【読書日記】『禅談』(澤木興道) | 「そば屋さのあんちゃん、息災け?」

「そば屋さのあんちゃん、息災け?」

稀有な病気をはじめ、人のあまり経験しないことを経験しました。
そんなことを織り込みながら、日ごろの読書を中心に綴っていければと思います。

『禅談』(澤木興道)。

 

帯びにはこうあります。

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「最高の入門書として長く読み継がれる迫力の説法」

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そしてカバー裏にはこうあります。

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「人間は何度も何度もこの世に生まれてくることはできない。

この大切な一生を、何の願いも立てずに空しく過ごしてしまうことは、まことにもったいないことである」

―「絶対のめでたさ」とは何か。

「自己に親しむ」とはどういうことか。

安直な自己肯定を戒めながらも、仏教を決して高尚なもの、多くの人の手の届かないところにあるものとはしない。

時代を超えた迫力の説法。

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澤木興道師の名前はかなり前から、存じておりました。

著作も数冊は過去、読んではおります。

今回、久々になるかと思います。

何年ぶりというレベルです。

本書は、「読書のすすめ」清水店長のブログにて、知ることとなりました。

澤木興道師のものを読んできたとはいえ、エアポケットにあった一冊を掘り起こしていただいた思いがあります。

感謝申し上げたく存じます。

 

本書(本文349ページ、文庫化されております。)の目次から、まずリストしておきます。

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〇最高の幸福

〇文化人の宗教

〇願の話

〇和の話

〇武禅一味

〇少欲と知足

〇回光返照

〇食堂の宗教

〇お袈裟の話

〇触処生涯随分足

〇座禅の本領

〇修証一如

〇参禅の秘訣

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各項目の中に複数の説法が散りばめられています。

個人的には、どこから読まれてもいいのかな、と感じました。

 

「知足」と言う言葉を聴くと、昨年、加賀藩前田家の豪姫の菩提寺で行われた「「志」和ごころ塾@金澤」(白駒妃登美・塾長)での、禅宗の僧侶の方が禅を学びにそのセミナーに見えられるという境野勝悟先生(これを読まれる多くの方がこの事実はご存知ないはずです。かつて栄光学園の国語の先生だったのですから。)の講義のおりに、お茶を飲む茶碗の「知足」と言う文字をご覧になられて、「う~ん、知足かあ。」とおっしゃったのを見逃しませんでした。

そのしぐさから、自分自身のそれまでの経験から、「知足」の大切さを教えられた気がしました。

 

本書については、多くの「読書のすすめ」と係わりのある方が、記事の大きい小さいはあるかもしれまんが、書かれるであろうことを予告しておきます。

 

私には私の琴線に触れた説法があります。

その中から3つセレクトし、ご紹介することで、まとめにかえさせていただきます。

また、「読書のすすめ」に私より古くから係わられている皆さまのものを早く拝読したいと願っています。

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智慧と、慈悲と、勇気と、この三つがなければ人間一匹、具足せぬ。

夏目漱石が「智に働けば角が立つ、情に掉せば流される、とかく、この世は住みにくい」と言うたそうな。

それでは泣きみそにならなければならぬ、そんな泣きみそになる必要はない。

やることだけどうどうとやったらそれでよい。

そしてこのい三つがよく渾然として、たった一つになって働くのだ。

 

それが先に言った「大和(だいわ)」ということなのだ。

大和魂というものは、この三つが渾然として働くのである。

(後略)

<P94~・99・「鏡・玉・剣」より>

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心機一転、負け戦さから勝ち戦さになるほど、人間の生活が根本から変わらなければ幸いとは言えない。

嬶(かかあ)に内緒で一本飲んで・・・・・・そんな心ではどうもならん。

乾坤嬴(注:音読み-えい、訓読み-あまる)ち得たりは、宇宙を贏ち得たのである。

これが天上天下唯我独尊である。

自分自身になりきって、自分の生活がどう変化しようが自分を見失わない、自分を取り失わない、どこにも全自己を呈露して行く。

これでこそ初めて一切の錯覚、一切の妄想をやめて、どう変化しようとも、たとえ今ここで食わずに死んでも、人間の最上最高の幸福を取り失わぬ。

そこが「歩々踏着す緑水青山」で、一歩一歩を踏みしめて、どちらにどう振る舞うてもそこに全自己がある。

どちらにどう動いてもその瞬間の完全がある。

その一挙手一投足、虚々実々、負けても完全、勝っても完全である。

(後略)

<P141~144・「丘宗潭(おかそうたん)師と大薩(だいさつ)和尚」より>

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足るを知るということは、前後を裁断してそれになりきるということである。

花は全花(ぜんはな)、実は全実(ぜんみ)ということである。

花は実を結ぶための花ではなく、花の時は花の全花である。

実は花の終わりではなく、実の時は実の全実である。

(後略)

仕事になりきる。

自己になりきる。

このなりきるところに知足がある。

この自己になりきる一にして始めて、即処是道場の活きたはたらきができるのである。

<P170~173・「汝自身を求めよ」より>

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(2018・5・3読了)

 

本書を紹介いただいた皆様に、あらためて感謝申し上げます。

 

「読書のすすめ」のページ。

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