夜中に偶然テレビをつけると、時々私の琴線に触れるものを見ることがある。
今日は老衰死。
私たちが祖母を見送ったのとほとんど同じことを、きっとたくさんの人びとが行っている。
静かに見守るしかできないことを。
ゆっくり休んでもらえるように。
感謝しながら、その時間をずっと過ごしていた。
まだ4ヶ月も経っていないのに。
もうすごく昔みたいに思う。
長い長い生きてきた時間の中で、最後に一緒にいさせてくれて、本当にありがとう。
今日みた内容を母に伝えてあげることが、私がしなくてはならないこと。
誰もが迎える瞬間なのだし、本当は悲しむことではないのかもしれないけれど、やっぱりこの世ではもう会えないのが、さみしい。
それだけ。
経管栄養を入れないことを選択せざるを得なかった時。
本当は私たちはいつでも選択を迫られているのだ。
自分自身のことでも。
選択していないように振舞っているだけだ、日常生活の中では。
テレビで見て思い出した。
あの空間は経験したことのない人には絶対に伝わらない。
時間が横に引き伸ばされて、決して前には向かっていかない。
それなのにそこにいると時間があっという間に経過してしまう。
集中してしまうのが、祖母の呼吸音だったり、酸素の機械の出す音や、サチュレーションの音だったり、祖母の声や何やら。
それにしか目がいかなかった。
何かを待つしかない空間。
待っていないのに、待ちたくないのに。
でも逃げ出すことはできないし、もっと一緒にいたい。
いろんな話をしたよね。
あの空間で。