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ボクシングの一寸先は闇だが一瞬にして栄光を掴む!

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《WBA&WBC世界フライ級タイトルマッチ》
ーUNDER CARDー
《WBA世界バンタム級タイトルマッチ》
《WBA世界Lフライ級タイトルマッチ》

開催日:7月30日(水曜日)
開催地/会場:神奈川県横浜市中区/横浜BUNTAI




▼ MAIN EVENT
《WBA&WBC世界フライ級タイトルマッチ》


WBA&WBC世界フライ級王者
寺地 拳四朗(33=O/B.M.B)
VS.
WBA世界同級3位・WBC4位
リカルド・サンドバル(26=O/usa)

〈試合経過〉
初回、お互いジャブの突き合いで静かな立ち上がり。
2回、寺地は接近して打ち合いを誘うサンドバルの左フックを浴び
て今いちペースを掴み切れない。
3回〜4回と両者手数も増え出入り激しい打ち合いでお互い譲らな
い展開が続く。しかし有効打ではサンドバルと映った。
5回、寺地は打ち合いから1分半過ぎコーナー前で狙い澄ましたワ
ンツーを叩き込むとサンドバルはたまらずダウン。サンドバルはさ
ほど効いた様子を見せず立ち上がり再開に応じると左右で反撃した。
6回、寺地が左ジャブからプレッシャーをかけ再びワンツーを浴び
せペースを掴んだかに見えた。しかしサンドバルもペースを上げる。
7回、お互い打ち合いからサンドバルが右カウンターで巻き返しを
図り息を吹き返す展開。後半戦に突入するとお互い引かない打ち合
いは続きややサンドバルが有効打で上回ったように映る。
寺地は右頬を腫らしジャッジアピールするには印象が悪い。最終回
もお互い引かない展開で終了ゴングを聞いた。

〈12回採点結果〉
115ー112(サンドバル)
114ー113(寺地)
117ー110(サンドバル)

サンドバルが2ー1のスプリットも判定勝ちでWBA&WBC世界
フライ級の両王座を獲得した。5回ダウンからの逆転勝ちです。
サンドバルは試合前"王座は絶対故郷へ持ち帰る"と豪語していた
が、してやったりの有言実行となった。これまでのサンドバルは戦
績はいいものの米国ではあまり高い評価は受けておらず平凡な位置
付けだった。しかし、挑戦前の試合では元世界戦経験者のカルロス
・ブイトラゴ
(ニカラグア🇳🇮)を8回TKOで下し、次に元WBO
世界Lフライ級王者アンヘル・アコスタ(プエルトリコ🇵🇷)を10
回KOで下すなどその実績は充分にあった。

寺地はWBC2度目防衛ならびにWBAの初防衛に失敗、両王座か
ら陥落となった。寺地は米ロサンゼルスの合宿でディフェンス技術
を磨きこれまで以上の仕上がりと語り自信をみなぎらせていた。
戦前のメディア予想も7:3で寺地の断然有利だった。しかし、万
全な仕上がりでもボクシングはこういうことが良く起こる。
5回にダウンを奪い6回から引き離すかと見られたが、サンドバル
の驚異的粘りで徐々に追い上げられた印象だった。無冠となった寺
地は試合後にサンドバルとの再戦は語らず、どうやらSフライ級に
上げて3階級制覇を目指すようだ。





(PHOTOS BY BADLEFTHOOK.COM)

それでは逆転劇となった寺地VS.サンドバル戦をハイライトでど
うぞ!(8分31秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★寺地 拳四朗/27戦25勝(16KO)2敗
★リカルド・サンドバル/29戦27勝(18KO)2敗









▼ U-C
《WBA世界バンタム級タイトルマッチ》


WBA世界バンタム級王者
アントニオ・バルガス(28=Sh/usa)
VS.
WBA世界同級3位
比嘉 大吾(29=O/Shisei)

〈試合経過〉
初回、お互いジャブで様子見の展開で始まった。
2回〜3回、比嘉のボディーからワンツー、バルガスはジャブから
ワンツーと交互にポイントを取り合う。
4回、比嘉が開始から30秒近くで前に出てくるバルガスに左フッ
クを浴びせるとバルガスがダウン。さほど効いたそぶりもなく立ち
上がると再開。再びバルガスは前に出る。
5回〜6回も比嘉が接近してボディー攻めから左フックと当てポイ
ント連取したように映った。しかし、バルガスも負けていない。
7回〜8回と今度はバルガスが接近して左フック、ジャブ、右と手
数を増やして逆にポイント連取したように映る。もはやお互い引か
ず我慢比べのスリリングな展開が続いた。
その後もお互い出入り激しく上下の多彩なパンチを繰り出し交互に
ポイントを奪い合った。それでも若干比嘉のリードと感じる。
最終回、序盤から打ち合った中盤比嘉の左フックでバルガスは足元
を揺らした。しかし、終盤バルガスの執念の右カウンターで比嘉が
まさかのダウン。それでも比嘉は立ち上がって再び打ち合うとゴン
グとなった。

〈12回採点結果〉
113ー113
(ジャッジ3者共にドロー採点)
0ー0で勝敗付かず引き分け。
従って、王者バルガスが規定で初防衛に成功となった。
尚、WBAのバンタム級には休養王者堤 聖也(角海老宝石🇯🇵)と
暫定王者ノニト・ドネア(比国🇵🇭)の3人王者となっている。バル
ガスはいずれ戦うことになるでしょう。

比嘉は3戦連続世界挑戦でまたしても引き分けに終わり王座獲得は
ならなかった。まあ、比嘉選手にとって無念でしょう。
最後にダウンがなければ間違いなく比嘉の手が挙がっていた惜しい
試合だった。比嘉は3度目の正直でと言う強い意気込みでリングに
上がったが実らなかった。それにしても2戦連続の引き分けはそう
多くはない。ファンからすれば再戦してほしい気もするが、比嘉選
手はもうやり切ったという思いから引退を表明した。

比嘉大吾選手の惜しい挑戦だったシーンをハイライトでどうぞ!
(2分53秒)
※途中消除の場合ありです。



【両選手の戦績】
★アントニオ・バルガス/22戦19勝(11KO)1敗2分
★比嘉大吾/27戦21勝(19KO)3敗3分








▼ U-C
《WBA世界Lフライ級タイトルマッチ》


WBA世界Lフライ級王者
エリック・ロサ(25=S/dom)
VS.
WBA世界同級1位
高見 亨介(23=O/Teiken)

