755というSNSを見ていたら秋元さんが誰かのブログに長文を書いたらしい。調べて見てみたらブログ主がAKB48ショーを観て触発された文があった。BSが見れないのでどうしようと思ったがYouTubeで観れるかなと思ったら観れた。ありがたいことである。ポイントはたかみなときたりえのトークにあった。この対談はなかなかの見ものであったが、その中でたかみなが「なぜ「努力は必ず報われる」って言ったかというと、真面目な人は得しないから。でも自分はぶれずにその生き方を貫きたい」ていうようなことを言っていた。そのあたりに対するブログ主の文であり秋元さんのコメントだったのだ。「努力は必ず報われる」という言葉は議論が分かれるというか色々考えさせる言葉であるが、今回たかみな自身から解説というかヒントというか意図の説明があったわけである。当然たかみなが「偉人」であることは認めていたが生き方の美しさに感動した。ここでポイントは「努力」というものの「即効性」の無さである。「努力」というものはまさに地道に真面目に積み重ねていくものであり、「結果」につながるかどうかも不明な道である。それをたかみなは「真面目な人は得しない」という言葉で表現したのである。では誰が得するのか。「計算」「打算」「要領」「結果への最短距離のみを考える人」「結果のためには手段を選ばない人」である。まさに「正直者は馬鹿をみる」である。しかしたかみなはそんな生き方にこだわっているのだ。たとえ結果が出ぬとも無謀な挑戦だろうとも暗闇ばかりの遠回りだろうと貧乏くじばかり引こうとも「努力」と「真面目」にこだわっているのだ。秋元康が面白い例を挙げていた。幼児たちにジッパーのついた財布などを渡してそれを開けさせるという課題を与えるという幼児教育のようなもの。ある親は家に帰ったあと「ジッパーの開け方」の「正解」「答え」を教えて翌日開けさせることができるようにしたという。しかしこの教育のポイントは「ジッパー」という見たことのない「難問」に直面した幼児がそれを「解決」しようと悪戦苦闘し考えることによる幼児の成長にあるという。これはなかなか深い話しであり学校教育のみならず学問とは何か、人生のそもそもの意味とは何かにつながる話しである。「要領のいい人」「計算高い人」「結果のみを求めて過程をとばす人」は、ポンポン結果を出し「ゲット!」「またゲット!」「またまたゲット!」と「得」し続けるかもしれない。その確率は高まるかもしれない。しかし「努力」「真面目」「地道」「過程」にこだわり一歩ずつ悩み苦しみ楽しみ味わいながら進んで行く生き方をたかみなは選んだのだ。「努力は必ず報われる」というのはたかみなの願いであり信仰告白だったのだ「報われる」という言葉に込められた意味。それは「今は駄目だけど」とか「すぐには結果は出ないけど」とか「きっと誰かが見ていてくれる」という切実な「結果までの時間差の意識」なのだ。「真面目な人は得しない」「でもわたしは真面目に生きる」「努力は必ず報われる」と信じている。という思考の道筋なのである。「結果が出る確率やスピード」では「計算の人」に「真面目な人」は叶わないかもしれない。でも私は「努力は必ず報われる」と信じている。「人生の本当の意味」「人生の本当の楽しさ」をたかみなはぶれずに抱きしめ続けているのだ。
24日に東京に帰って来た。その日はゆきりんの黒服物語が始まった日だった。前々からドラマの情報は知っていて、東京ローカルだと思っていてとっくに始まっていたものと思っていたが違ったのだ。正確にはその時点でも東京ローカルだと思っていたが後に調べたら名古屋でもやっていたようだ。しかし番組直後のミニ番組は東京ローカルのようだ。しかしややこしいことに名古屋ではTBSが5チャンネル、テレビ朝日が6チャンネル。そう、逆なのである。このシステムの交錯というか混乱というか行き違いが思いもよらないトラブルの元となるのだ。私は3チューナーの録画機でワールドビジネスサテライトと黒服物語とニュース23を録画予約していたのだが、黒服物語を外部入力モードのようなテレビ画面で見ていた。それがニュース23の録画開始の準備の始まりによりチャンネルが勝手にTBSに換わってしまったのだ。まだゆきりんは登場していなかったが慌てた私はテレビリモコンでテレビ朝日にチャンネルを換えた。しかしテレビの不調、トラブルにより画面が真っ黒。慌てた私は黒服物語の視聴を何とか続行させるため外部入力モードというかブルーレイデッキのモードに変更する。しかしそこではワールドビジネスサテライトかニュース23の前番組である鶴瓶の番組(Aスタジオ?)しか観られない状態。システム的に2チャンネルしか観られないのだ。仕方なく私はTBSの録画を一時停止して(正確には録画開始準備状態の停止)、テレビ朝日に外部入力モードでチャンネルを換えようと思った。問題はここである。3ヶ月の名古屋生活によりTBS系は5チャンネル、テレビ朝日系は6チャンネルとインプットされていたため思わず黒服物語を録画中の5チャンネル、つまりテレビ朝日の録画を停止してしまったのだ。すぐにミスに気付き録画を再開したのだが、このてんやわんやの中でETVでケンブリッジ白熱教室が放送中であるのに気付きそちらを視聴してしまう。もう始まって25分ほど経過してしまっていた。私の興味のあるサルトルやカミュ実存主義の話だ。この番組は今回で3回目。毎週金曜日午後11時から放送していたのだ。この枠は愛聴、愛聴はラジオか、テレビだからさしずめ愛視聴か。愛視聴していた宮沢章夫がやっていた『戦後日本サブカルチャー史』の枠である。つまり録画機はETVとテレビ東京とテレビ朝日を録画している状態で黒服物語は後で見るという計画になったのだ。