ふとした瞬間に自分を見て、あぁこれは私なのだろうかと思うことがある。


顔でもそうだし、今日は腕を見てそう思った。

大人の女の人の腕だなぁと。




鏡を見ると、昨日までの自分がどんな顔をしていたのかもわからなくなる。



昔は自分の外見に理想を持っていて、理想に近づけるように努力もしたし、自意識過剰な部分が多々あったけれど、それは悪い方向へは働かなかったと思う。



多分その時の余力で今の私が形成されているのだろう。


海は凪いでも、動いていたエネルギーによって、前に進める。




私が私を認識するものって何なんだろう?













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今日はとてつもなく幸福な夢を見て目が覚めた。




夢の内容なんてたった数分で忘れてしまうはずなのに、起きる前に自分で何回も反芻して、今でもまだ夢の中の幸福感に浸れる。





あの山も、階段も、場所も、何もかもが私の好きなものの象徴で、あんなに幸福感が得られるなら、夢でも現実でもどっちでもいいかもしれないなと思った。








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およそ10年前に書いた、出せなかった手紙が出てきた。



全くもって、私が考えることは変わっていないんだなぁと再認識。


ただ、10年前とは感じ方が変わってしまったのだという事。

あんなに全身で生をクリアに感じられて、感じたことが痛みにしか思えないくらい、1日が濃密だったのに、今はその痛みすら恋しいくらいに毎日がぼやけきっている。






18歳の母性本能100パーセントの私。

私はあの時、彼のことを産みたかった。大切に大切にしたかった。
彼を傷つけるすべてのものを、排除することに必死だった。



毎日毎日、自分の母性との戦いで苦しかった。



今思えば普通に恋愛がしたかった。





それでも、あの時の切なさは一生忘れない。










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スナックちどりを途中まで読み進めている。




やっぱり人間って、どんな人でも、過去を振り返って、あの頃はよかったなぁと、今を嘆く事が好きなんだなぁ。


私もちっちゃい子供の頃、守られている中で自由だった頃が一番幸せだった。


植物と土のにおいの中で、祖父母の畑の手伝いをしたり、夕日を皆で眺めたり、そんな日々に一度でもいいから戻りたい。



そんなことを思った。





電車の中で読みながらふと顔を上げたら、いろんな広告がみえた。



すべてまがいもの。インチキばかり、うそばかりに見えた。



世の中そんなものばかり。



それに慣れてしまうといけない。
それを生み出す側も、うそだと解っていても赦してしまう側も。



そんなことを思った。






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