新しい年がスタートした。


なんだか今年は地に足をつけつつも、楽しいこと、自分に向いてることがたくさんできるみたいだ。


そんな予感しかしない!





最初から幸福な状態でいること、幸福を拡大し続けること。



今日、みれいさんの文章の中で腑に落ちたことば。


ここ何年かで、私は私をゆるしはじめている気がする。


その延長線上にあるのだ。







それから年齢は幻ということば。






もう本当にそれに尽きるなぁと。





今の私しか存在しないし、時間の尺度で人と比べても意味がない。




あと何時間私に残されているのかなんて、誰にも今のところわからないはずだし。



だから今の私がやることをやるだけ。



やりたいことをやりたいように。





いたい人と一緒にいるだけ。








年末年始で環境も大幅に変わって、今はこれがフィットしてる気がする。



ぶれていないなぁって、気持ちと思考と体が一緒にいる感じ。




少し前まではあっちこっち飛び回ってた。



一箇所しか居場所がないのもいいかもしれない。



私は少しのことをゆっくりの時間をかけてしかできないのだろう。





もしかしたら、それは私だけではないのかもしれない。
他の人も、同じかもしれない。


私には多くの人が自分のキャパシティをオーバーしているように見える。



オーバーさせなきゃ存続できない世界は、そろそろ変わるのだろう。


みんな気づきはじめてる。





そんの気もする2016。

今、気づいた。


今年は思いがけない昔のことが、形を変えて戻ってきた。


それは気づかないことに、傷つかないように、なかったことにした痛みだとか。

幼い頃には傷ついたことだったけれど、その時の私のいたみを、実はその時に母親が汲み取っていてくれて、それを今でも覚えていてくれたことだとか。


私は忘れようとしてきたことばかり。





今年はそんなのが多い。




私のなかを駆け巡ったことは、きちんと消化しない限り、形を変えて戻ってくる。




夜中に偶然テレビをつけると、時々私の琴線に触れるものを見ることがある。





今日は老衰死。





私たちが祖母を見送ったのとほとんど同じことを、きっとたくさんの人びとが行っている。


静かに見守るしかできないことを。




ゆっくり休んでもらえるように。




感謝しながら、その時間をずっと過ごしていた。





まだ4ヶ月も経っていないのに。

もうすごく昔みたいに思う。







長い長い生きてきた時間の中で、最後に一緒にいさせてくれて、本当にありがとう。






今日みた内容を母に伝えてあげることが、私がしなくてはならないこと。





誰もが迎える瞬間なのだし、本当は悲しむことではないのかもしれないけれど、やっぱりこの世ではもう会えないのが、さみしい。


それだけ。





経管栄養を入れないことを選択せざるを得なかった時。


本当は私たちはいつでも選択を迫られているのだ。


自分自身のことでも。



選択していないように振舞っているだけだ、日常生活の中では。




テレビで見て思い出した。


あの空間は経験したことのない人には絶対に伝わらない。




時間が横に引き伸ばされて、決して前には向かっていかない。


それなのにそこにいると時間があっという間に経過してしまう。


集中してしまうのが、祖母の呼吸音だったり、酸素の機械の出す音や、サチュレーションの音だったり、祖母の声や何やら。


それにしか目がいかなかった。




何かを待つしかない空間。



待っていないのに、待ちたくないのに。




でも逃げ出すことはできないし、もっと一緒にいたい。


いろんな話をしたよね。



あの空間で。





家族全員でお墓参りに行った。


よく晴れていて、気温もちょうどいい日の午後。



まず簡単にお墓を掃除。

私と母が花瓶の汚れた雨水を捨て、父と祖父がが周りの木の手入れを簡単にする。



お花をいけて、お線香をたてて、お水をあげて、お団子とおはぎをお供えする。


お墓の敷地に小さく作った猫のお墓にも、父がお線香とお団子をあげた。



祖父が他のお墓にお参りに来た誰か知らない人と喋っている。



誰々のお墓はまだ来てないね、誰々の家が今ちょうどお参りしてるね、とかみんなで喋る。




家に着いてから、母がコーヒーを飲みましょうと手早く井戸水を沸かし始める。

妹と私で洗濯物を取り込む。


妹が父と洗濯物を畳み始めて、私は台所へ行き、母がコーヒーを淹れるのを眺めていた。
妹はコーヒーが飲めないのでダージリン。



夕方に差し掛かる時間の中で、皆でテレビを見ながら、コーヒーや紅茶を飲んだり、お菓子を食べたり。






ほとんど幸せなといえる時間。

少し、遅くなったのかもしれないけれど、私は私にわくわくすること、自由になること、好きなことをすることをゆるしはじめているのかもしれない。









制限を設けること、誰かの価値観がさも正しいかのように振る舞うこと、先を見越しているかのように殻からでないこと。


それらは誰かの価値観に合わせようとしているだけで、その場その場で自分をごまかしているに過ぎないのよ。




私は私をもっとゆるしていい。







私が私で居なければ、世界はうまくまわるのか?

いつか幸福に生きられるのか?

我慢していればいつかなりたい私になれるのか?





ちがうよね、それは。







生きていくには、世界は、辛いものだから。




だから、やりたいことをやって、自分にできることを成し遂げないと、何もこっちにやってこない。






私はもっと縛られなくていいし、罪悪感なんて抱かなくていいし、もっと私を信じていい。




それ!