◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆ -10ページ目

◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

ボクシングの一寸先は闇だが一瞬にして栄光を掴む!

★ ★ ★ 🖥️ PC版でご覧ください!★ ★ ★



《4団体世界Sミドル級タイトルマッチ》
開催日:9月13日(日本時間14日)
開催地/会場:米国ネバダ州ラスベガス・パラダイス地区/アレジ
アント・スタジアム(最大7万2千人収容)





4団体世界Sミドル級統一王者
サウル"カネロ"アルバレス(35=O/mex)
VS.
WBA世界Sウェルター級王者・2階級4団体統一王者
テレンス・クロフォード(37=Sh/usa)


いよいよ世界が注目する世紀の対決迫る!

カネロ・アルバレスは今年2月7日(日本時間8日)サウジアラ
ビアの娯楽庁長官トゥルキ・アルシェイク氏が主導する"リヤドシ
ーズン"
のイベント出場4試合(王座保持の条件)を締結して2試
合目となる。今回クロフォードとの対戦に勝利すれば2022年5
月7日、2度目のLヘビー級挑戦で12回0ー3判定負けに終わっ
た現4団体世界Lヘビー級統一王者のディミトリー・ビボル(ロシ
ア🇷🇺)との再戦が濃厚と言えそうだ。しかし、今回クロフォードに
負けてしまえば、仮に引き分けや微妙なスプリット判定ではない限
り白紙となり、引き際が訪れることになるでしょう。
アルバレスはこれまで引退には敢えて固執していなかったものの最
近のインタビューでは「決めてはいないがおそらく37、8歳辺り
かな? でも分からないよ、こればかりはね!それより次のリング
で頭が一杯だ」
とコメントしていた。
まあ、アルバレスは4階級制覇王者とは言っても疑問の声も多い。
2019年11月2日、2度王座に返り咲いた当時WBO世界Lヘ
ビー級王者だったセルゲイ・コバレフ(ロシア🇷🇺)に11回TKO
勝ちで4階級制覇に成功したものの明らかに36歳の王者は全盛期
を過ぎた王者であり決してアルバレスが最強とは言い難く値しない
という評論家もいたほどだった。その後、2023年当時アルバレ
スは現WBA&WBC世界Lヘビー級王者で当時WBC世界Sミド
ル級暫定王者で指名挑戦者だったデビッド・ベナビデス(米国🇺🇸)
戦を避けるようにプロモーターや中継先を変え対戦から逃げたと評
論家やファンから悪評を買っていた。確かに指名戦を消化せず世界
中のファンを裏切った行為は最強王者とは言い難いでしょう。
直近試合ではIBF世界同級王者のウィリアム・スクール(キュー
バ🇨🇺)と統一戦を争い12回3ー0判定勝ちしたものの試合内容は
芳しくなく遂に衰えが目立ったと低評価だった。

一方クロフォードのこの夢の対決は当初2階級も違うことで関係者
周辺は懐疑的で反対だったとされる。それでも世界中のファンやメ
ディアの後押しで交渉は開始された。ただ最初は体重設定問題や金
銭問題でまとまらず一旦交渉延期となっていた。ところが一転クロ
フォード本人はキャリア最大の集大成と位置付け金銭面より一番ネ
ックとされる体重問題に自ら決断するに至ったという。
SNSのコメントでは「試合後に体重差がどうだったということだ
けは避けたいからね。だから、彼のベスト体重で堂々と戦うと決め
たよ!」
とキャッチウェイト(契約体重)ではなくSミドル級で戦
うことを発表した。そして、ファン待望の世紀の対決は最終交渉と
なった6月11日に正式決定となった次第。さすがに大人対応です。
しかし、クロフォードは地味な性格でこれまでこれといった派手な
パフォーマンスも行わず挑発も控えるなど実力はあるものの今一人
気はなかった。いわゆる玄人好みする選手なのだ。余計な挑発やハ
ッタリのない紳士的クロフォードに日本ではファンも多いはずだ。
おそらくクロフォードは負けても言い訳はしない男でしょう。
これまでライト級、Sライト級、ウェルター級、Sウェルター級と
4階級を制覇している。それに加えSライト級とウェルター級で史
上初の2階級での4団体王座統一の偉業を達成した。
直近戦は昨年8月3日、WBA世界Sウェルター級王者イスライル
・マドリモフ
(ウズベキスタン🇺🇿)とWBO世界同級暫定王座も懸
けられ戦うと序盤から中盤戦にかけ見応えあるペース争いを展開し
た。後半戦は王者マドリモフも右ストレート、左フックで攻勢を見
せたものの徐々にペースダウン。終盤戦に突入するとクロフォード
の左フックや左右アッパーが決まり見栄えいい見せ場を作りゴング
となった。マドリモフも怯まず打ち合ったが有効打で上回ったクロ
フォードが12回3ー0判定勝ちで4階級制覇に成功した一戦だっ
た。しかし、クロフォードも以前ほどパワーはなく衰えも見えた。

