先日大きなカタルシスが起きて

夫に毎日毎晩これまで理解されずに

辛かったことを泣いて声を荒げながら

語る日々を過ごした。

 

そして、


私が目に見えない部分で

他の人と違うこと

目に見えないゆえに

苦しくて苦しくて

たまらなかった部分を

夫は理解してくれているんだと思った。

  

そして、

私が痛みを感じたという訴えを

受け入れてくれているんだ

と感じた。

 

私を苦しめてきたこと。

・毒親育ちである

・アゲ女性である

 (下記記事参照)

 

 

が2本柱としてあると思う。

 

(これは本当にごく少数の人にしか

わからないと思うけど)

 

毒母は「アゲ女子」であった

私を徹底的に無価値化してきた。

 

私は、勉強もでき、いろいろな賞ももらった。

褒められたくていろいろな大役も

もらってきた。

 

でもひとつだけ、

いつもたくさんのお友達と一緒に

いたいとは全く思わなかった。

 

特に、一人でいると恥ずかしいから

誰かと一緒にいようという考えが

全くなかった。

 

そして、「ひとりで行動すること」

「8割の女性に一目で

嫌われれること」は

「アゲ女性」の特徴なのだと

いうことを私はここ5-6年で

やっと知った。

 

毒母の夢は

「お友達に囲まれた人気者の娘」だった。

 

それって今となっては

さげまん中のさげまん

という感じの望みとわかるが

その夢を叶えなかった私を

毒母は徹底的に無価値化した。

 

勉強の成績

もらってきた学習発表会の大役

人より早く取得した英検

 

毒母はそのすべて、すべてを

全く価値のないものとして扱い、

私を妹の踏み台としてしか

存在価値のないものとした。

 

だから、大人になって

人並の幸せを手に入れることで

私はさらに多くの女性に

普通では考えられないような

悪意を一目見るなり向けられ

毒針をさされ続けたが

 

そうすると

 

どうして?

やっぱり私はだめだ

私は何の価値もない

なんでいつまでも同じことを

繰り返すの?

もうダメだ。

 

と魂が抜かれたような気分になった。

 

一途に誠実な愛を注いでくれる夫と

誰より可愛い息子がいるのに。

 

それでも私は自分を襲う無価値感を

どうしていいかわからなかった。

 

「愛されて幸せだが

 同性から攻撃され辛い」

 

こういう悩みは周りに話しにくい

だけでなく、カウンセラーやセラピスト

でさえも聞いた瞬間「面白くない」という

顔をする人も多かった。


「美人·可愛いですもんね」と

お世辞でも言ってくれるのは

解決には至らないとしてもまだよい方で

 

「自意識過剰」

「被害妄想」

などの攻撃的なことを言う人もいたし

 

「嫉妬されてると思ってるだろうけど

違うと思うな」

 

のようになんとなく、もやもやした

答えにもっていく人

 

セラピストでありながら、目をギランと

光らせて

「えーお友達いる??」

「自分が綺麗だからだと思っている

だろうけど私はそう思わなーい」

「意地悪する人が悪い訳じゃないよ~」

のように話を持っていく

意地悪の塊の太った

おばさんセラピスト(自称)もいた。

 

アゲ女性は全体の2割

とある本には書かれているけれど

1000人に1人という人もいる。

 

とにかく、何をしても

他の女性に意地悪されるという

アゲ女性の話は誰にも

料金を払ったカウンセラーにさえ

理解されず。。

無力感は募っていった。

 

その後5-6年前に

あげまん・さげまんの話を知り

雷に打たれたようにハッとしたが

それでも、長年刷り込まれてきた

「同性に好かれない=無価値」

という感覚はちゃんと抜くことは

難しかった。

 

これを読んで、アゲ女性?あげまん?

は?なにそれ?って思う人も

たくさんいると思う。

 

私もそうだったから。

 

女性に好かれないこと

特に非は考えられなくても

女性達からとんでもない暴言が

発せられること

 

普通の女性同士で適用される

人間関係のルールを

こちらは忠実に守っても

対私にはまったく適用されないこと。

 

女性同士のざわざわとした

話の中にいると灰色の煙を吸っている

ようで気分が悪くなること

 

そんな様々なこと。。

 

「アゲ女性」であり「毒親育ち」

だからこそ起こる、こういった

普通では理解しえないことを

 

誰が理解しなくても、

バカと罵るバカがいたとしても


パートナーが私をずっと見てきて

理解し受け入れて

そして、そのうえで私と居たい

愛する人は私しかいない

と思ってくれていると分かったこと

それが私にはすべてと気づいた。

 

気づいたら怖くなくなった。

 

以前の思考回路はこうだった

 

女性からの失礼な態度

→嫌な気持ち・ふらふらになる

→何故意地悪されない自分になれないの

だろう?意地悪される私が悪い。

→ぐるぐる自責思考

 

ママグループの子供の声より

大きな声のざらざらしたお喋りを隣で

聞かされる

→気分が悪くなる

→女なのにおしゃべりに入れない

自分がおかしい。ああいうのを

楽しいと思えない自分がおかしい。

黒煙のように見えるのはトラウマのせい。

トラウマをどうして克服できない?

→自責·自分への刃🗡

 

 

でも今は、感じることを感じるまま

に感じてよいと思っている。

私は少数派でよい、

私のままでよいと思っている。

 

 

 

そして、

今毒親への気持ちは以前よりライトな

ものになったが


このブログは

 

まだ毒親回想の

書いていない部分をかけるところ

まで書くのと

その時々の毒親についての気づきを書くこと。

 

また「アゲ女性」であることでも

苦しみ尽くしてきたので

1000人に一人かもしれないけど

それでも日本中に6万人はいる

ということになる

「アゲ女性」さんにも

 「その苦しみ

あなただけじゃないんだよ

わたしもだよ」って伝えたい。

どこかにいるアゲ女性さんに届いたら最高。

 

そんな意味でアゲ女性ならではの

苦しみも書き綴っていきたい

と思う。