ようやく、息子も3か月になろうとして、
私たち家族のリズムも落ち着いてきて、
仕事もすこし余裕がでてきたので、
ここまでの振り返りを備忘録として書いておこうと思う。
6月22日が予定日ということで、6月から7月の仕事をセーブ。具体的には新規案件で急なトラブルが発生しそうな案件や、
自分が現場にいないといけないような案件は全部断った。
自分の仕事の8割くらいはいまスマホでできるので、実際にはあまり影響はなかったけど。
一度早朝に激しい陣痛があり、車を飛ばして病院へ。
この病院、前に住んでたところから近かったけど、いまのところからは日中は1時間かかる。
早朝なので30分で到着。
しかし、病院についてしばらくすると収まってきて、一度帰宅することに。
それから、いつでも出動できるように、仕事をより押さえて、スタッフに任せられるものは任せるようにした。
でも平日は特に動きがなく、6月17日日曜日の日中にふたたび陣痛。
あわてて車に乗って、病院へ向かうも、うちから病院までの道は東京でいうと環八みたいなところで
結構混んでる。
仕方なく、パッシングとクラクションをならし、道をあけてもらう。
こういうとき、カンボジアの人たちは、すごく協力してくれる。
バイクで車の中を覗いた人たちが、お腹の大きい嫁がもがいてるのをみて、
前のバイクや車に声かけてどかしてくれる。
合流地点や交差点では、窓から手を出して向かってくる車に合図するとちゃんと止まってくれる。
そして今回は40分ほどで到着。
とりあえず急患用の部屋でいろんな機材つけてすごす。
自分はこれから何が起こるのかちょっとわからず、ちょい緊張。
どれくらい時間たったかわからないけど、何かの数値をみて、先生が、分娩室へいきましょうということで、
看護師さんたちにベッドを押されて嫁は移動。自分ものこのこついていく。
着いた部屋には「Natyral Birth」の文字。カンボジアは帝王切開が多いと聞いていたけど、
うちの子は自然分娩で産まれるんだ。
そういえば、立ち合いするしないとか何も話してないけど、とりあえず一緒にはいる。
自分もヘアカバーと白衣を着るように言われる。
そして、分娩台にいる嫁の手をとりあえず握る。
少しして看護師さん?助産師さん?に、こっちにいると邪魔だから反対側にいてと言われ、
反対に回って手を握る。
やべーな、これからどうなるんだ?とやたら緊張してきた。
とりあえず嫁が汗かいて叫んでるから、汗を拭く。
先生と看護師さんか助産師さんかわからないけど部屋には5人病院側の人がいる。あれ、ひとりは掃除のおばさんだったかな。
まあでもみんなたんたんとしてるから特に問題はないんだろうなと安心する。
そこでまたずいぶん時間たった気がするけど、急に動き出した。
先生が、はいきたよきたよとかいいながら手を突っ込む。
それを何回か繰り返して、何回目かに、急にはさみでパチンと嫁のあそこを切りはじめた!
まじかよー、なにそれ、きいてないよ。
そしてその瞬間、宇宙人みたいな、先っぽがとんがった小さいのがでてきた。
それを看護師さんにわたし、そのあと、大きな血の塊を取り出し、
最後は針と糸で縫う。
うえー、まじかよ。想像してたのと全然違うー。。
嫁はたぶん麻酔でその辺の痛みはないのかな?特に産まれたあとは叫んでなかった。
そして、看護師さんに旦那さんきて、と呼ばれ、いくと小さい赤ちゃんが泣いてた。
手をさわると結構強い力で握ってきてちょっとびっくり。
そうか、産まれたか。確かに俺の子だな。何がっていうのはわからないけど、
他人ではない。なんとも不思議な気持ち。
産んだあとは、結構あっさりと病室へ。
今回の出産は、1200ドルで出産にかかる費用と、3日間の入院代、毎日50ドルの食事つきというパッケージ。
部屋はバス、トイレ、ソファー、ダイニングテーブル、テレビなどついて快適。
掃除もおばさんが頻繁にやってくるし、赤ちゃんのケアだけに専念できる。
とりあえず、朝家に帰って必要なものとお手伝いさんを連れて戻る。
朝食は近所のカフェとかレストランのメニューを看護師さんに伝えて出前してもらう。
なるほど、食事付きというのはこういうことか。
自分は、病院から仕事にでかけ、または打ち合わせを病院でしてもらうようにして3日間過ごした。
だいぶ快適な入院生活があっけなくおわり、そして無事に退院。
あとからネットで調べたり、先輩たちにきいたりして、
あそこをパチンと切るのは結構当たり前のこと。
そして、血の塊は胎盤だということが判明。