無敗同士対決!
〈試合経過〉

初回、高見が左ジャブで仕掛ける。サウスポー王者のロサはステッ
プ踏んで左右に動き様子を窺う。中盤ロサの右フックがヒット。
しかし終盤は高見が連打を浴びせて好試合を予感させるスタート。
2回、接近してくるロサに高見が右アッパーから左フックで優勢。
3回〜4回、高見のボディー攻め、ロサはカウンター狙い。徐々に
高見がペースを上げているのがわかる。
5回、高見のボディー攻めにロサが攻めあぐねる。
6回〜7回と高見が上下に打ち分けロサは退がり始める。
その後はロサも左右で巻き返しを見せるものの勢い付いた高見が手
数と有効打でロサをリード。

迎えた10回、高見が右ボディーアッパーを打ち込みロサが怯んだ
隙に右フックを浴びせるとコーナー前で両膝を着くダウン。ロサは
立ち上がり再開すると畳み掛けようとする高見にクリンチを仕掛け
たがロサはロープ際でスリップダウン。レフェリーはここで勝負あ
りと判断、試合を止めた。

ーTKO・10回2分48秒ー

高見選手が10戦目の世界初挑戦で2階級制覇王者を倒し切り見事
王座奪取に成功した。高見の初挑戦でのTKO勝ちは立派です。
好戦的な高見は試合前のインタビューに6回で倒すとコメントして
いたが、まあ、相手も2階級を制している選手で4ラウンド違いも
倒して勝った戦いぶりには期待が持てる。試合後に高見は複数階級
を制したいと語り、王座は返上するのか、それとも1度は防衛して
返上するのか動向が注目される。いずれにしても次戦に期待です。

王者ロサはWBA世界Lフライ級王座の初防衛ならず王座から陥落
となった。出だしは足を使い高見の攻めを躱して上々のスタートを
切ったかに見えたが、2回からの接近戦で高見の左フックを浴びる
など後退。その後はボディーを貰いロープに詰められ右ストレート、
右フックを浴びペースダウン。最後は右フックを被弾してダウンか
ら立ち上がったものの追撃連打でストップされ万事休すとなった。

世界初挑戦で見事王座奪取に成功した高見選手の戦いぶりをハイ
ライトでどうぞ!(3分36秒)
※途中消除の場合ありです。



【両選手の戦績】
★エリック・ロサ/9戦8勝(2KO)1敗
★高見 亨介/10戦10勝(8KO)無敗


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《WBO世界Sウェルター級王座決定戦》
ーUNDER CARDー
《WBC世界フェザー級暫定王座決定戦》

開催日:7月26日(日本時間27日)
開催地/会場:米国ニューヨーク州マンハッタン/マディソン・ス
クエア・ガーデン内ザ・シアター




WBO世界Sウェルター級1位
ザンダー・ザヤス(22=O/pur)
VS.
WBO世界同級2位
ホルヘ・ガルシア(28=O/mex)

WBC&WBO世界同級統一王者だったセバスチャン・フンドラ
(米国)はWBO1位で指名挑戦者のザンダー・ザヤスとの対戦指
令もティム・チュー(豪州)との再戦を優先することでフンドラは
WBO王座を返上、空位となった為、王座決定戦の承認となった。


〈試合経過〉
初回、ザヤスが左ジャブから右ボディーを突くと大柄(ザヤスより
5cm高い183cm)なガルシアもプレスをかけワンツーから右ボ
ディーと攻める展開で始まった。
2回、ザヤスの左ジャブから右ストレートがヒットするとガルシア
は足を使って慎重な攻めも左右で応戦する。
3回、ガルシアが接近して右アッパーを突き上げるとザヤスは左フ
ックから右カウンターを浴びせる。ガルシアも左右連打を返した。
4回〜5回とザヤスの上下コンビネーションが冴え始めるとガルシ
アの攻めは後手気味で徐々にポイントで引き離された。
その後もスピードで勝るザヤスがリードを広げ主導権を握った。
9回〜10回とスピードの落ちたガルシアに対してザヤスは相変わ
らず速い足捌きで左右に動きワンツーを打ち込むなど余裕を見せる。
終盤も左右で粘るガルシアを躱し最終回は中盤ザヤスが左フックで
仰け反らせるなどしてゴングとなった。

〈12回採点結果〉
116ー112(ザヤス)
118ー110(ザヤス)
119ー109(ザヤス)

ザヤスが3ー0大差判定勝ちでWBO世界Sウェルター級王座の獲
得に成功した。現役王者では22歳の最年少王者誕生です。
あまり大味な試合ではなかったが、試合運びが上手く有効打数も多
く大差で間違いなしです。試合後に今後は対抗するWBC王者で巨
漢(197cm)のセバスチャン・フンドラ(米国🇺🇸)との統一戦を
希望していた。実現すれば大注目です。

メキシコ期待のガルシアは強打を活かせず王座獲得に失敗。
中盤戦までなんとか荒々しい攻めで対抗していたが、スピードある
ザヤスに回を増す毎に見極められ強打も的を絞れなかった印象。
今後はスピードある相手と戦って鍛錬するしかないでしょう。
再浮上に期待したい。




(PHOTOS BY FIGHTMAG.COM)

ザヤスが強打者ガルシアを大差判定で下し王座獲得に成功したシ
ーンをハイライトでどうぞ!(3分2秒)


【両選手の戦績】
★ザンダー・ザヤス/22戦22勝(13KO)無敗
★ホルヘ・ガルシア/38戦33勝(26KO)5敗





ーUNDER CARDー
《WBC世界フェザー級暫定王座決定戦》


WBC世界フェザー級1位
ブルース・キャリントン(28=O/usa)
VS.
WBC世界同級11位
マテウス・ヘイタ(27=O/nam)

〈試合経過〉
初回、お互いジャブの突き合いで始まったが、1分過ぎヘイタのワ
ンツーがキャリントンの顎にヒット。しかし、キャリントンは冷静
に対応、慌てず右を返してスタートした。
2回、ヘイタが右をヒットさせるとキャリントンも左ジャブから右
ボディーヒット。再びヘイタも右を返す。
3回、序盤からお互い上下を打ち合うと終盤はキャリントンがロー
プ際でボディー攻めに集中する。いよいよ攻撃力に差が出始めてキ
ャリントンの攻めに勢いがついて回を重ねた。
8回、キャリントンがペースの鈍り出したヘイタをコーナーに誘い
左フックを浴びせてダメージを与えポイント差を広げる。
終盤戦に突入するとヘイタも左右で粘りを見せるものの単発でキャ
リントンを脅かす攻めはできない。ヘイタは逆に左右を被弾した。
結局、最終回は逆転を狙って前に出てくるヘイタをキャリントンは
動きで躱し左右をヒットさせる中、ゴングとなった。

