『なぜこんなに生きにくいのか』(南直哉)。
今日、禅関係の本を実家から戻った後、取り上げたいと思っています。
いま、アーカイブとして2012年1月のものを取り上げていますが、2011年12月にこんな本を読んでおりました。
次にご紹介する本の前振りの意味を兼ねて、加筆・修正のうえ、アップしておきたいと思います。
「自己責任」と「自立」。
同書の中で取り上げられていたテーマの一つ。
禅僧である南氏が仏教用語をあまり用いずに、「自分とは何か」「なぜ生きるのか」という根源的な問いについて語りかけます。
その考え方の土台には、釈尊や道元禅師の教えがあります。
タイトルの内容の記述で、自分自身の琴線に触れたくだりをご紹介したいと思います。
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自己責任や自己決定というのは、自己に根拠がない以上、最終的には底が抜けてしまったような話ですが、問題はある決断をしたとき、その責任を負うことを自分が「承認するかどうか」なのだと思います。
自己責任というのは本来、自ら下した決断に責任をとると覚悟を決めたときに初めて生じることです。
人から言われる筋合いのものではありません。
そもそもまわりが一方的に自己責任と言ったところで、自己に正体がない以上、理屈としては原理的に成り立たないのです。
だから、自己責任がもてる人がいるとすれば、「それは自分の責任です」と他者に対して言明できる人のことです。
どんな決断であっても、自己は関係性の中にある以上、純粋で絶対的な自己責任はあり得ない。
それを百も承知で、それは自分の責任だと言えること。
それが「自立」した大人というものでしょう。
(P154〜155)
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教養というのは、自己と世界のあり方、何よりその関係性を批判的に見ることができる、ということだと私は思っています。
つまり、本当にこれで正しいのかと疑い、自己批判する力があることだと思うのです。
(中略)
価値観は、しょせん、その人の「いかに生きるか」という問いからしか生まれてきません。
知恵は、この問いの過程で搾り出されてくるものです。
この知恵の積み重なりが教養を形作っていくのです。
(中略)
知らなければならないこと、知っておくべきことを見つけることは重要です。
それが「自立」を意味するからです。
自立には知恵が、教養がいるのです。
ただし、自分が本当に必要とする情報というのは、自分が求め、出会わないと意味がありません。
(P194〜197)
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本書は、生きがたい人生をいかに生きるか、について南氏が考えることを語った一冊。
よりよく生きるヒントが詰まった一冊でもあります。
南氏の著作は読みにくい印象がありますが、本書は思ったほどではありませんでした。
私が拝読したのは、単行本だったと記憶しています。
現在は、文庫化されているようです。
(2011・12・21読了)
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