今回、何と言ってもSミドル級で長い間戦ってきたアルバレスが有
利なのは否めないでしょう。身長は一緒でもアルバレスは胸板が厚
く屈強な体つきでパワーを醸し出す。かたやクロフォードは線が細
くスピードで勝負をする選手。体重増で臨むクロフォードにこれま
で通り体が動くかどうかが課題となりそうだ。またクロフォードは
Sウェルター級でも一試合のみで2階級も違うSミドル級では経験
すらなく未知の世界だ。周囲が心配するのも無理はない。当然クロ
フォードはSミドル級クラスとスパーリングをこなしているでしょ
うが、実戦はぶっつけ本番状態となる。

日本を含め世界中のファン予想は当然のように二分している。
この無謀とも言える対決は果たして、どんな結末となるのか・・・

【両選手の戦績】
★サウル・C・アルバレス/67戦63勝(39KO)2敗2分
★テレンス・クロフォード/41戦41勝(31KO)無敗





★ ★ ★ 🖥️ PC版でご覧ください!★ ★ ★



ー元王者両選手復帰戦ー
《スーパーウェルター級10回戦》
ーundercardー
《ウェルター級6回戦》

開催日:8月31日(日本時間9月1日)
開催地/会場:米国ミシガン州デトロイト/ウェイン・ステート・
フィールドハウス




元WBO世界Sウェルター級王者
サダム・アリ(36=O/usa)
VS.
Sウェルター級ノーランカー
コーディ・ウィルソン(31=O/usa)

〈10回採点結果〉
100ー90(アリ)
100ー90(アリ)
99ー91(アリ)

アリが3ー0大差判定勝ちで6年3カ月ぶり再起に成功した。
アリは2017年12月2日、WBO世界Sウェルター級王者ミゲ
ール・コット
(プエルトリコ🇵🇷)の引退試合とされた一戦に大抜擢
された。アリはWBO世界同級7位で2度目の世界挑戦もさほど期
待はされていなかった。しかし、アリの右ストレート、左フックが
冴え中盤コットが巻き返したものの逃げ切り、12回3ー0(116
ー112/115ー113×2者)
の番狂わせ判定勝ちで王座を獲得した。
4階級制覇王者で一時はプエルトリコの英雄とまで呼ばれた王者を
破ったことでアリは一躍注目された。しかし、目の前には落とし穴
が待ち受けていた。2018年5月12日、初防衛戦をWBO世界
同級4位で強打者のハイメ・ムンギア(メキシコ🇲🇽)と争い序盤か
らムンギアの左フックを再三浴び、ついには4回TKO負け。アリ
は防衛することなく短命王者に終わった。その後は再起に成功。
しかし、2019年5月4日、WBC米国ウェルター級シルバー王
座決定戦でアンソニー・ヤング(米国🇺🇸)と対戦してあっさり3回
TKO負け。その後は引退を仄めかしてはいたが、発表はすること
なくリングから遠ざかっていた。そして、今回6年3カ月ぶりのリ
ング登場となった。勝利は6年8カ月ぶりだった。試合後は再び世
界を目指していくとコメント。果たして、若手が群雄割拠する中、
36歳となったアリに通用するのか注目したいところ。

コーディ・ウィルソンは元王者に先ずは勝利して世界ランキング入
りを目指したが、叶わなかった。痛い6敗目となった。
今後負けが込めば若手の踏み台にされかねない。ウィルソンは再起
に成功して二桁黒星は避けたいところでしょう。

【両選手の戦績】
★サダム・アリ/31戦28勝(14KO)3敗
★コーディ・ウィルソン/20戦14勝(9KO)6敗


ーundercardー
《ウェルター級6回戦》


元IBF世界ライト級王者
リチャード・カミー(38=O/gha)
VS.
ウェルター級ノーランカー
ウィリアム・ジャクソン(36=O/usa)

