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さようなら松田選手

これは、8月4日のスポニチアネックスの記事です。


 「サッカー元日本代表で、日本フットボールリーグ松本山雅FCに


所属する松田直樹選手(34)が4日午後1時6分、


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長野県松本市内の病院で死去した。

 
関係者によると、0時半ごろには脈拍が弱くなり、


息を引きとる際には家族が看取ったという。

 
 松田選手は2日午前9時半ごろ、松本市のグラウンドで練習中に倒れ、


見学していた女性看護師が心臓マッサージを施したが、病院に搬送された時は


既に心肺停止状態だった。

 その後、微弱ながら心臓の鼓動が戻り、人工心肺装置で血流を


維持したが意識は戻らなかった。


 松田選手は群馬県出身。1995年から昨季まで横浜Mでプレー。


日本代表として40試合に出場し、2002年ワールドカップ(W杯)


日韓大会でも活躍した。今季から松本山雅FCに移籍した。」





そして、今夜、通夜が営まれ、元マリノスの仲間、俊輔や中澤、岡田監督、


トルシエ監督もきてたそうです。



自分は、特に、松田が大好きというわけでもないのですが、


日本代表戦は、ずっと、見てきたし、彼の熱血漢あふれるプレーは、


毎回、興奮したし、サッカー日本代表の未来を明るくしてくれたと思う。




それが、、、、こんな、、不意な事故で、息を引き取るとは、、、、。


強いて、よかったのは、心肺停止の状態になったおかげで、


自分が死んでしまったことに気付いていないかもしれない。




もう、日も経ってるんで、書くのどうしようかと思ったけど、


やっぱり、書かずにはいられなかった。





松田選手のマリノス最後のあいさつ





今日は、皆が言うような、普通のことしか言えない、、、。


若すぎる、この言葉を、全国の人たちが、何万回、何億回、言っただろうか?




松田選手、さようなら。



あなたが、ピッチに上がる前に、テンションあげるために聴いたという


OASISで、送らせていただきます。










RIP

川崎方面の仕事続くね~~~ジョー山中氏の死去

2週間ぶりに、鹿島市の1か月の出張から戻った相棒と、


また、一緒に仕事へ向ったよ。


しかも、また、川崎方面。


また、どっかの会社のデータセンターっぽい現場で、


Oさん含めた8人で、電池点検。


朝、車の中で、相棒に話した、先日の顛末が


昼休憩のときに、また、Oさんは、いつもの調子で、


楽しそうに、俺の失態をみなに、披露する。


てか、皆に、それぞれ、絡むので、おれだけじゃないんだが、


しかし、よく、しゃべるわwww


嫌味はないので、腹は立たないし、むしろ、俺の行為が、


笑いの種になるなら、本望だw





仕事は、ほんと、今日は、楽な方だったけど、足腰が痛むのは、


脚立に長時間乗って、しかも、カラダをくねらせて、


電圧測定しなきゃならないからだと思った。




そんでね、その休憩ちうに、ツイのTLを見たら、ツイ友が、


「ジョー山中さんのご冥福をお祈りいたします」


って、言ってるもんだから、思わず、


「まじで~?」と聴いてみたら、ニュースも流れてきて、


本当だということを知った。


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裕也氏と、鮎川氏の間にいるのが、ジョー氏。







正直言って、ジョー山中氏のことは、あまり、よく知らない。


ロックンロールのドン、内田裕也氏プロデュースで、70年前半に


「フラワートラべリンバンド」で、ボーカルとして、海外で活動したことと、


角川映画の松田優作主演の「人間の証明」に、出演し、


テーマ曲「人間の証明のテーマ」を歌ってたこと、


最近は、裕也氏の元、シナロケや、裕也氏のトルーマン・カポーティ・バンドの


三原康可氏たちで、各地で、震災後、援助募金に行ってたことくらいしか、、、。



ちなみに、現場の同年代の人たちが、まったく知らないのには、びっくりした!



肺がんで、64歳、、、、早すぎるよ、、、、。



「HAPPY BIRTHDAY JOHN」で、一度、見ただけです、、、、。







ジョー山中氏のご冥福をお祈りいたします。



この曲の原詩は、西條八十という明治の詩人の「ぼくの帽子」を英語にしたものです。


うちの妻が、優作ファンで、高校の時に、


その詩集を借りた覚えが、よみがえります。



MAMA~。DO YOU REMEMBER~?A OLD STRAWHAT YOU GAVE TO ME ~♪













ロクデナシ

なんかねえ、今日は、呆れる位に、おれはロクデナシだったね、、、、、



川崎溝の口での仕事だったんだけど、


この前も登場した頭の人が、駅前近くで拾ってくれるハズだったのに、



30分も前に余裕で着いたのに、見つからない、、、、。



焦る自分!!!!


