★伝説の世界ヘビー級王者!ロッキー・マルシアーノ/其の6・過酷な練習の賜物!/(復刻再編集版) | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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"爆弾パンチ"は過酷な練習の賜物だった!



前回も書き記したようにロッキー・マルシアーノはニューヨーク・ブロンクスにあるヤンキー・スタジアムで6万人を超す大観衆を動員してアーチー・ムーアと6度目の防衛戦で熾烈な戦いを繰り広げた。
2回にはムーアの強烈右アッパーをもろに浴びてダウンの劣勢から9回逆転KO勝ちを演じて見せた。
スロースターターだったこともあってか不意打ち攻撃される場面も多く逆転劇は王者となって実に5度目のことだった。ダウンを奪われるということは決してディフェンステクニックに長けた選手ではなかった。技巧派相手には危うい試合も数度経験している。
しかし、ガードそっちのけで小細工なしで攻めるブルファイターぶりがファンを惹きつけたのだ。

70年も前の試合映像を見る限り現在のボクシングスタイルと比べればスピードやテクニックでかなり劣っているようで格差もあるように見える。
しかし、現在の選手は体格もよく練習環境も整い科学的に分析したりして恵まれたなかで体作りをしている。
半世紀以上も違えばスピードもテクニックも進歩して当然だと言えるでしょう。
ましてや当時であってもヘビー級では小柄(後に訂正され178cm)だったマルシアーノは劣る体格を人一倍の練習量をこなしてリングに上がるしかなかったと伝記(バイオグラフィー)などでは記されている。
そして、英文解説部分では(practice with effort=努力して練習する)と書かれていることからマルシアーノは手を抜かない"練習の鬼"であったことが窺えるのです。

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それではマルシアーノのトレーニングシーンと試合のハイライトシーンをどうぞ!(4分21秒)
これぞまさしくシルベスター・スタローンが憧れて映画にした「ロッキー」そのものです。


1955年5月16日、元コモンウェルス英連邦王者で技巧派のドン・コッケル(英国)を9回TKOで下して5度目の防衛に成功すると早々に6度目の防衛戦(同年9月21日アーチー・ムーアとの対戦)が決定する。
その意外にも短い試合間隔の4カ月間に途轍もない練習量には驚かされる。特に2カ月間を走り込みに集中して100マイル(約160Km)も走り込んでいる。
また、ハイスクール時代の経験から縦横無尽に走り回るアメフトなども取り入れ足腰を鍛えていた。
素人考えでは1日3Km走れば54日間で160kmは到達できると安易に考えがちだが、そうではなく縄跳び、シャドー、ミット打ち、マスボクシング、スパーリングなどの練習を含めての走り込みだから逃げたくなるように厳しい。そして、スパーリングもトータル150ラウンドもこなしていた。まさに、怪物だったのだ。
ジャーシー・ジョー・ウォルコットアーチー・ムーアに倒されても逆転する攻撃力は、やはり練習量の賜物だったと想像してやまない。
半世紀以上も前の映像を見て、単に力まかせに殴り合って数打ちゃ当たるように見えてもそこには裏打ちされた根拠があったのだ。

マルシアーノはある時、スポーツ・イラストレイテッド誌の記者が「どうしてあんなに逆転出来るんですか?」との単純な質問に、こう返した「スパーリングでわざと打たせて相手の打ち終りを見抜く鍛練を繰り返していたのさ。相手が変わっても3分間に2,3度は隙と癖が見抜けるようになった。そこを集中して攻めると体が勝手に反応するようになったからね!」とコメントしている。
まさに、マルシアーノの“爆弾パンチ”は辛く厳しい練習によって成果として試合で証明して見せたのだった。
そして、試合の重圧から解放されたある日、ジムに出入りする記者に重大発表することになるが・・・

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(1955年スポイラ誌で特集)
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〜〜〜其の7に続く!(不定期更新)

【Rocky Marciano Biography&wikipedia-参照】