ーTKO・2回2分37秒ー

元IBF世界ライト級王者のカミーが2年5カ月ぶりのリング復帰
で再起に成功した。相変わらずのハードパンチャーぶりです。
カミーは2019年2月2日、IBF世界ライト級王座決定戦で
サ・チャニエフ
(ロシア🇷🇺)と争い2回TKO勝ちで王座を獲得し
た。初防衛戦を強打者のライムンド・ベルトラン(メキシコ🇲🇽)と
戦い8回KOで退けるとカミーの株は上がった。
しかし、2019年12月14日、2度目の防衛戦でテオフィモ・
ロペス
(米国🇺🇸)に2回TKO負けで王座から陥落。
その後は再起に成功したものの2021年12月11日、WBOイ
ンターCライト級王座決定戦でワシル・ロマチェンコ(ウクライナ
🇺🇦)に12回0ー3大差判定負け。負け癖が付いたと囁かれた。
2023年3月25日、WBC世界Sライト級挑戦者決定戦をホセ
・カルロス・ラミレス
(米国🇺🇸)と戦い11回TKO負けに終わっ
た。それ以降、引退は発表していなかったが、グローブを吊るした
と思われていた。そして、今回2年5カ月ぶりに復帰したが38歳
という年齢がネックとなりそうです。果たしてトップ戦線に絡める
位置に辿り着けるか・・・

ウィリアム・ジャクソンは格上相手に名を売る絶好のチャンスだっ
たが、呆気なく畳み掛けられてしまった。これでジャクソンは5連
敗目を喫して2014年10月の試合以来勝利がない。果たして、
負け癖から脱出なるか・・・

【両選手の戦績】
★リチャード・カミー/37戦31勝(28KO)5敗1分
★ウィリアム・ジャクソン/22戦13勝(5KO)7敗2分








《ABFアジアLヘビー級王座決定戦》
開催日:8月30日(土曜日)
開催地/会場:タイ・バンコク/ワールド・サイアム・スタジアム




前ABFアジアSミドル級王者
キッティポン・J・ハオホー(27=sgr)
VS.
インド・ライトヘビー級
ハープリート・シン(46=ind)

な〜んじゃこれ、試合直前中止!

【両選手の戦績】
★K・ジャン・ハオホー/13戦11勝(10KO)1敗1分
★ハープリート・シン/13戦11勝(6KO)2敗




★ ★ ★ 🖥 PC版でご覧ください!★ ★ ★


27年前の懐かしい一枚の写真!

8月24日の日曜日、暇だったので何気なくアルバムを整理して
いるとコメディアンで僧侶(曹洞宗僧名・熈林一道)でもあった在
りし日のポール牧師匠の写真が何故か一枚だけポロッと落ちたので
した。なんとも不思議だった。しかし、これはあくまでも心霊現象
や怪奇現象のような怖い話ではありません。(^o^)
ポール牧さんは若い頃から相撲やプロレスそれにボクシングと格闘
技に関して造詣(ぞうけい)が深く精通した芸人として知られてい
ました。そして、後楽園ホールでは度々見かけたものでした。
後で分かったことですが私が関係していたジムの後援者代表が昔か
らポール師匠のファンでその後の親交から招待していたようです。



ポールさんはリングサイドの一番前の席にいてカメラを向け1枚お
願いしますというと「お〜ッ、スポーツ紙か!二人ともカッコよ〜
く撮ってね、わかった!」
とおどけた声に笑いながら撮った記憶が
あります。隣はフジTV「ダイヤモンドグローブ」(ボクシング人
気長寿番組)の名解説でお馴染みの元OBF東洋(OPBF前身)
フライ級王者で元日本フライ級王者の矢尾板 貞雄氏だった。
この一コマは勝手に撮ったのではなく、友人で元日本ライト級王者
の某氏に頼まれ両氏には事前に了解を得て撮ったものでした。
写真の裏には1998年11月8日、東日本新人王11階級決勝戦
(後楽園ホール)と記していました。
この日、フライ級では当時から注目され後にWBC世界フライ級王
者となり人気者となった内藤 大助選手(宮田)が佐藤 宏章選手(
F・赤羽)と戦い大激戦の末、内藤選手が6回3ー0(1P×3者)
と僅差ながら判定勝ちで東日本新人王に輝いた日でもありました。