〈試合経過〉
120ー108(キャリントン)
119ー109(キャリントン)
119ー109(キャリントン)

キャリントンが3ー0大差判定勝ちでWBC世界フェザー級暫定王
座を獲得した。キャリントンは正規王者のスティーブン・フルトン
(米国🇺🇸)が8月16日、現王座を保持したまま階級上のWBC世
界Sフェザー級王者オシャキー・フォスター(米国🇺🇸)へ挑戦する
ことになっており、もしフルトンが勝てばキャリントンが正規王者
に昇格するでしょう。フルトンが負ければいずれは団体内統一戦と
なる。

無敗で挑んだヘイタはWBC世界フェザー級暫定王座獲得ならず。
米国デビュー戦も初黒星となった。ナミビアからは突如として優れ
た選手が登場する為、今回ヘイタも不気味との評判だった。しかし、
実績ある選手との試合は皆無でその差が出てしまったと言える。
まだ27歳でこれからの選手でしょう。



(PHOTOS BY RINGMAGAZINE.COM)

キャリントンが大差判定で暫定ながら王座獲得に成功したシーン
をどうぞ!(2分18秒)


【両選手の戦績】
★ブルース・キャリントン/16戦16勝(9KO)無敗
★マテウス・ヘイタ/15戦14勝(9KO)1敗


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マルシアーノ師匠ゴールドマン想い出語る!

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(Charley Goldman)

ヘビー級で歴史に残る名王者となったロッキー・マルシアーノ
指導し専任トレーナーでもあった名伯楽チャーリー・ゴールドマン
は雑誌インタビュー(かつて米国で発行されていた月刊誌SPORT
で指導した日々を語っている。(下欄で紹介)
先ずはチャーリー・ゴールドマンの経歴からご紹介しましょう。
チャーリー・ゴールドマンは元選手で現役時代はニューヨーク州を
拠点に活動していた。

〈チャーリー・ゴールドマンMEMO〉
本名:イスラエル・ゴールドマン(Israel Goldman)
出身地:ポーランド・ワルシャワ(移民のユダヤ系米国人)
生年月日:1887年12月22日 生れ。
死没日:1968年11月11日(享年80歳)
階級:バンタム級
身長:155cm(バンタム級でもかなり小柄だった)
スタンス:不明
★公認試合44戦31勝(21KO)6敗7分
★非公認試合(記者採点)89戦36勝26敗27分

非公認試合の記者採点とは当時、新聞社のボクシング担当記者が採
点した公認試合とは別に開催されていた試合のことをいう。
まぁ、スパーリングを兼ねたエキシビションマッチのようなもので
しょう。

(現役時代のチャーリー・ゴールドマン)


ゴールドマンの現役時代は100年以上も前の話でまだ規定ルー
ルも確立されていない州単位のルールで開催されワールドワイドで
はない時代だった。主に米国の都会では賭けの対象にされていた。
当時のゴールドマンは軽量級ながら技巧と強打で鳴らしたと紹介さ
れている。確かに公認試合ではかなりいい戦績を残していたが、一
方の非公認試合では技巧を試すあまり負け数が多かった。
最後は公認試合で4連敗したことでグローブを置いた。引退後は経
験を生かして如何にジャッジアピールさせる攻撃が必要なのかを後
輩に教えているうちトレーナーとして転身することになる。
そして、「拳聖」と称えられ後に伝説的世界ヘビー級王者となった
ジャック・デンプシーが所属していた名門STILLMAN’S GYMに招
聘されたことが切っ掛けで本腰を入れ専属トレーナーとなった。
その後は指導振りが大評判となり、後にC.Y.O. GYMにスカウトさ
れ移籍して専属チーフトレーナーに就任。直後に入門してきたロッ
コ・フランシス・マルケジャーノ(後のロッキー・マルシアーノ)
と運命的な出会いで専任トレーナーとなった。
他の選手指導実績はNYSAC(ニューヨーク州公認)世界ミドル
級王者アル・マッコイ、同NYSAC公認世界ライト級王者ロウ・
アンバース
、NBA(後のWBA)世界フェザー級王者ジョーイ・
アーチバルド
、また、歴史的名選手のシュガー・レイ・ロビンソン
ロッキー・グラジアーノと対戦して当時のボクシングファンを熱
狂させたNBA世界ウェルター級王者のマーティ・サーボなども育
てあげた名トレーナーであった。



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チャーリー・ゴールドマンは指導者としてロッキー・マルシアー
ノに出会った時から日々のことを雑誌インタビューで語っている。

▼チャーリー・ゴールドマン語る。

「あいつは、最初に会った際、ボソボソともの言う気の弱そうな印
象だったんだ。アマチュア上がりでそこそこは基本が出来てると思
ったが、そうではなかった。デビュー前からワシがずーっと面倒見
たが、基本から直す所がいっぱいあったね」

「まず、パンチは人一倍あったが、動きはグニャグニャしてダメだ
った。まるでアコーディオンのジャバラのようだったなぁ。構える
スタンスが悪いからガードもよくなかったし、パンチを繰り出すコ
ンビネーションも悪かった。もう、長いラウンドじゃヘタばると思
ってもっと動作の速い運動をさせたり、長い距離を走らせスタミナ
を付けるようにさせたんだ。デビュー戦は運よく3回KO勝ちした
が、力任せの腕力だけで倒してテクニックは全然ダメだった」

「なにしろヘビー級で戦うには178センチと体が小さいから長く
は続けられないと思ってライトヘビー級を勧めたんだが、あいつは
一番重いヘビー級にこだわったんだ。出来るだけ体重を増やそうと
も思ったが動きが鈍くなるので無理に太らすことはあえてさせなか
った。それよりももっと筋力を付けパワーを付けさせたんだ。1年
後には筋肉増量で体重も増え見違えるほど逞しくなってた。それが
後になって試合に役立ったと言うことだね」

「2年目に入って12戦全勝12KOしての連勝中だった時期、攻
撃力は徐々にアップしたんだが、動きのなさは相変わらずだった。
まだ粗削りな部分もあってパワーだけで倒していた。確かに、パン
チの威力だけは増していったんだよ。それでもまだ不安定だったか
ら以前よりもっと走らせ持久力を付けて攻撃テクニックを進化させ
れば試合に活かせると思ったね。それをメニュー通りマルシアーノ
はやってくれたんだ」

