『啄木の手紙を読む』(池田功)。
「ブログ感覚の手紙」。
8年前にFacebookに投稿した記事を加筆修正の上、ブログに移植するもの。
啄木の「ローマ字日記」に代表される日記については、同じ著者の考察を読んでいましたが、特に、手紙については意識しておりませんでした。
ドナルド・キーン氏は次の歌をあげて、指摘します。
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用もなき文など長く書きさして/ふと人こひし/街に出てゆく
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まあ、とりたてて用事なんてないんだけど、手紙を書いてみました、といったところが見られる、と。
通常は作法に則って書かれていた明治時代の手紙。
啄木のそれはすべての手紙ではないものの、日頃の生活を実況中継する感覚で書いていたものが散見され、いわゆるブログを書くようなイメージで書いていた節が見られます。
その辺りを、キーンは「まるで啄木が我々と同時代の人間のように見え」た、と指摘する。
さて、皆さん、どんな手紙を書かれますか。
作法に則った手紙でしょうか、あるいはブログ風の手紙でしょうか。
あるいは全く書かないとか。
啄木の手紙について書かれた論考。
全190頁。
発刊された出版社との関係もあるのでしょう、考え方がある方向を向いている感はありますが、その辺りは目をつむって読みました。
目次をリストし、まとめにかえたく存じます。
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1、ブログ感覚
2、書き出し・時候・追伸の工夫
3、文体革命の時代と署名
4、経済苦の発信
5、病苦の発信
6、思想の深まりと大逆事件への反応
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(2016・4・23読了)