兎に角、ポールさんはテレビ以外の場でも分け隔てなく笑いのサー
ビス精神旺盛な人だったのでした。まあ、撮った本人も当時は若か
ったせいか調子こいて堂々と撮らせてもらったことを思い出します。
翌年の1999年暮れには広報として携わっていたボクシングジム
の後援会による忘年会が「銀座ライオン」で開かれた際もポールさ
んは人気絶頂期で"指パッチン"の大ブレイクでバラエティー番組
のテレビ出演後に招かれ来席していました。他にも知られた政治家
や有名俳優、人気力士、有名タレントなど多数が招かれていました
が、ポールさんが先頭に立ち宴会場を笑いの渦に巻き込んで盛り上
げていたのでした。

しかし、それから6年後の2005年4月22日早朝、新宿の自宅
マンション9階から投身自殺のニュース。衝撃が走ったのでした。
お笑い界ではまだ活躍できたであろう63歳での自死だった。
当時は2000年暮れの女性スキャンダルでマスコミに追いかけ回
された挙句、仕事が激減して"うつ病"を発症したと周りから聞い
てはいたが、まさか自ら命を絶つとは思いもしなかった。
何はともあれポール牧師匠には自死することなく生きて日本全国の
老若男女に笑いを振り撒いてほしいコメディアンの一人でした。
もう、亡くなってから20年で写真からは27年も経っている。
もし、ポール牧さんが生きていれば84歳の大御所としてまだテレ
ビやラジオで笑いを振り撒いていたのかもしれません。
そして、2022年9月13日、友人で名解説者の矢尾板 貞雄
も86歳で天に召されて逝きました。おそらく両氏は天国でも後楽
園ホール同様ボクシング談義に盛り上がっていることでしょう。
最後に日本全国津々浦々の茶の間を楽しませて戴いた両氏に心から
感謝して止みません。 合掌



(PHOTOS BY SANSPO.COM)

【泣ける話】ビートたけしとポール牧師匠のエピソード!
(2分7秒)


★ ★ ★ 🖥️ PC版でご覧ください!★ ★ ★



《WBA世界フライ級暫定王座決定戦》
ーunder cardー
《WBA世界Sウェルター級暫定王座TM》

開催日:8月23日(日本時間24日)
開催地/会場:米国フロリダ州オーランド/カリブ・ロイヤル・オ
ーランド




WBA世界フライ級1位
ヤンキエル・リベラ(27=S/pur)
VS.
WBA同級2位
アンジェリーノ・コルドバ(29=O/ven)

〈試合経過〉
序盤戦はコルドバがラフパンチでレフェリーから注意を受けるとリ
ベラも投げ飛ばす行為で注意され両者ともに噛み合わず荒れた展開
でスタートした。その後は揉み合いが続いた。
4回、接近しての打ち合いでリベラが左瞼をカットした。相変わら
ず揉み合っては打ち合う中、終盤リベラの振り回した左フックでコ
ルドバがスリップ気味のダウン。カウント8で再開。
5回〜6回とコルドバの連打でリベラが手数減らした。しかし、コ
ルドバはラビットパンチで減点1を科された。
その後もお互い接近しては小刻みパンチで打ち合うものの相変わら
ず揉み合いは続き見せ場の兆しはない。
11回、打っては揉み合う中、終盤コルドバの右ストレートでリベ
ラがフラついたがクリンチで逃れた。唯一、コルドバがリードした
ように映った。最終回も両者これといった決定打のないまま揉み合
う中、ゴングとなった。

〈12回採点結果〉
115ー111(コルドバ)
113ー113(ドロー)
113ー113(ドロー)

1ー0で勝敗成立せず引き分け。
結局、暫定王者は決定せず両者は再戦となるのか定かではない。
中継解説者も「これほど噛み合わない試合も珍しい。レフェリーも
大変な運動量だ。笑ってしまう」
と言うほど全く見所なしの塩試合
(凡戦)だった。




(PHOTO BY FIGHTMAG.COM)

それではどこが塩試合だったのか、とくとご覧ください! (^o^)
(19分37秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★ヤンキエル・リベラ/8戦7勝(3KO)1分無敗
★A・コルドバ/22戦19勝(12KO)2分1NC





ーunder cardー
《WBA世界Sウェルター級暫定王座TM》


WBA世界Sウェルター級暫定王者
ヨエニス・テレス(25=Sh/cub)
VS.
WBA世界同級1位
アッバス・バラオウ(30=O/ger)

