数年ぶりの父の墓参り
昨日(8月1日)は、数年ぶりで、父の墓参りに、母と弟と行ってきた。
ほんとうは、6日が、命日なんだけどね、うちの母も、忙しいらしくて、
この日になった。
この数年といったら、会社の終わりがけから、カラダを壊して、
現在まで、ずっと、長距離の移動が困難だったわけで。
なんせ、大田区の自宅から、途中、溝の口で、母・弟と待ち合わせて、
父の眠る、奥多摩まで行くのに、電車で、3時間半もかかる。
今まで、長時間、立ってることも、座ってることも困難だった
自分には、かなり、きつい事だった。
でもさ、毎年、やはり、行きたくてしょうがなかったんだよ!
これが、俺が生まれた直後の両親。

父は、母と、秋田から出てくる前から、農林省(現・農林水産省)で、働いており、
自分も、父の転勤のおかげで、小3までは、あちこちに引っ越した。
東京・北区東十条⇒江東区・深川⇒神奈川県横浜市六浦⇒東京・品川区西大井
品川区が、最も長く、小2の秋から、大学浪人するまで、そこで、過ごした。
父は、霞が関の食糧庁に勤務し、お米に関する仕事をしてた。
ちなみに、今、住んでるところは、そこから、あるいて数分だ。
さて、奥多摩についたら、寒いのなんの!!
霧も出てるし、小雨も降ってる、、、、、、。


山をなめちゃ、あかんぜよ!
MODS以来、カッパ買ったし、、、、、。
何年もカッパなんか、買ったことないのに、今年、2回も買ってるし、、、。
駅の上の食堂で3人で、そばをくらう。
それから、霊園に連絡して、送迎バスを呼ぶ。
したら、別の家族が、すでに呼んでたようで、すぐにきて、ラッキー!
奥多摩霊園と一口に言っても、山の斜面にかなり広く、あるわけで、
自分らは、手前のところで、おろしてもらう。

そして、3人で、父の墓前へ向かう。
俺は、この日を何年、待ったことか!!
言いようのない想いがあふれてきた。涙とともに。
全部、自分でやりたいくらいだった。
墓の掃除も、花をやるのも、線香をたくのも、まあ、そうは、いかなかったけどさ。
見たくない人は見ないでいいよ。
父のお墓をUPするから。

皆でお祈りをしながら、
俺は、声に出して、
「父さん、ごめんな。やっと、これたよ。この何年か、
父さん、知ってると思うけど、色々あって、来れる状態じゃなかったんだ、、」
なんか、この数年の閊えてた物が、すっきりした気がした。
いったん、皆と、墓を後にしようとした時、
父が家で酔っぱらうとよく歌った、ジャズボーカルの中で、
最も好きだったと思われるNAT KING COLEを聴かせるの忘れたので、
戻って、墓の前で愛フォンから、「TOO YOUNG]を流した。

ちなみに、葬儀の時、棺桶にも、KINGのLPを入れたんだ。
ラジカセで、ずっと、KINGを流してたしね。
そして、タイミングよく、来たバスで、駅まで。
帰りも、同じく3時間半ほどの道程。
墓参りに行けたとはいえ、やっぱし、からだには、きっかった。
帰ってから、ずっと、腰、背中が、バキバキです。
座りっぱなしだったから。
でもさ、ほんとに、行けてよかったよ!
あ、父が、亡くなる間近の写真。
これは、川崎の実家にて。左が弟。右が妹。(89年)

これは、結婚した直後に、唯一、両家族が集まって、水上温泉行った時のもの。(90年)

父が亡くなったのは、94年の暑い日だった。
咽頭がんで、半年入院した後、亡くなりました。
父親の存在って、人によって、違うけど、
俺は、今の自分の息子よりも、かなり長く反抗してきたし、
が、会社に入ったり、結婚したりするにつれ、
父の気持ちがどんどん、わかってくるようになった。
そして、亡くなった直後は、なぜか、涙がでなかったのに、
半年くらい経って、その大きさが押し寄せてきて、
しばらく、心の中に、ポカーンと大きな穴が開いた気がした。
俺は、父の、サラリーマン姿を見て、絶対になりたくなかったんだけど、
働くようになって、自分もサラリーマンになってから、真の意味で
尊敬するようになった。
がむしゃらに、働き続けた、高度経済成長期に、
日本人のお米のために、力を注いだ父を誇りに思います。
父さん、あらためて、ありがとう。
また、これ、書きながら、鼻水たらしてます。
また、お墓行くからね。遠くて、年に何回もいけないだろうけどさ。
じゃ、また、これ、聴いてよね、天国でw
あ、もひとつ、、、、、、
家庭の問題で、妻と子供たち、つれてけなくて、ごめん。
いつか、なんとかするからよ~!
ほんとうは、6日が、命日なんだけどね、うちの母も、忙しいらしくて、
この日になった。
この数年といったら、会社の終わりがけから、カラダを壊して、
現在まで、ずっと、長距離の移動が困難だったわけで。
なんせ、大田区の自宅から、途中、溝の口で、母・弟と待ち合わせて、
父の眠る、奥多摩まで行くのに、電車で、3時間半もかかる。
今まで、長時間、立ってることも、座ってることも困難だった
自分には、かなり、きつい事だった。
でもさ、毎年、やはり、行きたくてしょうがなかったんだよ!
これが、俺が生まれた直後の両親。