「あいつは、ワシが今まで見てきた選手の中で一番ハートのある奴
だった。教えがいがあったよ。技術じゃまだまだぎこちなかったが、
それでも努力してた。それに練習が終わると後輩には面倒見のいい
優等生だったね。ただ、リングに上がると自分勝手なところがあっ
て、それだけが唯一心配の種だったがね。あのジョー・ルイスと戦
った時はハラハラもしたが完璧だった。もうあの時ばかりはワシも
舞い上がったんだが、頂点まで行けると確信したんだ」

「王者のジャーシー・ジョー・ウォルコットや挑戦者のイザード・
チャールズそしてアーチー・ムーアの時にゃどうなるかと思ったが、
あいつらしい試合になったね。動きが良けりゃもっと楽な展開にな
っていたはずなんだ。しかし、パンチの破壊力も増して隙を見るの
が上手くなっていた。いつだったか倒した相手の心配ばかりして泣
きそうな顔もしてた。クリスチャンだったせいもあるね。リングに
上がる時だけ野獣になったのさ。プロボクサーとしてね」

「一番の思い出はジャーシー・ジョー・ウォルコットを倒してマル
シアーノが王者に就いた時だね。もう、それは足が地に着いてない
感覚だった。あの日は家に帰って暑い日も寒い日も同じ屋根の下で
練習に取り組んだ日の事を思い出したよ。それから王者になって4
年後に引退した時にゃ心配もしなかった。あいつならもう何の仕事
もこなせると思っていたからね。ワシのトレーナー人生に神様が与
えてくれた選手だったんだ。本当にトレーナー冥利に尽きたとマル
シアーノには心から感謝しているんだ。またいつの日か何処かで会
おう。ありがとうロッキー・マルシアーノよ!」

(SPORT誌1967年翻訳版より)


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やっぱり後世に名を残すボクサーはトレーニングも真剣で手を抜
かない。マルシアーノはお手本です。(2分40秒)



かつて米国で発行されていたスポート誌(SPORT)で1967年
後期に掲載された翌年の1968年11月11日、マルシアーノが
父親のように慕っていた名トレーナーのチャーリー・ゴールドマン
は若い選手を指導中に心臓発作で倒れてしまう。直ちに病院へと搬
送されたが手術の甲斐もなくそのまま帰らぬ人となりました。
まさにボクシング一筋の人生でした。(享年80歳)合掌

【1992年・国際ボクシング名誉の殿堂博物館 殿堂入り】

【CHARLEY GOLDMAN WEBSITE & WIKIPEDIA・参照】
【ROCKY MARCIANO OFFICIAL WEBSITE & BoxRec・参照】

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▼ REMATCH
《4団体世界ヘビー級王座統一戦》
ーUNDER CARDー
《WBCヘビー級シルバー王座TM》

開催日:7月19日(日本時間20日)
開催地/会場:英国ロンドン/ウェンブリー・スタジアム




WBA・WBC・WBO世界ヘビー級王者
オレクサンドル・ウシク(38=S/ukr)
VS.
IBF世界ヘビー級王者
ダニエル・デュボア(27=O/gbr)

〈試合経過〉
初回、序盤からウシクが前回以上に積極的に右ジャブから左ストレ
ートを繰り出し調子の良さを見せる。デュボアも後半前に出て左ジ
ャブから右で応戦して始まった。
3回〜4回とウシクがプレッシャーをかけ右ジャブから左ストレー
トを再三ヒットさせリード。デュボアも左ジャブから右ストレート
ヒットもウシクは効いた様子は見せない。もうウシクが完全に攻め
を掌握したように映った。

迎えた5回、デュボアがウシクをコーナーに詰め連打を浴びせる。
しかし、一瞬の隙にウシクの右フックでデュボアはマットに両手を
着きダウンを取られる。カウント8で再開するとウシクが右を効か
せ更に強烈左フックを浴びせるとデュボアはロープ脇に横たわるよ
うにダウン。朦朧とした表情でデュボアはそのまま10カウントを
聞いてしまった。

ーKO・5回1分52秒ー

3団体(WBA・WBC・WBO)統一王者のオレクサンドル・ウ
シクが4団体統一に成功した。これでWBA&WBO王座を5度目
防衛、WBC王座の2度目防衛成功。それに昨年6月返上したIB
F王座も獲得して1年ぶりに再び4団体王座を束ねた。
もうウシクにとってヘビー級の名だたる相手を次から次へと打ち倒
し「議論の余地がない最強王者」としてこの先のマッチメイクに苦
労しそうです。しかし、試合後には早速、これまで連勝している元
WBC王者のタイソン・フューリー(英国🇬🇧)との3度目対戦を強
く希望した。これまで初戦の2ー1(3P+1P差ウシク/1P差
フューリー)判定勝ちと、2戦目の3ー0(4P×3者)判定勝ちに
は納得してないようで大差判定勝ちかKOで決着つけたいようです。
果たして、3度目対決はあるのか注目です。

IBF王者のダニエル・デュボアは2度目防衛に失敗するとともに
統一ならず王座から陥落した。デュボアは前回の2023年8月2
6日、保持していたWBAレギュラー王座をスーパー王座保持者の
ウシクと統一戦で争い9回KO負け。その後、昨年6月1日、IB
F暫定王座決定戦をフィリップ・フルゴビッチ(クロアチア🇭🇷)と
戦い8回TKO勝ちで暫定王座を獲得。その後ウシクがIBF王座
を返上した為、デュボアが正規王者に昇格していた。
今回、前回以上に拮抗戦になると思いきや、早目の5回KO負けの
完敗に終わってしまった。まあ、以前から指摘されていた打たれ脆
さがわざわいしてしまった。再起して再び頂点を目指してほしい。





(PHOTOS BY FIGHTMAG.COM)

それではウシクが左強打を炸裂させ、ものの見事に倒して再び4
団体統一王者に返り咲いたシーンをどうぞ!(3分43秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★オレクサンドル・ウシク/24戦24勝(15KO)無敗
★ダニエル・デュボア/25戦22勝(21KO)3敗








▼ U・C
《WBCヘビー級シルバー王座タイトルマッチ》


WBCヘビー級シルバー王者
ローレンス・オコリー(32=O/gbr)
VS.
WBC世界ブリッジャー級王者
ケビン・レレナ(33=S/rsa)

〈試合経過〉
初回〜2回と大柄(195cm)なオコリーはサウスポーのレレナが
インファイトを仕掛けようとする動きに左ジャブを浴びせリードし
た。その後もオコリーがボディーを叩くなどレレナの攻めを封じる。
中盤戦に差し掛かるとお互い攻めが単調で見せ場がない。
しかし、終盤はオコリーが的確に左右を打ち込みリードを広げて終
了ゴングを聞いた。

〈10回採点結果〉
99ー91(オコリー)
100ー90(オコリー)
100ー90(オコリー)