途中からだったがサルトルやカミュの話は面白かった。残念ながら再放送はないみたいだ。サブカルチャー史も再放送はなかったようだが。大変見応えのあった番組であったのでNHKは今後何度も再放送するべきなのではあるまいか。あるいはまたそのような番組の変種を作るとか。変種といえばこのまえ再放送していたETVの平凡パンチとガロの時代も大変面白かったが。やはりというかあらためてというかつげ義春や蛭子能収やラジカルガジベリビンバシステムの後継者的な表現者になりたいというか、こういうのが好きだなあと思う次第である。どこまで話したか。何の話しか。実存主義番組の話を少しすると、最後「人間とは全体になれない全体的なものである」というような事を言っていた。録画したものを観てみないとわからないけれど。しかしそのようなことは今読んでいる『存在論的郵便的』にも出てくる。まあ実存主義以降の哲学の本なので当たり前なのだが、しかしやっと95%ぐらいまで読み進んだ。15年かかった。しかし「哲学」ならとりあえず『構造と力』と『存在論的郵便的』が一種入門書というか見取り図といった感じかもしれない。しかし入門書とは言え読むのに一苦労かもしれないが。しかし今バタイユの『マダム・エドワルダ』も読んでいるのだがそこに収められた小説や論考を読むにつけ、ある程度ニーチェやバタイユを読んでいると『構造と力』や『存在論的郵便的』も理解しやすくなるだろうと思う。私の読書は入門書、解説書の類いを大量に買い込み外堀ばかりをぐるぐる回りいつまでたっても本丸に踏み込まない踏み込めないような読書なのだがまあそれはそれでいいだろう。いいのか?本当にいいのか?まあしょうがないとして、本自体はずっと前から持ってるけどね。ハイデガーとかカントとかマルクスとか…でも本も高いしね…ヘーゲルの『精神現象学』とか。でもこつこつちょっとずつ買ってきたんですよ。ドゥルーズとかガタリとかデリダとかフーコーとかそのあたり…次は『野戦と永遠』を読む読書計画でありますが…どこまで話しましたか?黒服物語を後で観たのですが、悪い予感というか、ゆきりん登場!の1分後ぐらいに録画が停止していたのです!20秒後ぐらいに録画は再開していましたが…不覚というかなんというか…不覚といえばAKB48のチーム8のイベントも東京へ帰った翌日の25日に名古屋てあったみたいなんですよ!豊田スタジアムの無料イベントでチーム8に魅了された身としては不覚であるかもしれません。「肉感的なまいんちゃん」という印象だった三重県代表の山本亜依ちゃんが気になります。というか豊田スタジアムのイベントでは途中から見つけて双眼鏡でずっと見てました。この話や渋谷の話はまた書きます。それではまた。
以前も書いたけどまた思うところがあったので書いてみたいと思う。しかしそれにしてもSKE48の『未来とは?』は超名曲だと思う。まあそれはとりあえず置いといて、AKB48とは前田敦子の未来のことである。という秋元康の言葉についてであるけれども、やはりここまでAKB48を見てきて思うのは「世代交代」は避けられないということ、「世代交代」がうまくいかなければAKB48の未来はないということだ。秋元康がAKBグループをプロ野球や宝塚のようなものにしたいというプランは知っていた。しかしイマイチ体感していなかったのかもしれない。それは旧来のアイドルの形に慣れていて、あっちゃんや麻里子さまやたかみなの、あのAKB48が永遠に続く、続いて欲しいという幻想を、過去のアイドル史を見ればあり得ないことはわかりきっていて、自分自身永遠の存続を願っていたこともすっかり忘れてしまい、新しいアイドルを見つけるという茶番劇が繰り返されることははっきりしているのに都合よく隠蔽してしまい、このままのAKB48にこだわり続け、「世代交代」というものをいまひとつ積極的に受け入れられずオリジナルメンバーの永久存続幻想を持っていたのかもしれない。ある意味冷たい視線で見れば同一グループの永遠存続には世代交代は欠かせない。よく考えたらというかよく考えなくても「日本人」も「人類」も130年ぐらいすれば全メンバーが入れ替わる。それは頭ではわかっているがピンとこないというかピンとこないようにわざとしているようなところがある。みんないつかは死ぬ。みんな入れ替わる。という真実なんだけどあまり考えたくない真実。それを忘れて生きているところがある。そんな人生の中で日々メンバーは「卒業」していく。人類の「オリジナルメンバー」はとっくにいないのである。なんとなくぼんやりとこの仲間たちが永遠に続くと思ってる。でもそんな事は嘘でいつかみんないなくなることも知っている。でも「日本人」や「人類」は続くだろう。続いて欲しいと思ってる。アイドルグループ解散の宿命をプロ野球的世代交代で乗り越える。「個人」ではなく「種族」なのだ。なぜ「AKB48とは前田敦子の未来のことである。」なのか。AKB48のコンセプトとして「夢をかなえるためのステップ」というものがあったと思う。しかしAKB48が成功しすぎてしまい日本の芸能界のトップになってしまったことで奇妙なねじれというか「未来の消失」とでもいうべき状況が生まれてしまったということはあると思うけど、やはり「有望な新人」にどんどん入って来て貰うにはAKB48の初代顔である前田敦子の未来が魅力的に輝くことが必要だ。その意味でAKB48の未来は前田敦子の未来にかかっているとも言える。前田敦子の未来次第でAKB48が変わってくるとも言えるのだ。「AKB48とは前田敦子の未来のことである。」とはそのような意味なのかもしれないと思った。