1926年デンマーク。風景画家のアイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は、同じく画家の妻ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)に女性モデルの代役を依頼される。その際に、自身の内面にある女性の存在を感じ取る。それ以来リリーという女性として生活していく比率が増していくアイナーは、心と体の不一致に悩むことに。当初はそんな夫の様子に困惑するゲルダだったが、次第に理解を深め……。
ずっと、観たかった映画。
始めから終わりまで、切なくて切なくて。
そもそも、この2人の人生を、2時間ほどで描くには、困難なのである。
女性になりたいと願うアイナーの人生と、
それを支えるゲルダの人生。
どちらも、苦難に満ち、愛と切なさに彩られている。
どちらか一方だけを描けば、どちらか一方が、悪者になる。
そんな微妙なラインを、この作品は、見事に捉えていると思うのだ。
妻として愛しながらも、自分の本当の願いに気づいたアイナー。
ゲルダへの贖罪と、甘えの中で、自分の願いを叶えていく。
その過程は、まるで、姉を慕うかのような母を慕うかのような、
親友を慕うかのような、そんな愛へと変貌を遂げていく。
ゲルダもまた、自分を裏切り続けるアイナーを、
嫌悪し、彼の本当の願いに気付かせてしまった自分を呪い、
このカオスから、解き放たれたい・・と、願う。
けれど、アイナーへの愛が、結局はそうさせてはくれない。
彼女の母性本能が働くかのように、ゲルダはアイナーを最期まで支えていく。
お互いの愛が、苦悩と葛藤の中で、形を少しづつ変えていく様が、
本当に、ただただ、切ない。
その苦悩と葛藤の中から、お互いを捨て、飛び出すことも出来た。
けれど、そうする事は出来ず、最期のその瞬間まで、
アイナーとゲルダは、身を寄せ合う。
そこには、男と女だけの愛ではない、確かな愛が存在したと、
感じさせてくれる作品だ。
エディ・レッドメインは、素晴らしい。
自分の中に眠る女性の部分を、見事に演じていた。
特に、初めてストッキングを身にする場面は、官能的であり、
非常に魅力的な場面だった。
リリーは、1度目の手術後、女性としてデパートで働いたりと、
その人生を謳歌する。
自分の新たな人生を手に入れ、ゲルダのことなど、眼中になくなっていく。
ゲルダに受け入れられているという安心感と甘え。
けれど、リリーがその人生を謳歌するほど、ゲルダは、複雑で、取り残されていく。
このまま2人の人生が進んでいけば・・・・
リリーへの愛は、憎しみに変わっていったのかも知れない。
ゲルダの愛は、あくまでも、孤独と戦うアイナーに寄り添ってこそ、成立したのだと思うからだ。アイナーを支えるのは私しかいないという使命感。
それが、必要でなくなった時。
それこそが、この2人にとって、大きな大きな試練になったのかも知れない。
けれど、そうなる前に、リリーは逝ってしまう。
アイナーが逝くその時まで、そばにいたのは、
ゲルダだった。
リリーの人生を一瞬でも謳歌したアイナー。
そして、アイナーを彼女の幸せの絶頂まで支え続けたゲルダ。
2人の愛が、見事に昇華されたからこそ、
2人の人生は、愛に彩られたハッピーエンドであったと信じたい。