ローレンス・オコリーが3ー0大差判定勝ちでWBCシルバー王座
の初防衛に成功した。WBCヘビー級の1位でもあるオコリーはこ
れまでWBO世界クルーザー級王座とWBC世界ブリッジャー王座
の2階級制覇しているが、今回のような戦いぶりではヘビー級は厳
しいと感じるが果たして挑戦のチャンスは巡ってくるのか・・・

WBC世界ブリッジャー級王者のケビン・レレナは階級を上げ挑ん
だもののシルバー王座獲得ならず。レレナは今後保持するWBCブ
リッジャー級王座の防衛に専念となるか・・・

【両選手の戦績】
★ローレンス・オコリー/23戦22勝(16KO)1敗
★ケビン・レレナ/35戦31勝(15KO)4敗










《WBC世界ウェルター級タイトルマッチ》
ーUNDER CARDー
《WBC世界Sウェルター級TM

開催日:7月19日(日本時間20日)
開催地/会場:米国ネバダ州ラスベガス/MGMグランド・ガーデ
ン・アリーナ




WBC世界ウェルター級王者
マリオ・バリオス(30=O/usa)
VS.
WBC世界同級5位・元6階級制覇王者
マニー・パッキャオ(46=S/phl)

〈試合経過〉
初回、パッキャオが序盤から飛び込むように右ジャブから左ストレ
ートを繰り出すと4年ぶりとは思えない上々のスタートを切った。
会場からは「マニー」の声援が飛び交う。
2回、王者バリオスが鋭い左ジャブから右ストレートをパッキャオ
のボディーへ突き刺す。パッキャオも左右を返した。
3回、パッキャオが右ジャブから左ボディーならバリオスも左ジャ
ブから右ストレート、左アッパーと返す。
中盤戦に突入するとバリオスが左ジャブを多用してパッキャオの足
を使って撹乱する攻めを防いだ。
8回〜9回とお互い上下の打ち合いもパッキャオは16歳も若いバ
リオスの攻めに引けを取らない攻撃を見せた。
11回、ややペースの落ちたパッキャオにバリオスがスパートして
右ストレートを浴びせるとパッキャオもワンツーを返して諦めない。
最終回もパッキャオがワンツー、バリオスは左ジャブから右ストレ
ートを繰り出すものの決定打にならずゴングとなった。

〈12回採点結果〉
115ー113(バリオス)
114ー114(ドロー)
114ー114(ドロー)

バリオスは1ー0判定の引き分けも3度目防衛に成功した。
なんと昨年11月15日のアベル・ラモス(米国)戦も1ー1の引
き分けで珍しい連続引き分け防衛となった。バリオスは終盤の攻め
でやや差を広げたと映ったが採点は意外だった。レジェンド相手に
勝ち切れなかった一戦に決着したいという気持ちに傾くか・・・

4年ぶりリング復帰のパッキャオは接戦に持ち込んだが惜しくも王
座獲得はならなかった。それにしても16歳違いの若い王者相手に
もう一歩という戦いぶりは称賛ものだった。さすがに終盤はペース
ダウンの場面もあったが諦めない姿勢は昔と一緒だった。パッキャ
オに取って再戦したいのもやまやまなのかもしれない。
果たして、再戦はあるのか・・・




(PHOTOS BY FIGHTMAG.COM)

【両選手の戦績】
★マリオ・バリオス/33戦30勝(18KO)2敗1分
★マニー・パッキャオ/73戦62勝(39KO)8敗3分





▼ U・C
Rematch
《WBC世界Sウェルター級TM


WBC世界Sウェルター級王者
セバスチャン・フンドラ(27=S/usa)
VS.
WBC同級3位・元WBO世界同級王者
ティム・チュー(30=O/aus)

〈試合経過〉
初回、この階級では途轍もない巨漢(197cm)のサウスポー王者
フンドラが相打ち左フックでチューが早くも尻もちダウン。フンド
ラが幸先良いスタートを切った。
2回、フンドラがチューをロープに追い込み左ストレートから左右
連打。チューも負けじと左フックから右を返す。
3回、フンドラが圧力をかけ左フックから左ストレートでチューは
足元を揺らすピンチ。しかし、凌いだ。
4回〜5回とフンドラが左ストレート、アッパーと攻めるとチュー
も右ストレートから左フックで粘りを見せる。
その後もお互い引かない打ち合いは続いた。
7回、チューの右フックでフンドラは足元を揺らすものの左アッパ
ーで再び優勢な流れに持ち込む。しかし、この回のインターバルで
チュー陣営が棄権を申し出て試合は終了となった。

ーTKO・7回棄権終了ー

フンドラが返り討ちでWBC世界Sウェルター級王座の2度目防衛
に成功した。フンドラは試合を重ねる毎に持久戦が持ち味となって
きた。大柄な割には動きがいい。ただ今後打っては離れるアウトボ
クサーとはどう戦い対応するのかを見てみたい。次の防衛戦は誰に
なるのか楽しみです。

チューは初回のダウン後に巻き返す場面も見せたが、王座返り咲き
ならず。チューは前回同様フンドラの左ストレートやアッパー被弾
でスタミナを削がれてしまった。今後、同じようなタイプと戦う場
合に今のままのディフェンスでは王座返り咲きはかなり厳しい。
果たして、改善できるか・・・

【両選手の戦績】
★セバスチャン・フンドラ/25戦23勝(15KO)1敗1分
★ティム・チュー/28戦25勝(18KO)3敗










《WBC・WBO世界Sフライ級王座統一戦》
ーUNDER CARDー
《WBC米国Sミドル級王座》
&《WBOインターN同級王座TM》

開催日:7月19日(日本時間20日)
開催地/会場:米国テキサス州フリスコ/フォード・センター・ア
ット・ザ・スター




WBC世界Sフライ級王者
ジェシー・ロドリゲス(25=S/usa)
VS.
WBO世界Sフライ級王者
プメレレ・カフ(30=S/rsa)

〈試合経過〉
サウスポー王者同士対決!

