と違って双方、EF65が牽引してヘッドマークは取り付けられていたし・・・。でも、前出の「さくら」や「富士」などと比較しても人気は今一つだったのは否めません。

 

国鉄時代の「瀬戸」と現在の「サンライズ瀬戸」は、特に東京行きの上り列車は時刻に多少の変化はあるにせよ、昔も今も似たり寄ったりのダイヤで推移しています。

 

「瀬戸」         「サンライズ瀬戸」

宇 野発 21:04   高 松発 21:26

岡 山発 21:43   岡 山発 22:34

大 阪発  0:03   大 阪発  0:33

東 京着  7:11   東 京着  7:08

(昭和60年3月改正)  (令和6年3月改正)

 

下りは大阪、三ノ宮を通過して姫路に停車、上りは三ノ宮と大阪に停車するダイヤも国鉄時代から変わってません。京阪神で観光した東京への利用客に配慮したものだと言われていますが、これはかなり稀有な例です。

 

20系客車を使用してた時代はA寝台も食堂車も連結されていましたが、24系25形に置き換わった際にA寝台も食堂車も連結されなくなり、二段式B寝台のみのモノクラス編成になってしまいました。前述のようにそれが「瀬戸」の人気を下げてしまった一つの要因だったと言えますね。

そんな「瀬戸」がジワジワと評価されるようになったのが民営化後の昭和63年、瀬戸大橋を通って高松まで行くようになった頃から。瀬戸大橋ブームに便乗した格好になりますが、その2年後に需要を見込んでA個室とラウンジカーが連結されるようになります。平成10年に「サンライズ瀬戸」となって、その後の安定した人気ぶりは説明する必要はないと思いますが、「瀬戸」もある意味で「遅咲きのスター」になるんでしょうね。

 

昨今、「夜行列車復活論」も聞こえますが、JR各社が独自の道を歩んでいますし、中にはJR東日本とJR東海のように犬猿の仲状態の会社もあるので、東京-大阪といったJR各社を跨いで運転する夜行列車の復活は事実上、不可能。ある人は「保安上(保安設備)の問題」とか、「人材確保の問題」とか様々な問題点を出しているけど、私的には「JR各社のやる気」だと思います。せめてJR東日本の「四季島」、JR西日本の「トワイライトエクスプレス瑞風」、そしてJR九州の「ななつ星」くらいはJR各社を直通出来るようにすれば良いのにと思いますが、JR東海は拒否するでしょうし、北陸本線は大多数が第三セクターになっているので、やっぱりムズいかな・・・。

今度、夜行列車好きで「出雲」をこよなく愛する石破茂氏が自民党総裁になり、内閣総理大臣になるので、「夜行列車復活論」にどう対処するのか、注目したいと思います。

 

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表1985年5月号 (日本交通公社 刊)

JR時刻表2024年4月号

鉄ぶらブックス①「伝説のブルートレイン全列車」

(いずれも交通新聞社 刊)

ウィキペディア(JR東日本四季島、JR西日本トワイライトエクスプレス瑞風、JR九州ななつ星)