〈試合経過〉
序盤から後半戦にかけバラオウがボディー攻めから時折右ストレー
トを浴びせて王者テレスの足元を揺らすなどリードして回を進めた。
最終回、挽回に燃えるテレスも連打で迫るものの、終盤再び打ち合
う中、バラオウの連打から左フックでテレスはロープにもたれ掛か
るダウン。ここでバラオウが勝利を決定ずけた。テレスが立ち上が
ったところで終了ゴングとなった。

〈12回採点結果〉
115ー112(バラオウ)
116ー111(バラオウ)
117ー110(バラオウ)

バラオウが3ー0判定勝ちでWBA世界Sウェルター級暫定王座の
奪取に成功した。尚、正規王座はテレンス・クロフォード(米国)
が保持している。クロフォードは9月13日の試合結果次第で返上
するのか、保持し続けるのかが決まる。もし返上なら、バラオウが
正規王者に昇格するか、もしくは正規王座決定戦となるのか待つこ
とになる。

テレスはWBA世界Sウェルター級暫定王座の初防衛失敗、王座か
ら陥落した。まあ、最後のダウンがなくても負けは見えていた。
初黒星を喫したテレスは再びトップ戦線に絡めるのかは自身の奮起
次第でしょう。先ずは再起に賭けるしかない。




(PHOTO BY FIGHTMAG.COM)

バラオウがラストラウンドにダウンを奪ったシーンをどうぞ!
(1分11秒)
※途中消除の場合ありです。


【両選手の戦績】
★ヨエニス・テレス/11戦10勝(7KO)1敗
★アッバス・バラオウ/18戦17勝(9KO)1敗










《IBF豪州Sライト級王座決定戦》
開催日:8月23日(土曜日)
開催地/会場:豪州フォーティテュード・ヴァリー/フォーティテ
ュード・ミュージック・ホール




WBOアジアP・Sライト級8位
ジェイク・ワイリー(25=O/aus)
VS.
OPBFライト級11位
ユーセフ・ディブ(32=O/aus)

〈10回採点結果〉
97ー94(ワイリー)
98ー92(ワイリー)
98ー92(ワイリー)

ワイリーが3ー0判定勝ちでIBF豪州Sライト級王座を獲得。
ワイリーは今年3月22日、同国のスターで元3団体世界ライト級
統一王者のジョージ・カンボソスとノンタイトル12回戦で争い0
ー3判定負けに終わったが、後半戦は左右で反撃を見せカンボソス
を慌てさせる攻撃で採点以上に評価されていた。今回のIBF豪州
Sライト級王座獲得で世界ランキング入りも可能性大でしょう。
若いワイリーの今後に期待です。

ディブはIBF豪州Sライト級王座獲得に失敗。
ディブのこれまではIBF豪州ライト級王座を無敗で獲得して期待
されたが初防衛に失敗、再起には成功したものの、その後は痛い2
連敗となった。今回階級を上げSライト級で臨んだが3連敗を喫し
てしまった。ディブは再起に賭けての出直しとなる。


(Photo by realfights.com)

【両選手の戦績】
★ジェイク・ワイリー/21戦18勝(16KO)2敗1NC
★ユーセフ・ディブ/25戦21勝(11KO)4敗


★ ★ ★ 🖥 PC版でご覧ください!★ ★ ★


キューバ伝説の世界王者キッド・チョコレート!



1927年後半から1938年後半にかけニックネーム(愛称)
ではなく正式リングネームとしてキッド・チョコレート(小型のチ
ョコレート)の名で当時ボクシングの聖地だった米ニューヨーク市
マンハッタン区にあるマディソン・スクエア・ガーデンのリングに
上がり大活躍していたキューバ人初の世界王者が存在していました。
本名はセルヒオ・エリージョ・サルディーニャス・モンタルボ(Se
rgio eligio sardinias montalbo)
というちょっと長〜い名
前なのでした。当時、熱狂的ボクシングファンの多かったニューヨ
ーカーに長い本名は向かず、早く名前を覚えて貰うことが狙いで当
時のプロモーターが付けたとされています。しかし、なぜ甘い食べ
物がリングネームとなったのかは諸説あるものの当時初めてモンタ
ルボの試合を観たニューヨークのファンが「なんて美しいチョコレ
ート肌したボクサーなんだ!」
と叫んだことが新聞記事で紹介され
、それがそのままリングネームになったとする説もあるようです。
当時、ミドル級以下の階級は注目度が低かったとされた時代に軽量
級で突如として人気が出始めてマディソン・スクエア・ガーデンを
メイン会場として使用できる地位まで昇格していた。知名度が上が
ると各州からのお呼びもかかったようで転戦も行なっています。
そして、活躍が海外にも知れ渡るとヨーロッパ(スペインとフラン
ス)や隣国のカナダでもリングに上がっていました。
その後、いつの日からかニックネームもキューバン・ボンボン(キ
ューバの砂糖菓子)とこれも甘~い愛称が付けられ、むしろこちら
のほうが親しまれたようです。

