長崎ネタをひとつ忘れてた。(汗)

それは、長崎駅近くの西坂公園にある日本二十六聖人殉教地。
キリスト教の信仰を理由に日本で初めて殉教したところである。


日本には2人のローマ教皇が訪問されているが、平和祈念像のある平和公園には行かれてないが、ここの殉教地には必ず立ち寄られているくらいカトリック教徒には有名なところ。(バチカンが認める公式巡礼地である。)

ところで、ローマ法皇とは言わずローマ教皇と統一して言うようになったのは、1年前のフランシスコ・ローマ教皇の訪日からである。(詳細は、こちら。)

豊臣秀吉は京都奉行の石田三成に命じて、大阪と京都でフランシスコ会関係者21名とイエズス会関係者3名の計24名を捕縛した。
長崎で処刑せよとの命を受けて、大阪から長崎まで歩いて護送され、途中で世話をするように依頼され付き添っていた2人も捕縛されてしまった。
長崎に到着した26名の中にわずか12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見た処刑責任者の寺沢半四郎は哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てれば、お前の命を助けてやる」とルドビコに持ちかけたが、「(この世の)つかの間の命と(天国での)永遠の命を取り替えることはできない」と寺沢の申し出を断った。
26名は西坂の丘がキリストが処刑されたゴルゴダの丘に似ているという理由で、この場所を処刑場に望んだと言われている。
慶長元年12月19日(1597年2月5日)26名は槍で両脇を刺し貫かれ絶命した。
この26名の殉教の出来事はヨーロッパなどに広く伝わり、ローマ教皇は盛大な式典をローマでおこない、26名の殉教者を聖人に加え、「日本二十六聖人」と称された。