上の記事に

 

”ある日私が買った新しい

アンサンブルカットソーが

着てみたら思ったより胸元が

開いていたため

 

「街を歩くと男性の視線が胸元にいくのが

気になるてへぺろ

 

と言ったら....”

 

妹が突如キレて人格否定してきたという

話を書いたので

 

もしかしたら、

 

妹さんは入院していて

服も買えなかったのでは?

 

賑やかな街を歩くことも

出来なかったのでは?

 

と思われた方もいたかもしれません。

 

 

実際の妹の入院生活というのは

 

入院して治療、そして退院して

普通の生活を楽しみまた入院

を繰り返す治療法だったので、

入院しっぱなしではありませんでした。

 

髪は金髪のような派手な色のまま

可哀そうだから

好きな車を買ってあげると

と祖父に言われ

新車のハイトワゴンを

ポンと買ってもらっていました。

 

当然服やブランドバッグは

たくさん買ってもらって

いました。

 

私からすると貴族か高等遊民

のように見えました。


妹は専門学校も中退して人生に迷って

いたので将来履歴書上

病気になって中退したことにできるから

よかったといっていたほどです。


 

私は当時、生きたいという

気持ちがなかったので

正直時々羨ましかったほどでした。

 

 

不思議なことがあります。

 

虐待とイジメが重なった

10歳ぐらいから心身症を患った

私はずっと〇にたいという

気持ちとともに生きていました。

心身症はなかなかよくならず

希望を持っては絶望するを

繰り返していました。

 

妹の病気が発覚する数か月前

まだ病気の兆候さえ全く見えて

いなかった時ですが、

 

私は妹と話していたとき

「私は〇ぬのは怖くないな、

でも長く入院して

家族に迷惑をかけるのだけは嫌

だから〇〇みたいな病気

だけにはなりたくない。

それが一番怖い」

 

と言ったのです。

 

私は存在価値が0以下と

感じていたし

親のお金を浪費したと思い込まされて

いたので(過去記事参照)

私が病気になることで

周りの人が付き添いをしたり、

お金がかかったり、迷惑が掛かる

ことが怖くてしかたなかった

のです。


一応妹はそうだねと話を合わせました。

 

 

すると、数か月後に妹が

その〇〇という

病気になりました。

 

どっちがいいとか悪いという

話ではないのだけれど

 

私を含め周りの人が妹のために尽くし、

大金もかかって、仕事をやめたり

人生も大きく変わり..

妹はそういうことを当然とし

特に感謝も罪悪感も感じていない様子が

私には不思議でなりませんでした。

 

家族にはわがままを言い

私(姉・搾取子)には人格否定し、

そして、外の人(看護師や友人など)

には天使のように良い子に振る舞い

そういう自分にまるで罪悪感がない。

 

 

愛頑子と搾取子の差なんだろうけど

その時虐待に気付けていなかったので、

妹の思考回路が理解できず

不思議でなりませんでした。