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続き
同性から悪意を向けられ続けたことについて
最初は、今思うと、何年も前の話
なのに何でこんなことさえ
書くのが怖かったんだろうと
思うくらい書いて公開する事が怖くて
大したことない話(↓)さえ
アメンバー限定にしていた。
少しずつ外に出しはじめて
同性からの攻撃のことも
これから書いていけるかな?と
思った矢先やっぱり
気持ちの悪いコメントがついてしまった。
それは一目で嫌がらせと
わかるコメントではなかった。
一目でわかる嫌がらせコメントを
書かれたこともあったが
そっちのほうがまだましと思った。
なんでかというと、
息子が可愛くて目立つ子供として生まれ
それ以来、ほかの母親たちから
私が浴びてきたのは
一目ではそれとわからないような
ものとか、
私に直接言うのでなく
言い返せないような形の言葉を
隣の人に言うなどの形を
とられることがほとんどで、
ずっとずっと苦しんできたから。
上にリンクを貼った話でも
「息子さん
お母さんいらない子なんですね
いいなぁ~」という
意地悪な言葉を笑顔で
言われていたことを書いている。
妬まれるようないいところがあったから
嫉妬されて孤立しているのではなく、
私がコミュ障だから避けられてるとか、
こちらがそう思い込むように
仕向ける他の母親たちの一致団結ぶり
はある意味見事としか言いようが
なかった。
女性が集団になった時の怖さ
を嫌というほど味わった。
ブログへの嫌がらせコメントも
息子が他の子に妬まれやすかった
事から逆に友達に侮辱するような言葉を
言われて苦しんでいた時
親(私)が本人を肯定する声掛けを
していたら早くに自信を取り戻した
(内在化)
ということを主旨に書いているのに
文章の主題とそぐわない
「わかります。私もどんなに
褒められても受け取れなかったり
人にいいイメージを抱かれるのに
自己否定が強すぎて嫌味にとられます
・・・・・
息子さんは
自信があるんですね素敵✨」
というようなものだった。
今思えば最初から
こちらの意図の否定・嫌味などを
ちりばめてきたんだと思うが、
私は最初、文の意味を勘違いしているだけ
の可能性もあると思い
丁寧に主旨が違っていることを
返答してしまった。
すると
その部分には何の返事もなく
突然
「私のように回復するには..
(以下いらぬアドバイス)」
を書き込まれた💦
また時間をかけて
「〇さんが回復されたことは
素晴らしいと思います。
でも私の場合は違っていて..」と
コメントを返したのだが
とにかく頓珍漢なやりとりに
時間ばかりかかりバカバカしくて
しょうがなかったので
「でもこの話はこれで
終わりにしませんか?
また〇さんのブログ遊びに行きますね」
と終了にしたら、
アメンバーとフォローが突如解除され
彼女のブログに
「私はもうここから歩き出しだしたい。
私は楽しいことで人とつながりたい。
私は占いで強い星をいくつも
もっている。
私は子育て成功しすぎ!」
等の書かれた記事が
アップされた。
それでやっと最初のコメントから
攻撃を仕掛けてきていたんだな
と気づいた。
(以前このことを
「絡みつきコメントがあった」
とだけ書いて、ちゃんとした
コメントくださった方々に
私の事?と心配をかけ
嫌な思いをさせてしまったので
今回は詳しく書きました)
私が書いた文の中の
目にとまるフラッグは
「キラキラした目立つ子供」や
「海外生活」だったかもしれない。
でも書いてあることは
それに伴う苦しみ、辛かったことや
それをどうやって乗り越えて
いったかという事であることは
明らかにしているつもり。
裏側の苦しみをいくら見せていても
表の看板しか見ようとしない人はいて
しかも、直球じゃなく
言い返しづらい
一番ずるい嫌な形でこちらが
やっと取り戻しかけた自信を
もういちど失うように
仕向けてくる。
けれども、私が毒親の洗脳から
やっと抜け、これから新しい人生へ!
と走り出したとき
同性からの激しい妬みを向けられ
何年もダウンしてしまったのは本当だし
その理由が私が劣っているからでは
ないということは、長い時間をかけて
やっと受け入れることができたこと。
それを別の話として書くのは
私の文章力では不可能だし、
そもそも、嫌なコメントを恐れ
別の話として書いて
浄化できるだろうかというのは
疑問だ。
これまで、毒親の記憶を中心に
書いてきたけど
もう一つの強く痛む傷
女性達からの攻撃も
書いて浄化していかないと
やはり傷が疼いて疼いて
しょうがない。
そんなときは
どう思われるのか
まだまだ臆病なので
コメントやいいねをオフにして
自分の痛みの記憶に
向き合っていこうと思う。
いつもの交流には
もちろん感謝です