序盤からロドリゲスが右ジャブからボディー攻め、右フックと上下
コンビネーションが冴えカフを大きくリード。カフもジャブから左
右フックで反撃しようとするものの当たらない。
中盤戦に突入してもロドリゲスの優勢は変わらない。カフはロープ
を背にする場面が増えてズルズルと回を重ねる。
迎えた10回、ロドリゲスが連打から右フックを浴びせるとカフは
苦し紛れに強引なクリンチ。ここで絡み合って両者ともにリングに
倒れ込んだ。再開するとロドリゲスが攻め込もうとしたところでカ
フ陣営がタオルを振って棄権要請。ここで試合終了となった。

ーTKO・10回2分7秒ー

ジェシー・ロドリゲスがWBC世界Sフライ級王座2度目防衛とと
もにWBO王座も手にして統一に成功した。今後は日本人選手とも
対戦機会がありそうです。

カフは昨年10月14日、前WBO王者の田中 恒成(畑中)から
奪った王座の統一ならず無冠となった。

【両選手の戦績】
★ジェシー・ロドリゲス/22戦22勝(15KO)無敗
★プメレレ・カフ/15戦11勝(8KO)1敗3分






▼ U・C
《WBC米国Sミドル級王座》
&《WBOインターN同級王座TM》


WBO世界Sミドル級1位
ディエゴ・パチェコ(24=O/usa)
VS.
元世界ランカー
トレバー・マッカンビー(32=O/usa)

〈12回採点結果〉
120ー108(パチェコ)
119ー109(パチェコ)
119ー109(パチェコ)

パチェコが3ー0大差判定勝ち。
パチェコはこれでWBC米国Sミドル級王座の6度目、WBOイン
ターナショナル同級王座の5度目防衛に成功した。

元世界ランカーだったマッカンビーは地域2王座獲得ならず。

【両選手の戦績】
★ディエゴ・パチェコ/24戦24勝(18KO)無敗
★トレバー・マッカンビー/31戦28勝(21KO)2敗1NC
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     昭和時代を足早に駆け抜けたたこ八郎!

この時期、♪夏がく〜れば思い出す〜遥かな尾瀬〜♪じゃなくて
コメディアンで俳優だったたこ八郎さんを想い出します。
1982年10月に放送開始された「笑っていいとも!」(フジテ
レビ)の初期に出演していた頃、何を言い出すか分からないキャラ
クターの持ち主で笑いを誘い誰からも愛され人気者でした。
ブログにご訪問頂いた皆さんも名前は聞いたことがあっても、実際
どんな人だったか知らない人達が殆んどでしょう。
「えっ!たこ八郎って誰?」という方はちょっと長いですがどうぞ
最後までお付き合い下さいませ。

(笑っていいとも出演時のたこ八郎さん)


タレントとして活躍していたたこ八郎さんは1985年7月24日
神奈川県足柄郡真鶴町の海水浴場で朝から友人やスタッフと飲酒し
ながら海に入り心臓麻痺を起こして人気絶頂期に44歳の若さで帰
らぬ人となったのでした。今年で41回忌ですが一般的には33回
忌で「弔い上げ」とすることから心の中での法要になっているかも
しれません。この世にいれば今年で84歳を迎えています。

たこさんの芸能界入り前は元プロボクサーで世界戦には恵まれなか
ったものの、第13代日本フライ級王者として活躍した選手だった
のです。そして、現役引退後は喋り方が東北訛りで吃音がちだった
ことから巷ではパンチドランカーなどと陰口を叩かれながらもたこ
さんはボクサー出身のコメディアン兼俳優として草分け的存在でも
ありました。

(ボクサー現役時代の河童頭だった頃)

(東映の人気任侠映画出演時のたこさん)


後楽園ホールを沸かせたボクサー時代!

時は1960年代初頭の後楽園ホールに河童が現れたのです。
「うわ~ッ、カッパだ~ッ、カッパ~ッ!」と立錐の余地もなく埋
ったホールの観衆は度肝を抜かされ失笑から大爆笑に変わっていき
ました。その正体とは当時「河童の清作」こと斎藤 清作で頭のて
っぺんを剃りあげ颯爽とリングに登場してくるのでした。
戦いぶりはというと、両手を下げてノーガードで打たせるだけ打た
せて相手が打ち疲れて怯んだところで猛反撃して終わってみると相
手は打ちのめされていたのです。この突拍子もないパフォーマンス
の持ち主はのちにコメディアンや俳優兼タレントとして人気者とな
った「タッ、タ~ッコで~す!」たこ八郎なのでした。
ボクサー時代の頃から人を笑わせる素質は十分にあったようです。

しかし、河童頭で登場したのには理由があったのです。
彼は小学校低学年時(何年生かは不明)に田んぼで泥んこ遊びをし
ていたとき友達が投げた泥んこ玉が左目にあたり、それが原因で左
目は殆ど視力をなくしていたのでした。たこさんによれば親に知ら
れると叱られると思い何もなかったかのように過ごしたという。
人を笑わせるというよりも、頭のてっぺんを丸く剃って対戦相手の
気をそらせて目の悪さを隠すための作戦と暑さよけもあったと、後
に語っています。では何故、目が悪くてプロボクサーになれたのか
と言うと、プロテストの視力検査の時に前もって視力表を丸暗記し
てパスしたのだといいます。元々、斉藤清作は宮城県私立仙台育英
学園高等学校のボクシング部2年生時にアマチュアの県大会(高校
生の部)モスキート級で優勝の経験を持ち、技術的にはボクサーと
しての下地はあったのでした。すなわち、高校時代のボクシング部
でも左目の不自由を隠し通したことになります。そして、高校を卒
業すると上京して職を転々としながら過ごします。

ただ、ボクサーを目指しての上京ではなく、この頃人を笑わせるこ
とが好きで実際はコメディアンを夢見ての上京だったといいます。
そこで、何番目かの職業で映画のフィルム管理会社に勤めていれば
芸能関係者に会えるだろうというたこさんらしい理由でコメディア
ン目指して就職したのでした。仕事はフィルムを自転車で映画館に
運ぶ仕事だった。ところがある日、仕事が終わって帰宅する途中に
笹崎ジム(目黒区)の看板が目に飛び込んできて血が騒ぎ、窓の
外から練習風景を覗いていると掃除をしていたジム会長の奥さんら
しき女性に「ボクシング好きなのかい!」とジム内に招き入れられ
ると練習生を食い入るように長い時間眺めていたといいます。
ボクシングから遠退いていたが、時間が経つと雰囲気に誘われるよ
うに入門を決意したのでした。ジムには後に日本人初の2階級世界
制覇王者となるファイティング原田(原田政彦)も所属していた。

