今は亡き 夕張 「石炭の歴史村」完全版

2018に行った「夕張市石炭博物館」の再編集版
この時はまだ炭鉱にあまり興味がなかったが、去年、再度三笠の炭鉱を訪れたことにより、炭鉱に目覚めたので、石炭の歴史村のあった土地について改めて調べてみました。

北炭が近代的炭鉱の先駆け的存在の幌内炭鉱の開発後、夕張で初めての炭鉱として「北炭夕張炭鉱」を開発を始める。
1960(昭和35)年博物館付近の様子

炭鉱閉山後、「炭鉱から観光地へ」のキャッチフレーズで観光地化を目指し、「夕張市石炭博物館」を中核施設としたテーマパーク「石炭の歴史村」として、開業
※ここでの夕張炭鉱は北炭夕張炭鉱のことを表す。

その後、夕張市が破綻
石炭の歴史村は閉鎖され、夕張市石炭博物館の他ほとんどの施設は閉鎖された。

「夕張市石炭博物館」は、
夕張を支えた炭鉱産業に触れることのできる施設は歴史・資料的価値が高いとして残された。

運営会社が変わり再開後も危機に陥った。

2018年10月
2年に渡る改修工事を終え、リニューアルオープした夕張市石炭博物館に訪れた。


ただ広い駐車場
かつては、満員になるほど混んだだろう
駐車場には、長い「夕張希望の丘」と書かれた煙突がポツンとある。

元々は北炭夕張炭鉱総合ボイラー煙突

ここには石炭の選炭場があった。

炭鉱があったことがうかがえるもの。
炭鉱時代、石炭の歴史村時代と塗り替えられ今に至る。

この広大な駐車場にはかつて、初代夕張駅もあった。
元々夕張駅は夕張炭鉱の石炭を運ぶために生まれた。
1892年(明治25年)11月~1985年(昭和60年)までこの場所には鉄道が走っていた。

歴史村時代には、石炭の歴史村事務所(管理ステーション)として利用されていた。2006(平成18)年道道の付け替えのため、取り壊された。
(2019年3月夕張線支線廃止に伴い、すでに廃駅となったが、3代目夕張駅の駅舎は南に移動している。)

広大な駐車場を進むと、シャッターの閉まった「歓迎ハウス エルドラド」と書かれた建物
無料休憩所だったらしい。

その奥には坑口を模したトンネルと石炭の歴史村のマスコットキャラクターの「ゆうちゃん」
元々の石炭の歴史村のメイン入口だったが、現在はこの広大な駐車場からは歩く人は誰もいない。

そのトンネルの横の道を車で通り過ぎて進むと、
おみやげ屋

水上レストラン「望郷」
シャッターの閉ざされ、廃墟となった数々施設が現れてくる。

それを横目で通りすぎて進むと、現在駐車場として使われている場所に出る。
右の灰色の建物は、化石の展示館の建物だった。
2016年のリニューアル前まではやっていたが、リニューアル後は再活用されず。

バリ、バリ♪ゆうばり~!のマンホール
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のマスコットキャラクター「シネガー」

高台にある博物館の方へ進む。

「夕張市石炭博物館」
石炭の歴史村の中核施設だったが、閉園後、炭鉱産業を今に伝える歴史的価値があるとして唯一残った施設
夕張市石炭博物館のシンボルとしてお馴染みの立坑櫓

博物館が開設された1980年当時、最新鋭炭鉱として夕張の期待を一身に背負っていた北炭夕張新炭鉱の立坑櫓を模したもの。
※石炭博物館のある所には、北炭夕張炭鉱
北炭夕張新炭鉱は夕張の南側にあった炭鉱
1981(昭和56)年ガス突出事故が起こり、1年後の1982年に閉山

夕張には沢山の大小の炭鉱があり、詳細については、後日まとめる予定

本物の石炭層を見学できる模擬坑道は日本でここだけであり、採炭現場の動態展示など石炭産業関連としては世界でも有数の博物館である。

夕張の石炭大露頭 「夕張24尺層」
日本一厚い露出石炭層

1888(明治21)年発見され、
日本の炭都として発展を遂げた夕張炭鉱の歴史の起点

「採炭救国坑夫の像」
石炭産業に従事する人々を激励するために1944(昭和19)年に製作
完成当時は「進発の像」と呼ばれていた。
戦前同じような像が11体作られたが、当時のものが残されているのは道内ではこの1体だけだという。

