今回の博多出張の宿泊予約は、出張でのGoToトラベルが禁止となる直前の11/5に取った。

正規の料金は、朝夕食込みで13,000円。

実際に支払うのは、GoToの35%割引きで、13000×0.65=8,450円

地域共通クーポン2,000円がチェックイン時にもらえる。(ただし、会社の通達で使用できない。)

夕食は近隣のお店で使える食事券が5,000円分付いてた。
もちろん、使えるお店が事前に分かってたので、GoToイートを利用して2人分をあらかじめ予約しておいた。
だから、Tポイントが2,000ポイント。もちろん、ポイントは割り勘にした。

夕食は、何とかという魚ビルの中にあるうなぎ屋にした。
魚ビルの別のお店から、ヤリイカの姿造り。
(博多に来ると、イカが食べたくなる。)


うな重にしようとしたけど、このお店のうな重はごはんとうなぎが別々でごはんにはタレがかかっていないので、うな丼にした。


見たとおりの上品な味で僕にはイマイチだった。
これが今年最後のうなぎかと思うとちょっと悲しくなった。

ヤリイカは、別料金を払ってエンペラとゲソを天ぷらにしてもらった。


朝食は、珍しくイタリアン朝食だった。
料理の説明がなかったので、何を食べてるかよく分からなかった。(汗)


8,450(料金)ー5,000(夕食代)ー2,000(地域クーポン代)ー1,000(Tポイント)=450円

450円が朝食代と宿泊代になるので、宿泊代はほぼゼロかな。


中洲川端でカロリーたっぷりのアップルパイを食べた(笑)ので、腹ごなしに櫛田神社まで歩くことにした。

櫛田神社は、博多の総氏神様として最古の歴史があり、天照皇大神(大神宮)、大幡主大神(櫛田宮)、素戔鳴大神(祗園宮)が祀られている。
祗園宮の博多祗園山笠、大神宮の博多おくんち、櫛田宮の節分大祭が有名である。



境内には山笠の山車も。


こんな大きな山車の引き回しを一度は見てみたい。と思ったら、これは飾り山笠と言われるもので、実際に引き回しするのはずっと小さいものだそうだ。(電線などの関係で小さくなってきたとのこと)

もちろん、御朱印もいただいてきた。


博多出張では呉服町あたりで打合せで、打合せまで時間があったので、祇園駅近くの東長寺に寄った。

ここは、弘法大師(空海)が唐での修行を終え、日本で最初に創建した真言密教の大変由緒正しいお寺だそうだ。
しかも、木造座像では日本一の大仏があるが、福岡県民もあまり知らないようである。


平成23年に完成した鮮やかな五重塔は、背景のビルとあいまってなかなかの風情がある。


もちろん、最近マイブームの御朱印も戴いてきた。


博多出張の際、呉服町あたりで打合せをして、美味しいアップルパイがあると聞いたので、歩いてやってきた。

注文してから焼き上げるため、20分ほど時間がかかり、出てきたのがこちら。
写真では分かりづらいが、アイスクリームの下には、リンゴがまるごと1個入っている。


キャラメル味が強いので、アイスクリームがちょうどいい感じだった。

うちのクリニックの師長の得意料理のひとつにアップルパイがある。絶品だと自画自賛している。
ただ、誰も食べた人がいないので、幻のアップルパイと呼ばれているようだ。(笑)

ぜひ、このアップルパイを師長に食べてもらいたい。

お店は、東京、大阪、札幌、福岡にあるが、なぜか名古屋にはない。


長崎ネタをひとつ忘れてた。(汗)

それは、長崎駅近くの西坂公園にある日本二十六聖人殉教地。
キリスト教の信仰を理由に日本で初めて殉教したところである。


日本には2人のローマ教皇が訪問されているが、平和祈念像のある平和公園には行かれてないが、ここの殉教地には必ず立ち寄られているくらいカトリック教徒には有名なところ。(バチカンが認める公式巡礼地である。)

ところで、ローマ法皇とは言わずローマ教皇と統一して言うようになったのは、1年前のフランシスコ・ローマ教皇の訪日からである。(詳細は、こちら。)

豊臣秀吉は京都奉行の石田三成に命じて、大阪と京都でフランシスコ会関係者21名とイエズス会関係者3名の計24名を捕縛した。
長崎で処刑せよとの命を受けて、大阪から長崎まで歩いて護送され、途中で世話をするように依頼され付き添っていた2人も捕縛されてしまった。
長崎に到着した26名の中にわずか12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見た処刑責任者の寺沢半四郎は哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てれば、お前の命を助けてやる」とルドビコに持ちかけたが、「(この世の)つかの間の命と(天国での)永遠の命を取り替えることはできない」と寺沢の申し出を断った。
26名は西坂の丘がキリストが処刑されたゴルゴダの丘に似ているという理由で、この場所を処刑場に望んだと言われている。
慶長元年12月19日(1597年2月5日)26名は槍で両脇を刺し貫かれ絶命した。
この26名の殉教の出来事はヨーロッパなどに広く伝わり、ローマ教皇は盛大な式典をローマでおこない、26名の殉教者を聖人に加え、「日本二十六聖人」と称された。