斉藤清作は練習を重ねて難なくプロテストに合格するといよいよ後
楽園ホールのリングに立つことになります。
1960年9月5日、吉田 貞吉(興伸)と戦うと、昔取った杵柄
で4回判定勝ちを収めてプロデビューを果たす。
その後は素質も開花してめきめきと頭角をあらわし東日本新人王戦
に出場すると、準決勝まで勝ち進んだのでした。
しかし、この年の秋にはまさかの事態が起きてしまいます。
新人王戦はトーナメント方式で行われる為、別グループから勝ち上
がってきたファイティング原田とぶつかり同門対決となってしまっ
たのです。この前代未聞の事態にジムはもとより主催する東日本ボ
クシング協会も前例がなく頭を抱えてしまいます。
当時、ボクシング界としての身内同門対決は時代背景からして罷(
まか)りならないものだったといいます。どちらかが身を引くしか
なかったのです。結局、斉藤清作に怪我が長引いていたこともあっ
て、ジム側との話し合いで斉藤清作が辞退することになります。
※(昔からJBCでの同門対決禁止の規定はなく、現在は新人王戦
などでは数試合の対戦例があります)

そして、結果的にはファイティング原田が準決勝、決勝を勝ち抜き
見事に東日本新人王に輝いたのでした。波に乗ってついには全日本
新人王も獲得する。

その後、辞退した斉藤清作は心情からして試合に出たい気持ちはや
まやまだったはずだが、ファイティング原田の前では一切不満を口
にする事はなく、かえって切磋琢磨して友情を深めたといいます。
そんな出来事はなかったかのように斉藤清作は戦い続けた。
1960年9月のデビューから34戦29勝(10KO)4敗1分
の戦績を積み上げニックネームも「河童の清作」と呼ばれるように
なって人気を高めていきました。
1962年12月28日(昭和37年)打たせて打つ戦法のために
怪我も多く35戦目にしてやっとの思いで日本フライ級王座への初
挑戦となった。当時世界戦経験者で日本フライ級王者の野口 恭
野口)に挑戦すると大方不利の予想を覆し壮絶な打撃戦を制して1
0回判定勝ちを収め見事王座を手にしたのでした。



たこさんのボクサー時代を追ったドキュメント風の映像が残され
ていました。貴重な映像をどうぞ!(4分19秒)



1963年2月19日、日本フライ級王座を保持したままノンタイ
トル10回戦でこれに勝てば世界挑戦も約束される試合(挑戦者決
定戦)を、後のWBA世界フライ級王者大場 政夫(帝拳)とボク
シング史に残る大激闘を演じることになる世界ランカーのチャチャ
イ・チオノイ
(タイ)と戦うとキャリア初の8回TKO負けを喫し
て世界挑戦の夢は絶たれてしまう。
その後、1963年4月14日、ビリー・ブラウン(比国)とノン
タイトル10回戦で戦い判定勝ちして再起を飾った。
現在ではあまり例のない試合間隔1カ月ちょっとの1963年5月
17日、前王者だった野口 恭との再戦で5回TKO勝ちの返り討
ちで日本フライ級王座の初防衛に成功した。
1963年11月14日、2度目の防衛戦では堤 五郎(興伸)と
戦って打ち勝ち10回判定で退ける。
1964年(昭和39年)4月2日、3度目の防衛戦では当時実力
者とされた飯田 健一(三鷹)の挑戦を受け対戦すると、壮絶な打
撃戦の末に10回判定負けを喫して王座から陥落してしまう。
結局、この試合を最後に体力の限界を悟って現役引退となったので
した。そして、かねてからの夢であり念願だったコメディアンを目
指していくことになります。

無二の親友ファイティング原田氏の回想!

元2階級世界制覇王者で同門の親友だったファイティング原田氏
は雑誌インタビューで「試合での展開はたいてい対戦相手に打たせ
るだけ打たせておいて、耳元で(効いてない、効いてな~い!)と
囁きながら、相手選手が打ち疲れたところで猛反撃して試合が終わ
ってみると、相手選手は打ちのめされていました。打っても、打っ
ても倒れないで効いた素振りを見せないからさぞかし対戦相手も斉
藤は怖かったと思いますよ」
と当時の斉藤清作の戦いぶりを懐しく
振り返っている。

また、 たこ八郎自身もボクサーになった経緯を人気絶頂期にテレ
ビ番組で語っていた。「僕はね、ほんとのこと言うとボクサーじゃ
なくて元々コメディアン俳優になりたくて宮城から上京したんだ。
まぁ、たまたま途中からジムに入門して取りあえずボクシングで名
前を売ってからという気持ちに変わったんだけどね」「現役時代に
は同郷出身で憧れのコメディアンスターだった由利 徹師匠のとこ
ろに弟子入りしようとして自宅に伺ったら(チャピオンになったら
来なさい。そうしたら弟子にしてやるよ!)と言われて死に物狂い
で練習したからね。ベルト巻かなきゃ次の夢に向かって行けないか
ら必死だったんだよ。だから、チャンピオンになれたんだけどね」

と本人も当時を懐かしむように語っていた。
しかし、師匠の由利 徹はあるテレビ番組で「たこにチャンピオン
になったら来なさい、と言ったのは断る口実だったんだよ。まさか
王者になるとは微塵も思ってなかったしね。でも、成し遂げる根性
があったから弟子にしたんだよ!」
と明かしていた。

脇役舞台修行から陽の目を見た!

斉藤清作は日本王者に登りつめてから「河童の清作」として人気
者になり、抱いていた「まず、ボクシングで名を売ってからコメデ
ィアン修行」という思いには辿り着いたのでした。
ボクサーを引退すると、憧れの由利 徹に弟子入りが許され早速、由
利宅に住み込んでの出発だった。そこから師匠の舞台公演などで脇
役の下積み生活が始まり徹底的に演技を仕込まれていく。しかし、
由利宅ではパンチドランカーの症状もあって何度か寝小便を漏らし
て居辛くなりその後は友人宅に身を寄せたといいます。(笑)
ボクサー時代の「河童の清作」から芸名「たこ八郎」へと役者稼業
に変わると売れない時代も長く続いたのでした。

そんな中、住んでいた近くの新宿ゴールデン街には毎晩のようにど
こかの酒場にいたという。修行の身でありながら毎晩酒を呑めた理
由にはツケを許されたからだった。時には東北訛りをからかわれて
酔った勢いで暴力沙汰を起こしても酒場の出入り禁止などにはなら
ずかえって親しみを持たれたと当時の居酒屋店主は語っている。
また新宿ゴールデン街の他のパーやスナックの店主はたこさん目当
てにくる客も多くかえって繁盛に貢献してくれたことでツケは請求
しないことに決めていたと雑誌などで語られている。これもたこさ
んの憎めない人柄からでしょう。この頃、同じ店で飲んでいた客と
些細なことから喧嘩となり右耳を噛みちぎられ三分の一を欠損して
いる。そんな酒浸りの生活ながらも師匠の人情喜劇の舞台ではあえ
て東北訛りのセリフを与えられ笑いを取ると次第にクチコミととも
にメディアでも紹介され評判となった。そして、役者ぶりも板に付
くと徐々に仕事も増え映画、テレビへと活躍の場が広がっていくの
でした。

