最近やたら、私のふるさとの川原の写真を東京で見る。
何の変哲も無い、私が生まれた頃から何も変わっていないただの川原だが、そこで撮られたある映画のワンシーンが、そのままその映画のポスターとなり、その映画がすばらしい賞を受賞したらしく、東京の街中でもたくさん見かけるようになったのだ。
見る度になんだか恥ずかしいというか、本当にこの川原での撮影でいいのかと思ってしまう。
私の心の在り方の問題だが、幼い頃から見慣れた川原は、私の目にはどこかみすぼらしく映ってしまう。
私の「内」に入り込んでいるものだからだ。
私は私に自信がないからだ。
だから私のふるさとに対しても自信をなくしてしまうのだ。
私の「外」にあるものはみなすばらしく、きちんと順序だって存在し、完璧な行動をし、美しく気高い。
だからだとも思うし、私自身はあの風景を見たとき、川の音が聞こえた気がした。
日本人の心にある何か郷愁に通じる何か、それがあるのも思った。。
そして最近、人と会った後、必ず虚無が襲ってくる。
自分がこうしたいからその行動に至ってそれを成しても虚無。
周りの人を気遣っても虚無。
俯瞰的な見方しかできなくても、そこに私の思惑が入ってきてしまうことで、すべてが上手く回らない。
私の自我なんてそんなちっぽけなもの、すべてきれいに取り払ってくるくる丸めて川に流せたらいいのに。
Android携帯からの投稿
何の変哲も無い、私が生まれた頃から何も変わっていないただの川原だが、そこで撮られたある映画のワンシーンが、そのままその映画のポスターとなり、その映画がすばらしい賞を受賞したらしく、東京の街中でもたくさん見かけるようになったのだ。
見る度になんだか恥ずかしいというか、本当にこの川原での撮影でいいのかと思ってしまう。
私の心の在り方の問題だが、幼い頃から見慣れた川原は、私の目にはどこかみすぼらしく映ってしまう。
私の「内」に入り込んでいるものだからだ。
私は私に自信がないからだ。
だから私のふるさとに対しても自信をなくしてしまうのだ。
私の「外」にあるものはみなすばらしく、きちんと順序だって存在し、完璧な行動をし、美しく気高い。
だからだとも思うし、私自身はあの風景を見たとき、川の音が聞こえた気がした。
日本人の心にある何か郷愁に通じる何か、それがあるのも思った。。
そして最近、人と会った後、必ず虚無が襲ってくる。
自分がこうしたいからその行動に至ってそれを成しても虚無。
周りの人を気遣っても虚無。
俯瞰的な見方しかできなくても、そこに私の思惑が入ってきてしまうことで、すべてが上手く回らない。
私の自我なんてそんなちっぽけなもの、すべてきれいに取り払ってくるくる丸めて川に流せたらいいのに。
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