さすがに、付近をあちこち、見ても、わからんので、TELした。


で、言われたようにしたつもりが、方向音痴なんだな、、、、


また、反対いっちまったよ、、、、。


それを車から見えてるらしく、また、TELが入る!



「おい!そっち、逆じゃねえか!」


「す、すいません!今、そっち側、行きます!」



いやあ、もう、朝から、怒鳴られまくり、、、。





で、むかう先の商業施設兼ホテルは、先日、父の墓参りの後に、


乗換駅だからと、母が、わざわざ、そこへ行くバスの情報を調べて


留守電に入れてくれてたから、お迎えがなくとも、それで行けたんだ。(←子供かっ!)


だいたい、この前、母に、次、溝の口で仕事ったら、


「〇〇〇?」

と、ズバリ当てたくらい有名な場所らしかったし、


もっと言ってしまえば、着いたその建物は、数年前に、


溝の口から二駅のところにある実家から、弟と歩いて、そこの前も


通ったことがあることに気付いた!



まったくもって、呆れたよ、、、。





さて、仕事は、8人で、3手にわかれてた変電設備に入り、



既設の電池の点検。



そのうちの一人は、怖いもんなしの、頭の人も、抗鬱剤を増強しないと、



とても、やってらんない、そして、皆にも、恐れられてる人も登場!





仕事内容的にはね、今までやってきた内容のものだったんだけど、


俺はまた、その頭の人(これから、Oさんにしよ)と、あと、一人の若者と


同じグループ。



でね、そのOさんは、俺に今までやったことのない、つまり、


こういうパターンでも、いつも、相棒がやってたことを指示してきた。



いやあ、まさか、こう来るとは、、、、。



でも、Oさんが言うように、実際に、自分でやらなきゃ、覚えられない!



で、わかんないことは、逐一聴けよ!てわけだけど、



しょっぱなから、書類の書き方、あと、どこを見たらいいか、わからない。



もう、怒られてばっかし、、、、。





さらには、休憩後、ほかのグループの入る設備のカギあけてきて、って、


言われたのも、もう、ドアを出たら、さっき、行ったはずの場所が


もう、わからず、グルグルまわる。



もうちょっとで、溶けてバターになるところだった、、、(汗)



で、見かねたメンバーが探しに表にきたようで、


やっと、2つの場所のカギを開けられた、、、、。



皆を待たせてしまって、大謝りだよ。



そしたら、今度は、元出てきた場所がわかんなくなって、



もう、泣きそうになったっつうか、まじ、ロクデナシだとおもっったよ!







これって、仕事以前の問題だよ、、、、。



俺はもう、アルツかっ!



あ~~、なさけね~~!!



比較的、早めに終わったことと、さっきの、超嫌われ者の人が


今日は、機嫌よかったことだけ、救われた。





そんな、俺にピッタリだぜ!






う~ん、ヒロトは、俺のために歌ってる!!


間奏のマーシーのギターリフは、MODSのパクリだけど、


どっちも、大好きだから、いいや!

















くr

大原麗子さんの命日

相変わらず、からだ、バキバキの私ですが、


みなさん、いかがおすごしでしょうか?



今日は、特になんてことはないのですが、思い出話でも、一つw






8月3日は、元・女優の大原麗子さんの命日です。

>$JUN☆ROCKERのFIGHTING’ON-ooh




2年前の今日、不整脈による脳内出血で、お亡くなりになりました。






自分が、なんで、こんな話をするかというと、


今まで、前職では、いろんな芸能人や、アーティストを見てきたわけですが、


新入社員の頃、秋葉の支店に勤務してる頃、


よく、先輩たちに、からかわれてたわけですが、



その日も、


「おい、おまえの好きなタレント誰だっけ?」と、ビーバップ系の主任が言うので、


「え?KYON2です!」


「お~~、それそれ!今、本店のオーディオ売り場に来てるってよ!」


「行ってきていいですか?」




てことで、もう、興奮しながら、近くの(今でも立ってる)本店に、


走って向かった。



その時は、開店まもなくて、お客はほぼいなく、


なんだ、いねえじゃん!!と思ったら、


カウンターのところで、店員を待ってるのが、


大原麗子さんだったんです!



すごい大女優にも関わらず、自分は、KYON2でなかったことが、


残念で、しょげて店に戻りました。


おそらく、彼女を見て、がっかりしたのは、おれだけだろうと思います。





それ以外は、特に彼女に対する思い入れとかはないのですが、


きっと、時代が変われば、ファンになってたかもしれません。


だって、若いとき、こんなにかわいんですよ?


