の続きを書きたいのですが
今日はちょっとまとめる
気力がないので別の話にします。
さらっとまとめられるかな
(結局そうならないことも
多々あり💧)
---------
最近有名人の方が出産されて
「40時間の難産だった」
と何度もネットニュースで目にしました。
何度も目にしていたら
ちょっと胸がきゅっとなりました。
(有名人の方に全く非なしですが)
なのでちょっとその関連の記憶を
書きます。
私も微弱陣痛40時間末の
吸引分娩だったので
「難産」といってもよかった
かもしれません。
母子手帳に出産時の出血量を
書くところがありますが
「多量」に〇が付いています。
もちろんもっともっと大変で
生死の境をさまようほど大変な思いをされる
方がいるのも承知ですが、
身内内で
「出産大変だった~」
「大変だったね~」ということに
何か問題はあるでしょうか?
私は出産は夫と二人がいいと願い
毒母は呼びませんでした。
退院後毒母が手伝いに来ました。
(親孝行のつもりで呼びました)
ずっと出産に付き添った夫が
動画を見ながら
「いや~難産だったね」
「ありがとうね」と
言っているのに毒母はフンと鼻で笑い
「えーーっでももっと何日も
苦しんだ人なんてたくさんいる
しぃ~」
と言うのです。
以前、結婚前私の生活態度が悪いと
誕生日に突如ブチギレられたので
↓
せっかくの息子の誕生を
めちゃくちゃにされたらと怖くて
なるべく毒母に負担をかけないよう
最初から「東京来て遊んでていいよ」と
いって、
毒母も「うんうん楽しみー」
といっていたのに来てみたら
様々なことにイニシアチブを
取りたがり、それに合わせてみたり
逆に負担を大きくしないようにと
気を使っていましたが
数日経つと、
「わたしに何もさせないの?
わたし散々気を使ってみじめよー」
「なにもしなくて遊んでていいって
私に本当のお婆さんなれというの?」
「あなた達本当に迷惑」
と私達のマンションを乗っ取って
数日間大暴れ。
(私達は新生児と寝室に閉じこもってた)
数日後
私が泣いて泣いてしゃくり上げながら
「私、腰も色んなところが痛くて
動けなくて
でもお母さんに心配なく
帰ってもらえるように
頑張ってたつもりだけどうまくいかなくて」
というと
「わかるー私なんか帝王切開だから傷が
ずっと痛くて、その上骨盤も1年以上
いたかったもの。
もうずーとずーっと、数年前まで
痛かったくらいよ」
と即30年前の毒母の自分の話に
変わりました。
このときから数か月遡って
つわりのとき何ヶ月も食べられず
テレビで食材を見ただけでトイレに
駆け込み
料理も一切できず、水分は開けた直後の
ペットボトルからじゃないと飲めず
夫が家事をしてくれて
一冬、ふたりで乗り越えたのですが
終わりかけの頃電話で
「つわり長かったー」というと
毒母「えーっ全然長くないよー」
「入院する人もいるんだし」
「私なんかsちゃん妊娠したとき...(続)」
とはじまりました。
つわりが始まって数ヶ月経った
最後の最後の方にしか
毒家に帰らなかったけど
毒母は電話で友人に
「娘があれでないと食べられない
これでないと食べられないと我儘だから
いろいろ聞いてあげてるのよ」
と楽しそうに言っていました。
息子が数年前
「女子ってなんで
’生まれたとき私は死にかけたの‘’
とかドラマみたいな
言い方で言う子たくさんいるんだろ?」
と不思議そうに言ってたことあったのですが
(悪口でなく小学生男子のただの疑問)
自分の誕生をドラマティックに
演出したい的な思春期前女子の
気持ちかなと私は感じました。
毒母はこの
「自分をドラマティックに演出」欲
がアラ還まで治らず、
出産直後の娘にでさえ、
そのスポットライトを
ゆずるのが許せなかったのでしょう。
私が大変だったことは決して
認めないのに
「大したことないのに騒ぐ娘に
文句も言わず世話をしてる健気な母」
という毒母の描くシナリオを
演じさせようと無理無理世話はしてきて、
思うようにできないと
突如暴れた毒母。
毒母はいつも無意識に彼女が頭に描く
人物設定を周りが演じ、
ヒロインである毒母を引き立てて
当然だと思い込み、
その自分が思い込んでいる正義を
阻害されると「正義の戦い」と
思い込んで周りを猛攻する
おかしな人でした。