母国キューバでのモンタルボ少年(後のキッド・チョコレート)
は12歳の頃ハバナ市のスラム街に住み食事も満足に出来ないほど
貧しかったことから家族を助ける為に新聞配達を始めたのでした。
15歳となった頃に販売所では新聞紙を脇に抱えながら坂道を苦に
せず配達するスピードが他の少年よりずば抜けて速く耐久力に加え
運動神経のいいモンタルボ少年はたちまち街中で評判となります。
それを人伝てに聞いたその配達する新聞社のスポーツ論説委員が販
売所に出向いてモンタルボに「援助するからボクシングを習ってみ
る気はないか!」
と勧められるとモンタルボ少年は躊躇することな
く勧めに応じます。早速、国営のスポーツセンターでアマチュアボ
クシングを習い始めると元々運動神経が良かったことに加え耐久力
も備わっていたことでたちまち頭角を現すのでした。
キューバ各地で行われる大会に出場すると連戦連勝の負け知らずで
キューバ中の評判となったのです。そして、なんとアマチュア戦績
100戦全勝(86RSC・KO)無敗という途轍もない戦績を積
み上げます。まず地元の小規模大会からスタートして規模の大きい
州大会まで含めると数多くの優勝を飾ったとされています。
※(優勝回数は20度説と22度説があるが定かではない)

活躍したアマチュア時代の1926年代は既に国際大会も開催され
出場も期待されていたが、キューバ国内のクーデターが度々起きた
混乱で情勢も悪く出場機会はなかったという。
しかし、そんなモンタルボという若き逸材をプロボクシング界が放
って置くはずもなかった。17歳となったモンタルボはプロ勧誘を
受けて契約書にサインするとアマチュア100戦無敗の戦績を引っ
提げ、1927年10月22日、地元ハバナでジョニー・クルズ
キューバ)と6回戦を契約体重(体重不明)で戦い6回判定勝ち(
採点不明)のプロデビュー戦を飾ったのでした。
その後、モンタルボは1928年6月、9戦全勝(6KO)無敗の
戦績を上げて18歳となった時期、アマチュア時代の輝かしい実績
も含め関係者を通じて本場米国のプロモーターに評判が伝わり勧誘
されると米国本土で活動する契約が結ばれ成立となった。
当時のキューバは混乱期にあったが、まだ米国との友好関係の名残
りもあったようで渡航禁止などはなく、敢えて亡命することはなか
ったと記されている。モンタルボはトレーナーらとともにキューバ
をあとにニューヨークへと渡ることになった。

新聞少年時代から5年で栄光を掴んだ!

米国に渡ったモンタルボは1928年7月11日、ニューヨーク
市近郊ミネオラのミッチェル・フィールド・アリーナでフェザー級
8回戦をエディー・エノス(米国)と戦い3回TKO勝ちで米国デ
ビュー戦を飾った。この時点でプロ10戦全勝(7KO)無敗。
その後は連勝していた1928年11月30日、バンタム級10回
戦でジョーイ・スカルファロ(米国)と戦い引き分けに終わり連勝
は22で途切れた。しかし、それから再び33連勝を記録した。
初黒星は1930年7月15日、130ポンド契約(58、96kg)
の試合でジャック・キッド・ベルグ(英国)と戦い10回スプリッ
トによる1ー2僅差判定負け。57戦目での初黒星だった。
ニューヨーク州が活動拠点の場となりリングネームもキッド・チョ
コレートとなってから1930年11月3日時点で60戦57勝(
32KO)2敗1分のキャリアを積み上げていました。プロデビュ
ーからわずか3年あまりでこれだけの試合数をこなすには月に1,
66試合を戦っていた計算となり、現在では到底考えられない試合
数です。初の大一番となった1930年12月12日、NBA(W
BA前身)&NYSAC(ニューヨーク州アスレチック・コミッシ
ョン公認)世界フェザー級王者バトリン・バタリノ(米国)への世
界初挑戦だったが、15回7ー8(支配したラウンドを1ポイント
計算)の僅差判定負けで王座獲得はならなかった。
しかし、翌1931年7月15日、階級を上げ2階級制覇王者でN
BA公認世界Jライト級(現Sフェザー級)王者ベニー・バス(ウ
クライナ系米国人)へ2度目となる世界挑戦で7回TKO勝ちを収
めて見事念願の王座獲得に成功したのだった。公式認定団体の試合
でキューバ人初の世界王者誕生となった。
そして、新聞少年時代からわずか5年たらずでの栄光でした。