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しかし、この年(2009年)は、ライブを見た人、会ったことある芸能人が、沢山亡くなりました。


麗子さん、キヨシロー、マイケル、フォーリーブスの青山孝、ミッシェルのアベフトシ、


みな、見てます。


麗子さん、すいませんでした。


天国で安らかに。





数年ぶりの父の墓参り

昨日(8月1日)は、数年ぶりで、父の墓参りに、母と弟と行ってきた。


ほんとうは、6日が、命日なんだけどね、うちの母も、忙しいらしくて、


この日になった。




この数年といったら、会社の終わりがけから、カラダを壊して、


現在まで、ずっと、長距離の移動が困難だったわけで。



なんせ、大田区の自宅から、途中、溝の口で、母・弟と待ち合わせて、



父の眠る、奥多摩まで行くのに、電車で、3時間半もかかる。



今まで、長時間、立ってることも、座ってることも困難だった


自分には、かなり、きつい事だった。




でもさ、毎年、やはり、行きたくてしょうがなかったんだよ!




これが、俺が生まれた直後の両親。

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父は、母と、秋田から出てくる前から、農林省(現・農林水産省)で、働いており、


自分も、父の転勤のおかげで、小3までは、あちこちに引っ越した。


東京・北区東十条⇒江東区・深川⇒神奈川県横浜市六浦⇒東京・品川区西大井


品川区が、最も長く、小2の秋から、大学浪人するまで、そこで、過ごした。


父は、霞が関の食糧庁に勤務し、お米に関する仕事をしてた。



ちなみに、今、住んでるところは、そこから、あるいて数分だ。





さて、奥多摩についたら、寒いのなんの!!


霧も出てるし、小雨も降ってる、、、、、、。


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山をなめちゃ、あかんぜよ!


MODS以来、カッパ買ったし、、、、、。



何年もカッパなんか、買ったことないのに、今年、2回も買ってるし、、、。




駅の上の食堂で3人で、そばをくらう。


それから、霊園に連絡して、送迎バスを呼ぶ。


したら、別の家族が、すでに呼んでたようで、すぐにきて、ラッキー!




奥多摩霊園と一口に言っても、山の斜面にかなり広く、あるわけで、


自分らは、手前のところで、おろしてもらう。


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そして、3人で、父の墓前へ向かう。


俺は、この日を何年、待ったことか!!


言いようのない想いがあふれてきた。涙とともに。


全部、自分でやりたいくらいだった。


墓の掃除も、花をやるのも、線香をたくのも、まあ、そうは、いかなかったけどさ。


見たくない人は見ないでいいよ。



父のお墓をUPするから。









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皆でお祈りをしながら、


俺は、声に出して、


「父さん、ごめんな。やっと、これたよ。この何年か、

 
 父さん、知ってると思うけど、色々あって、来れる状態じゃなかったんだ、、」



なんか、この数年の閊えてた物が、すっきりした気がした。


いったん、皆と、墓を後にしようとした時、


父が家で酔っぱらうとよく歌った、ジャズボーカルの中で、


最も好きだったと思われるNAT KING COLEを聴かせるの忘れたので、


戻って、墓の前で愛フォンから、「TOO YOUNG]を流した。



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ちなみに、葬儀の時、棺桶にも、KINGのLPを入れたんだ。

ラジカセで、ずっと、KINGを流してたしね。



そして、タイミングよく、来たバスで、駅まで。


帰りも、同じく3時間半ほどの道程。



墓参りに行けたとはいえ、やっぱし、からだには、きっかった。


帰ってから、ずっと、腰、背中が、バキバキです。


座りっぱなしだったから。





でもさ、ほんとに、行けてよかったよ!






あ、父が、亡くなる間近の写真。



これは、川崎の実家にて。左が弟。右が妹。(89年)


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これは、結婚した直後に、唯一、両家族が集まって、水上温泉行った時のもの。(90年)

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父が亡くなったのは、94年の暑い日だった。


咽頭がんで、半年入院した後、亡くなりました。




父親の存在って、人によって、違うけど、


俺は、今の自分の息子よりも、かなり長く反抗してきたし、


が、会社に入ったり、結婚したりするにつれ、


父の気持ちがどんどん、わかってくるようになった。



そして、亡くなった直後は、なぜか、涙がでなかったのに、


半年くらい経って、その大きさが押し寄せてきて、


しばらく、心の中に、ポカーンと大きな穴が開いた気がした。



俺は、父の、サラリーマン姿を見て、絶対になりたくなかったんだけど、


働くようになって、自分もサラリーマンになってから、真の意味で


尊敬するようになった。



がむしゃらに、働き続けた、高度経済成長期に、


日本人のお米のために、力を注いだ父を誇りに思います。


父さん、あらためて、ありがとう。


また、これ、書きながら、鼻水たらしてます。




また、お墓行くからね。遠くて、年に何回もいけないだろうけどさ。


じゃ、また、これ、聴いてよね、天国でw








あ、もひとつ、、、、、、



家庭の問題で、妻と子供たち、つれてけなくて、ごめん。


いつか、なんとかするからよ~!