夕べアップした前記事ですが、ほんの一瞬の子供たちとの出来事を記録しておきたかっただけのわりに、たくさんの私の思いや言いたかったことが交錯して大変わかりにくい記事になってしまったと反省しております(・_・;)
少し整理して考えていきます。
言いたかったことのすべては前記事の表題にもした、「解き方を教わると忘れるけれど、意味を理解していれば思い出せる」ということがすべてなんですが、分かる人には分かるし、わからない人にはわからないことかもしれません。
まずは解き方を教わっている子どもたち、という事実から。
この典型は長女だったので、長女のことをかかなければなりません。
このブログや前のブログなどでも触れたことはありますが、もう一度書いておくと、小学校1年生から2年生の終わりまでの2年間、私は彼女はなんの心配もなく勉強ができる子だと思っていました。
くもんに通わせていたので、計算問題はすべて高得点を取ってきていたからです。
全く心配していなかった、というと少し語弊があるかもしれません。
理由は、学校のテストで変なところを間違えてくるからです。
算数では文章問題。国語や生活などでもよくありました。
当時はどこがどう変だとかは自分でもはっきりわかっていなかったのですが、今思えば、「本質がわかっているならこういう間違えはおこさないだろう」ということです。
はっきりとこれはマズイ、と思い始めたのは2年生の終わりに持ち帰った算数の文章題ばかりのプリントです。たしざん、ひきざんを織り交ぜた文章題が10問。すべてを間違えていました。
長女はそのとき、
「いつもだったらたし算の問題ですとか、ひき算のもんだいですとか書いてあるからわかるけど、これにはなんにも書いてないんだもん」と言ったのです。
そこから、どうしたかというと、
私はネットで有名教材を調べ、教科書をよみ、たくさんのドリルやいわゆる「メソッド」などが、小学生にどうやって算数を教えているのかを調べ始めました。
そのなかで一番「何が問題なのか」「どうして分からなくなったのか」を的確に説明して、私の思いのど真ん中に入り込んできたのが「どんぐり倶楽部」でした。
ちょっと注釈をいれると、「理論」はともかくも他教材の批判から引き込もうとする宣伝方法や、使用している教室、親のブログが宗教じみてるなどの批判がおおいので有名なメソッドです。
それでもたくさんの通信教材のなかから私がこれを選んだのは、とにかく本質を子供に理解させる方法がここにしかなかったためです。
話をすこしもとに戻します。
その後、小2当時、長女が全部間違っていたプリントは長女だけがそうだったわけではなかったことが判明します。そして、少しだけ学校の対応も変わりました。
おそらく私がネットで小学生の学習方法を勉強しているのと並行するように、学校でもおそらく問題視され、たしざんひきざんの教えかたについて協議でもしたのだろうと予想してます。
しかし、私が長女に数の本質を教えなければならないと結論したのに対して、学校の対応は
『文章問題を解くときに、文のなかに「ぜんぶで」という言葉や「あわせて」という言葉があればたしざん、「ちがいは」とか「のこりは」という言葉があれば引き算です』
と、教え込むことでした。
これこそまさしく、「解き方を教える」ということですよね。
これ以降、私は長女に数の本質を理解させることに苦心しました。
結果的には、長女は「ふた桁の数字は10x+yという文字式で表せる」ということすら理解できていません。
長女が小学校へ通っているあいだ、先生は毎年変わり、何枚もの長女のテストを採点してきたはずですが、ついぞ長女が問題視されたことはありませんでした。
私が予想したとおり、彼女の成績は4年生を境にどんどん落ちる一方でした。
6年生の最後には、算数のテストでバツのついた問題の解き方をこんこんと丸暗記させ、全く同じ問題を再試として解かせ、2度目、3度目の再試でやっと90~100点が取れたということで合格させた先生もいます。
そうやって小学校を卒業した長女は、こんどは中学校で同じ苦労をしている最中です。
次女や三女の宿題をみていると、現在でも小学校では「たし算のことば」「ひきざんのことば」を教え込んでるのは明白です。日々、私は彼女たちに「絵を描いて考えなさい」と助言します。学校と、親との戦いです。
学校は「解き方を教える場所」であって、物事の本質を教える場所ではありません。
物事の本質をとらえ、そこから自分で考えていける子供に育てたいのなら、親が全面的なフォローをしていかなければならない。
そんな時代になってしまっていると思います。