父は、母と、秋田から出てくる前から、農林省(現・農林水産省)で、働いており、
自分も、父の転勤のおかげで、小3までは、あちこちに引っ越した。
東京・北区東十条⇒江東区・深川⇒神奈川県横浜市六浦⇒東京・品川区西大井
品川区が、最も長く、小2の秋から、大学浪人するまで、そこで、過ごした。
父は、霞が関の食糧庁に勤務し、お米に関する仕事をしてた。
ちなみに、今、住んでるところは、そこから、あるいて数分だ。
さて、奥多摩についたら、寒いのなんの!!
霧も出てるし、小雨も降ってる、、、、、、。


山をなめちゃ、あかんぜよ!
MODS以来、カッパ買ったし、、、、、。
何年もカッパなんか、買ったことないのに、今年、2回も買ってるし、、、。
駅の上の食堂で3人で、そばをくらう。
それから、霊園に連絡して、送迎バスを呼ぶ。
したら、別の家族が、すでに呼んでたようで、すぐにきて、ラッキー!
奥多摩霊園と一口に言っても、山の斜面にかなり広く、あるわけで、
自分らは、手前のところで、おろしてもらう。

そして、3人で、父の墓前へ向かう。
俺は、この日を何年、待ったことか!!
言いようのない想いがあふれてきた。涙とともに。
全部、自分でやりたいくらいだった。
墓の掃除も、花をやるのも、線香をたくのも、まあ、そうは、いかなかったけどさ。
見たくない人は見ないでいいよ。
父のお墓をUPするから。

皆でお祈りをしながら、
俺は、声に出して、
「父さん、ごめんな。やっと、これたよ。この何年か、
父さん、知ってると思うけど、色々あって、来れる状態じゃなかったんだ、、」
なんか、この数年の閊えてた物が、すっきりした気がした。
いったん、皆と、墓を後にしようとした時、
父が家で酔っぱらうとよく歌った、ジャズボーカルの中で、
最も好きだったと思われるNAT KING COLEを聴かせるの忘れたので、
戻って、墓の前で愛フォンから、「TOO YOUNG]を流した。

ちなみに、葬儀の時、棺桶にも、KINGのLPを入れたんだ。
ラジカセで、ずっと、KINGを流してたしね。
そして、タイミングよく、来たバスで、駅まで。
帰りも、同じく3時間半ほどの道程。
墓参りに行けたとはいえ、やっぱし、からだには、きっかった。
帰ってから、ずっと、腰、背中が、バキバキです。
座りっぱなしだったから。
でもさ、ほんとに、行けてよかったよ!
あ、父が、亡くなる間近の写真。
これは、川崎の実家にて。左が弟。右が妹。(89年)

これは、結婚した直後に、唯一、両家族が集まって、水上温泉行った時のもの。(90年)

父が亡くなったのは、94年の暑い日だった。
咽頭がんで、半年入院した後、亡くなりました。
父親の存在って、人によって、違うけど、
俺は、今の自分の息子よりも、かなり長く反抗してきたし、
が、会社に入ったり、結婚したりするにつれ、
父の気持ちがどんどん、わかってくるようになった。
そして、亡くなった直後は、なぜか、涙がでなかったのに、
半年くらい経って、その大きさが押し寄せてきて、
しばらく、心の中に、ポカーンと大きな穴が開いた気がした。
俺は、父の、サラリーマン姿を見て、絶対になりたくなかったんだけど、
働くようになって、自分もサラリーマンになってから、真の意味で
尊敬するようになった。
がむしゃらに、働き続けた、高度経済成長期に、
日本人のお米のために、力を注いだ父を誇りに思います。
父さん、あらためて、ありがとう。
また、これ、書きながら、鼻水たらしてます。
また、お墓行くからね。遠くて、年に何回もいけないだろうけどさ。
じゃ、また、これ、聴いてよね、天国でw
あ、もひとつ、、、、、、
家庭の問題で、妻と子供たち、つれてけなくて、ごめん。
いつか、なんとかするからよ~!