「天龍坑」
夕張炭鉱初期の主要坑道
石炭露頭に開削された坑口で、北炭夕張鉱業所内で最大採炭量を誇った第二砿における代表的遺構のひとつ
1938年爆発事故により、死者161人を出し閉鎖

「夕張石炭博物館の模擬坑道」
(正式名 旧北炭夕張炭鉱模擬坑道)
明治時代に使われていた実際の坑道で、天竜坑の補助的な坑道であった。

昭和に入って、見学・鉱員育成用に作り替え、閉鎖されずに残った。

石炭層の中に入ることができる本物の坑道は、日本ではここだけであったが、
2018年4月18日の坑道火災によって、消火の水や湧出水で水没した状態
2020年1月20日より、排水を開始し、その後の損傷具合を見て、再開を判断する予定である。
(排水には5ヶ月ぐらいかかる見込み)

博物館の北には、石炭の歴史村の主要施設として、アドベンチャーファミリーという遊園地があり、観覧車、ジェットコースター、プール、SL館などがあった。
遊園地最盛期の頃(観覧車寄りに撮られたもの)


現在 緑で覆われた遊園地跡

観覧車やジェットコースターなど大型の施設は2008年頃解体

現在はウォータースライダーやSL館が残っているが、廃墟化している。

遊園地跡地は管理されてないように見えるが、現在も市の管理施設
※立ち入り禁止エリアとなっており、無断に入るのは大変危険である。

その荒れた遊園地跡には、かつて炭鉱の跡地であったことをうかがえる坑口が残っている。

明治期に始まる炭鉱開発から観光地化へと100年以上に渡って人の手で姿を変えられてきた土地も、ようやく本来の自然の姿に戻りつつある。


【年表】
1888(明治21)年: 北海道庁の技師、坂市太郎が志幌加別川の川上流にて大炭層の露頭「夕張の石炭大露頭」を発見

1890(昭和23)年: 北炭が夕張炭鉱の開発に着手

1892(明治25)年: 夕張炭山の採炭開始
北海道炭礦鉄道 追分-夕張間(石勝線)開業 11月 初代夕張駅開業

北炭夕張炭鉱 Wikipediaによると、
1912年~1965年の間に爆発事故により、多数の死者が出ている。

1977(昭和52)年: 北炭夕張炭鉱閉山

1978(昭和53)年: 石炭の歴史村建設工事着工


※以下より、夕張市石炭博物館についての年表になる。

1980(昭和55)年:石炭の歴史村の中核施設として、「夕張市石炭博物館」開館
(1970年開設の夕張市郷土資料館(後に夕張市炭鉱資料館に改称)を前身)

1983(昭和58)年6月1日:石炭の歴史村 全面開業(遊園地 アドベンチャーファミリー開園)

2006(平成18)年10月22日:夕張市の財政再建団体申請に伴う事業見直しにより休館(夕張市が事実上倒産)

2007(平成19)年4月27日:
閉園の危機にあったが、炭鉱産業を今に伝える歴史的価値がある施設として民間企業に運営を委託
夕張リゾート(加森観光の関連会社)運営で再開
「ぐるっと夕張」の一施設として、営業再開
(大人3150円で、夕張鹿鳴館、黄色いハンカチ想いい出ひろばといった夕張の13施設を見学することが出来た。)※各施設は単独料金では入れなかったと思われる。

2015(平成27)年:施設の老朽化などにより、加森観光は指定管理者を返上し、再び運営は停止

2016(平成28)年から7億5千万円を投じて「夕張市石炭博物館」を開園後初の大規模改修工事を2年かけて実施(夕張市直営)

夕張市は「夕張市石炭博物館」を2016年から7億5千万円を投じて開館後初の大規模改修を2年かけて実施(夕張市直営)

2018(平成30)年4月28日:「夕張市石炭博物館」営業を再開
炭鉱文化と再生への街の歩みを発信する重要施設として踏み切った。
(同年より指定管理を岩見沢市のNPO法人「炭鉱の記憶推進事業団」が受託)

2018(平成30)年4月18日:坑道火災発生し、鎮火のため、坑道が水没
(6月8日より、本館と地下展示室の営業のみ再開)

2020(令和2)年1月20日:排水を開始

模擬坑道 火災

2019(平成)年4月18日:博物館内の模擬坑道において火災が発生、坑道は注水によって水没し、5月13日鎮火が宣言された。
6月8日本館と地下展示室の営業のみ再開

坑道の排水作業は、水質検査などを実施して判断するとされる。

2020(令和2)年1月20日:排水作業が開始され、その後、損傷具合を見て、判断する予定である。