前回の内容につづくところがありますが。
結果には過程があって、その原因があります。どんなことでも。
もっと若いころは一方的に目に見えるものだけで良し悪しを考え、見えないものは自分の中に入ってこない存在として処理していました。
また、昔からこれと決めたらこれというなんとも面倒な頑固な性格をしているので、あとあと目に見えない情報が入ってきたとしても頑なに拒否していたところがあります。
自身、子の親となって目に付く痛ましい事件、事故のニュース。
その記事を読んでいると中には涙を流さずにはいられないものもあります。なんて惨いことをしたんだろう。なぜここまで鬼になれるんだろう。その考えは今も昔も変わっていません。
自身の年齢もあって、周囲の友人も既婚子持ちが多いです。男女問わず。
特に女性に関してはこういった問題を話題にすると一方的に親を責める傾向があります。以前の私もそうでした。
小さな子供にした仕打ちをそのまま親が被ればいいのに、とか普通に真剣に考えていました。
ですが、最近はちょっと考え方が変わって。
子供は不憫で仕方ない。ただ、親も何らかの犠牲者なのではないか。だとしたら、この親をこの状況にまで陥れた“原因”はなんかのか。
そう考えることが多くなりました。叶うことならこの親も子も両方が救われる手段は無かったのだろうか。
強く、こう考えるようになったのは本当に最近で、痛ましい事件のニュースを知ってからでした。
大阪での自宅マンションから2歳女児を投げ落としたというあの、殺人事件。
これは虐待の末での致死ではなく、突発的にやってしまったというのです。お母さんは育児に悩んでいたとの記事もありました。
事件当時、この二人のほかにお父さんもいたそうで、必死に止めたが振り切って投げ落としたそうです。その状況を想像すると言葉では言い表せない状況なのは言うまでもないでしょう。
お子さんは本当に不憫です。もうそう言うことしかできないのが歯がゆいですが、問題はやってしまったお母さん。どうしてそうなる前に助けることができなかったのでしょう。相談する相手はいなかったのでしょうか。旦那さんはしっかり向き合って育児の悩みを聞いてあげていたのでしょうか。すべてが悪い方向へ向いてしまっての結果…なのですが、本当に防ぎようがなかったのでしょうか。
心理を学ぼうと思ったきっかけは「愛(LOVE)について探究したい」というものでした。
それから約1年半。心理を学んで、いろんな事例を見てきて思ったことは人を好きになることというのは幼少期からの積み重ねではないだろうかということ。虐待されて育った子は、自分が親となっても同じことを自分の子に繰り返すといいます。それは自身の幼少期の体験が言うまでもなく影響しているからなのではないでしょうか。
人の好みは全員違います。似ていてもどこか違います。現在ブライダル系の仕事もしていますが、花嫁からの手紙でよく出てくるフレーズは「新郎はお父さんによく似ています。」というフレーズが多い。つまり人は生まれながらにして、その環境で愛を学んでいくのではないでしょうか。
それが歪曲していたり、足りなかったりするとこういったことが起きる…のではないかと考えています。
その足りない部分を補うために、なにかができるようになりたい。ではなく、なにかをしなければならない。本気でそう思っています。
不幸になる子供が、親がいなくなるその日まで。