IMG_4412.JPG
(Photos by boxrec.com)

キッド・チョコレートは王者となってその名は一躍全米に広まり
母国キューバへも知れ渡ることになった。
1931年10月1日、NBA世界Jライト級王座をジョーイ・ス
コールファロ
(米国)の挑戦を受け戦うと、速攻でわずか初回TK
O勝ちで初防衛に成功する。
1931年11月20日、試合間隔2カ月満たない中でJライト級
王座を保持したまま階級を上げ、当時人気スター選手だったNBA
世界ライト級&Lウェルター級(現Sライト級)の2階級保持王者
トニー・カンゾネリ(米国)へ挑戦するとお互い引かない激闘を繰
り広げた末に15回1ー2の僅差判定負けで王座獲得はならなかっ
た。※この試合は名勝負としてボクシング史に刻まれている。

カンゾネリVS.チョコレート戦(4分14秒)


1932年4月10日、再起して2連勝後、保持していたNBA世
界Jライト級王座をデビー・アバド(米国)と戦い15回判定勝ち
で2度目の防衛に成功。この後は半年の間に7度のリングで6勝1
敗となっているが王座防衛失敗なのか剥奪なのかそれともノンタイ
トル戦だったのかは記載がなく不明。
1932年10月13日、NYSAC(ニューヨーク州アスレチッ
ク公認)世界フェザー級王座戦&Jライト級(現Sフェザー級)王
座決定戦をルー・フェルドマン(米国)と戦い12回KO勝ちで両
王座を獲得するとともに2階級制覇を達成。
※(注)この時代は2階級ダブルでタイトルが懸けられることは珍
しいことではなかったようです。

キッドチョコレートは2階級王座獲得でニューヨークでの人気をさ
らに高め不動のものとした。両王座を2度防衛するとNYSACフ
ェザー級王座は返上した。その後、1933年11月24日、ライ
ト級ノンタイトル10回戦で2年前に戦って判定負けしたトニー・
カンゾネリ
との再戦でリベンジを狙って臨んだが、キャリア初の2
回KO負けを喫してしまう。再起に成功して1カ月の間に2試合目
となった1933年12月25日、保持していたNYSAC公認世
界Jライト級(現SFe級)王座4度目の防衛戦でフランキー・ク
リック
(米国)にまさかの7回TKO負けで王座から陥落して無冠
となってしまった。その後は再起して5勝2分とした。

無冠となったキッドチョコレートは母国キューバやベネズエラで転
戦しながら王座返り咲きを目指していたものの、なかなか世界戦に
恵まれず、格下相手にグローブを交える試合が長く続いた。
1937年8月19日、ニューヨーク市マンハッタンのマディソン
・スクエア・ガーデンでフェザー級10回戦をジョニー・デフォー
(米国)と戦い判定勝ちを収める。
ここまで147戦132勝(50KO)10敗5分の戦績を積み上
げたが、世界挑戦へのチャンスは巡ってこなかった。
そして、この試合を最後に7年もの長い間、主戦場としてきた第二
の故郷とも言えるニューヨーク市から母国キューバへと帰国するこ
とになります。その後、故郷に戻ったキッドチョコレートは現役を
続けて地元ハバナのリングで4連勝した後、1938年12月18
日、同じハバナ市のリングでフェザー級10回戦をニッキー・ジェ
ローム
(キューバ)と戦い引き分けに終わると体力の限界を悟って
この試合を最後に惜しまれつつも現役を退いたのでした。
プロ戦績152戦136勝(51KO)10敗6分という素晴らし
い戦績を残しての引退だった。


(Photos by pinterest.com)

〈キッド・チョコレートMEMO〉
本名:セルヒオ・エリージョ・サルディーニャス・モンタルボ
生年月日:1910年1月6日
ニックネーム:キューバン・ボンボン(キューバの砂糖菓子)
出身地:キューバ共和国ラ・アバーナ州ハバナ市セロ地区
死没日:1988年8月8日、地元ハバナ市で死去。(享年78歳)
対戦階級:フェザー級・Sフェザー級・ライト級
プロデビュー:1927年10月22日
ラストファイト:1938年12月18日
身長/リーチ:168cm/165cm
スタイル:右・ボクサーファイター

