選択肢 | 清野裕司・カンボジアで広告代理店経営

清野裕司・カンボジアで広告代理店経営

〜アラフォー・脱サラ組〜

成熟して熟れに熟れまくった日本社会に生きてきた自分と、

つい数十年前に終戦して、多くが貧困の中で生きてきたカンボジアの人たち。

普段、広告の仕事をしていると、取引先や担当者、業者の人たちから貧しさを感じない。

むしろ、特権、利権の中にいる人、努力で成り上がった人、ラッキーが重なった人など、いろいろなタイプがいるけど、ほとんどが、汗まみれになっている私よりも生活レベルが高い。

なので、みんなそれなりに、この経済成長時代を謳歌しているようにみえる。

ただ、ふと仕事を離れて、友達の友達だったり、兄弟姉妹だったりという人たちと仲良くなって、いろんな話をすると、昔話のような、親から聴いた戦後の生活そのままのような、なんとも選択肢のない生活をしていたりして、同じ時代に生きている感覚になれない時がある。

自分と同年代だったらまだわかるけど、20代の若者でもそんな感じ。

健気にみえるくらい、生活が単純。
たとえスマホを持っていたとしても。

逃亡した創業メンバーのトラもそうだったけど。

近隣諸国との大きな違いは、クメールルージュによる大量虐殺で、知識人がいなくなってしまい、教育が崩壊してしまったこと。学校が再開されても教える先生がいない、いてもレベルが低いという時代が今もなお問題となっている。

世界中からいろんな団体、企業がカンボジアの教育問題に取り組んでいるのはそのため。

教育って、人生の選択肢を増やすことだと思う。何も学ばなければ、単純労働しか選択肢はない。学べば学ぶほど選択肢が増える。その中からベストチョイスができる。

自分の直近の経験でもそれはいえる。こっちにきて、英語を勉強してるから、クライアントの選択肢が増える。クメール語を勉強してるから出会いの選択肢が増える。
40代からでも選択肢を増やすことができる。

小さい頃から労働してきた子たちには、今ここからの選択肢が限られている。
どんな仕事をしたいのかも答えられない。

でも、素直でまっすぐでひとなつこい子たち。

NGOの施設にいるわけでなく、普通にワーカーとして生活している子たち。

この地でなんとか生き延びている自分には何もできない。それがいたたまれなくなる時がある。
自分とほんの少しのスタッフしか賄えない。

住みたい国でやりたいようにやってるから、楽しいし、ストレスもないんだけど、
時々、自分の小ささに絶望的になる。目の前のこの子に対して何もできない。。。

別に自分が何もしなくてもいいんだけど、たまに感情移入してしまう。

だから、やはり自分は思いっきり働こうと思う。資本が増えればビジネスの選択肢が増え、彼らにもいくつかの選択肢を提示できるようになる。

そういえば、少し前にトラに電話してみた。今はカンポットの実家から60キロ離れた親戚の家にいるそうで、「朝起きて朝日を見て、朝御飯を食べてボーっとして、昼になったら昼御飯を食べ昼寝し、夕陽をみたら夕飯を食べ、ビールを飲んで寝ます」という生活をしてるって笑ってた。

そう。血縁関係の強いカンボジアは家族や親戚がセーフティネットになってて、まず食いっぱぐれることはないし、誰かしら面倒みてくれる。

自分が気にすることは全くないのかも知れない。

それでも、この地で思いっきり働くことが自分の選択。結局いつも何を考えてもそこにたどり着く。