1970年、高倉 健主演のシリーズ映画『新・網走番外地』(東
映)にチンピラ役で出演。この出演が切っ掛けでシリーズ4作に出
演してチンピラ役をやらせれば右に出る者がいないと言われるほど
嵌(はま)り役となり、その後も東映の任侠映画出演は続いた。
1973年、小川 真由美主演の探偵ドラマ『アイフル大作戦』
TBS)へのチョイ役でテレビ界へも進出。
1977年、高倉 健主演の大ヒット映画『幸福の黄色いハンカチ』
(松竹)では武田 鉄矢・高倉 健に因縁をつけるチンピラ役で僅か
数分の出演ながらも迫真の演技を披露した。
特に、大ブレイクしたのは1978年のTBSテレビ系列で放送さ
れたコメディドラマ『ム~一族』への出演(憎めないチンピラの八
郎役)で東北なまりのセリフで茶の間を笑わせる演技で“たこ八郎”
の名が全国的に知られるようになり一躍人気者になったのでした。
80年代に入ってもその風貌と独特な語り口が重宝がられテレビ、
映画と数多く出演しています。また、芸名「たこ八郎」の由来はと
いうと足繁く通った行きつけの居酒屋「たこ久」から貰ったと後に
語っていました。

そして、人気絶頂期の1985年(昭和60年)7月24日の午前
中、神奈川県真鶴町の海水浴場で友人スタッフと飲酒しながら泳い
でいたところで心臓麻痺をおこして突然の死去。
この訃報はレギュラー出演していた『笑っていいとも!』(フジテ
レビ)の番組で司会者のタモリによって生放送中にいち早く全国に
伝えられていました。その日巷(ちまた)では「え~っ、たこちゃ
ん死んじゃったんだ!」
とその訃報に日本中が悲しんだのでした。
葬儀では葬儀委員長を赤塚 不二夫(漫画家)が務めていた。
弔問に訪れたタモリは哀しみの中「たこが海で死んだ。なにも悲し
いことはない!」
と笑いを盛り込む弔辞を述べ死を悼んだ。
ワイドショー番組の葬儀模様では師匠だった由利 徹が「あの、た
こ野郎!俺より先に逝きやがって、なんてことするんだ。うぅぅ~」

と嗚咽しながらインタビューに答えています。
亡くなる前年の84年にはNHK総合の銀河テレビ小説でたこ八郎
の半生を描いた自伝的ドラマ『迷惑かけてありがとう』(たこ八郎
柄本 明)を自らの座右の銘がタイトルとなって6月4日から6
月29日まで放送され大好評を得て益々人気を高めたのでした。
また、この時期はテレビコマーシャルでもサントリー、金鳥マット、
エースコック、宝酒造、オートバックスと引っ張りだこだったので
す。亡くなって5年経った1990年3月5日にはTBSテレビ系
列の2時間単発ドラマ(月曜ドラマスペシャル)で後半生を描いた
『昭和のチャンプ たこ八郎物語』
が放送され、斉藤清作(たこ八
郎)役を片岡 鶴太郎が演じ、同門のファイティング原田役を元W
BA世界Lフライ級王者でタレントに転身して人気者となったトカ
ちゃんこと渡嘉敷 勝男が演じ高視聴率をマークして話題となりま
した。そして、この年全日本テレビ制作社連盟が毎年主催するテレ
ビ放送の優れた作品を選ぶATP賞の「優秀賞」を受賞しています。
これはDVDなど発売されてないようでユーチューブで小分けなが
ら視聴できます。是非、ご覧下さい。

河童の清作として活躍していたボクサー時代はちょうどアジア初
の東京オリンピック(1964年)を控えていて、ビル建設や道路
整備工事、新幹線工事の建設ラッシュで「オリンピック景気」と呼
ばれていた時代でもありました。当時の斎藤清作の試合映像をみる
と後楽園ホールは今以上に盛り上がり超満員の観客で埋まってその
型破りな戦い振りと、奇抜な姿に人気があったということです。
そして、ボクサーの憧れでもある後楽園ホールが名勝負・名選手を
生んで日本の聖地として「ボクシングの殿堂」と呼ばれるようにな
ったのもこの時代だったようです。

【たこ八郎 MEMO】
本名:斉藤 清作
出身地:宮城県仙台市宮城野区新田
誕生日:1940年(昭和15年)11月23日
死没日:1985年(昭和60年)7月24日(享年44歳)

〈ボクサー時代〉
★リングネーム:斉藤清作
★通称:河童の清作
★身長/リーチ:158cm〜160cm(諸説あり)/不明
★戦績:43戦34勝(11KO)8敗1分
★獲得タイトル:第13代日本フライ級王座(防衛2度/1962
年12月28日~1964年4月2日)
★スタイル:右・ボクサータイプ(後にスイッチヒッター)

〈芸能界時代〉
★芸名:たこ八郎(太古八郎名義もあり)
★通称:たこちゃん
★キヤッチフレーズ:「タッ、ターッコで~す!」
★座右の銘:「迷惑かけて、ありがとう!」

〈日本フライ級王者時代〉1962年~1964年
たこさん、さすがに日本王者となってからの河童頭はなかったよ
うです。(定かではありませんが?)



〈幸福の黄色いハンカチ〉松竹・1977年
武田鉄矢、高倉健に絡むチンピラ役で出演。
僅か数分のチョイ役ながら迫真の演技でした。健さんに絡むシーン
を山田洋次監督から演技指導を受けるたこさん。
※左端は桃井かおり。



〈笑っていいとも!〉フジテレビ・1982年~2014年
番組がスタートした翌年からの初期にレギュラー出演していた。
オープニングでは「タッ、タ~ッコで~す!」といって登場して人
気者だった。




たこさんは、数え切れないほどのテレビ、映画、ラジオに出演し
て人を笑わせ楽しませ誰からも愛され昭和という時代を足早に駆け
抜けていったのでした。


〈たこ地蔵〉
たこ八郎さんが亡くなって、師匠だった由利 徹さん(コメディ
アン俳優=故人)を筆頭に親友だったタモリ、赤塚 不二夫(漫画
家=故人)、山本 晋也(映画監督)さんらが発起人となって建て
られたお地蔵さんが存在するのです。
お地蔵さんにはたこさんの座右の銘だった「めいわくかけて、あり
がとう。」
の文字が刻まれていて命日にはたこさんファンだった人
々が全国から訪れる人気スポットとなっています。 合掌

所在地・東京都台東区下谷2ー10ー6「法昌寺」