【プロ戦績】
★152戦136勝(51KO)10敗6分
【アマ戦績】
★100戦全勝(86RSC・KO)無敗


〈獲得タイトル〉
★NBA(現WBA)世界Jライト級王座。(防衛3)
★NYSAC(ニューヨーク州公認)世界Jライト級王座。(防衛3)
★NYSAC(ニューヨーク州公認)世界フェザー級王座。(防衛2)

NYSAC(New York State Athletic Commission=ニュ
ーヨーク州運動委員会)
とは1920年代初頭にマフィアや、なら
ず者が介在した怪しい団体が乱立した時代でそれを一掃する為に、
ニューヨーク州で当時のプロボクシングとプロレスリングの王座&
試合認定を統括する州の準公的団体として発足、設立された。
当然、民間による現在の主要4団体より古い老舗団体で最近は王座
の認定などは行わず、主にニューヨーク州内での試合を認定するの
みの州コミッショナー団体として現在も存在している。

キッド・チョコレートのボクシングスタイルはオーソドックスで
軽快なフットワークから鋭い左ジャブを繰り出し接近すると回転力
ある左右で上下に攻める極めてコンビネーションに優れた選手でし
た。強打者ではなかったが、スピードとテクニックに加えパンチを
躱す柔軟性に優れ152戦してわずかに10敗。しかも、KO負け
はストップによるTKO負けの1度と完全なKO負けは1度しかな
く打たれ強くタフだったのです。また、判定負けの8度のうち3度
はスプリット判定による微妙な僅差負けでした。
そのキッドチョコレートのテクニックを駆使した戦いぶりは後にア
メリカのボクシング史に残る伝説的ボクサーとなった2階級制覇王
者(ウェルター級&ミドル級)のシュガー・レイ・ロビンソン(米
国)でさえ彼を絶賛し褒め称えたといいます。

(キッドチョコレート激闘ぶりの映像約2分)


(チョコレートを絶賛した名王者ロビンソン)


政変で人生を狂わされた英雄キッドチョコレート!

引退したキッド・チョコレートはその後、異国で偉大な功績を残
したことで国民の老若男女に慕われキューバ・スポーツ協会のボク
シング部門で名誉会員として招かれ若い選手や子供達の指導者とし
て従事しながら余生を送っていました。
しかし、キューバ革命(1953年7月~1959年1月)が起こ
るとやがて共和国制国家からカストロ社会主義政権国家となって資
本主義者の一斉排除が始まり、1961年3月からはスポーツ選手
のプロ活動などは全面禁止される時代へと突入していった。
そして1962年、ソ連と軍事協定を結んだキューバは米国と敵対
して核戦争一歩手前まで発展した。(所謂キューバ危機と呼ばれる)
当時のキッド・チョコレートに対しては敵対国となったアメリカで
長い間プロ活動で生活していたことや前政権の政治家との交流があ
ったことなどを理由に資本主義者(キャピタリスト)のレッテルを
貼られ指導者としての職も解かれたうえに一部の財産を没収される
などの弾圧を受けました。そして、晩年は家族とも生き別れ状態で
音信不通となり不遇な生活を余儀なくされたと伝えられています。

キッド・チョコレートはまさしく政治変動によって言われなき不当
な弾圧を受けたひとりだったのです。

(奥トレーナー姿が指導者時代のチョコレート)
IMG_4413.JPG
(キッドチョコレート75歳頃の写真とされる)
IMG_4422.JPG
(PHOTOS BY MARTINE BARRAT)

いまでこそ、アメリカでキューバ人選手が活躍していますがキッ
ド・チョコレートはキューバ人として初めて世界王者となりアメリ
カの地に活躍の場を切り開いてくれた大功労者だったのです。
そんなキッド・チョコレートは1988年8月8日、地元ハバナ市
内の病院で永遠の眠りについたのでした。享年78歳でした。

86年以上も前の選手ながら、キッド・チョコレートの名は今なお
出身地ハバナ市の誇り高き英雄として称えられています。

1991年・国際ボクシング名誉の殿堂博物館入り。
1994年・世界ボクシング殿堂入り。

IMG_4430.JPG