連日秋について書いてしまうほど、今の季節が愛おしいのだけれど、今日も私はどうしようもなくときめいてしまっている。




今年の秋はなんてなんてなんて、なんて素敵なんだろうか!



この夜の静寂さといい、月があやしく光る様といい、すべてが終わってしまった後に漂っている余韻といい、完全な秋になるとしか思えない。



もう好きすぎて胸が苦しいし、いつまでも終わらないでいてほしい。




窓の外の濃紺の世界は、実は透明な黄金色の空気に満たされているのだとしか思えない。




美術館でゴッホの絵と対峙しているときと、私の中は同じくらい集中して、興奮して、ときめいている。




頭の中に余計なことなど一つもなくなる。



恋しているのだ。



私はこの秋に一年中恋い焦がれていたのだ。




ずっとずっとこの中にいたい。














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台風が過ぎ去り秋がやってきた気がする。


夜、窓を開けてみると、ひんやりした空気が部屋を満たしていき、私自身もその清々しい空気によって清められた気がする。




そしてとてつもないセンチメンタルが覆いかぶさって、胸を締め付けられる。



そしてそれはやはり私にとって、ぞくぞくするような快感なのだ。




孤独感と一緒に、充足感を得られる季節は秋しかないのだ。







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最近やたら、私のふるさとの川原の写真を東京で見る。


何の変哲も無い、私が生まれた頃から何も変わっていないただの川原だが、そこで撮られたある映画のワンシーンが、そのままその映画のポスターとなり、その映画がすばらしい賞を受賞したらしく、東京の街中でもたくさん見かけるようになったのだ。



見る度になんだか恥ずかしいというか、本当にこの川原での撮影でいいのかと思ってしまう。


私の心の在り方の問題だが、幼い頃から見慣れた川原は、私の目にはどこかみすぼらしく映ってしまう。

私の「内」に入り込んでいるものだからだ。
私は私に自信がないからだ。

だから私のふるさとに対しても自信をなくしてしまうのだ。

私の「外」にあるものはみなすばらしく、きちんと順序だって存在し、完璧な行動をし、美しく気高い。



だからだとも思うし、私自身はあの風景を見たとき、川の音が聞こえた気がした。

日本人の心にある何か郷愁に通じる何か、それがあるのも思った。。







そして最近、人と会った後、必ず虚無が襲ってくる。



自分がこうしたいからその行動に至ってそれを成しても虚無。

周りの人を気遣っても虚無。



俯瞰的な見方しかできなくても、そこに私の思惑が入ってきてしまうことで、すべてが上手く回らない。


私の自我なんてそんなちっぽけなもの、すべてきれいに取り払ってくるくる丸めて川に流せたらいいのに。













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明日の私は、本当に今日の私の続きなのかな?って誰かが言ってた。



今ふと思い出した。   






でも私は、明日は明日の私がなんとかやっていってくれるだろうと信じてる。


たとえ同じ私でなくても、と思う。



眠りという小さな死を、またいでやってくる朝の世界に存在するであろう、私。









というか、明日って本当に今日の続きなのかな?



私はこうなっていく事をどこかで知っていた。そんな気もする。









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帰り道にただ歩いているだけで幸せを感じられるのは今の季節だけだろう。


音楽さえ、邪魔。




夏にゆるんだ自分を冷ましてきゅうっと引き締めてくれる空気が大好き。



たまらないなぁ…







なんだか胸がぞわぞわする。



もっと人に優しくなりたい。












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