★伝説の世界ヘビー級王者!ロッキー・マルシアーノ/世紀の大逆転劇!/其の3(復刻再編集版) | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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      ヘビー級史に残る世紀の大逆転劇!

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ロッキー・マルシアーノは生き残りを賭けたサバイバルマッチで元国民的英雄のジョー・ルイス(米国)を8回衝撃的KOで下して一躍その名を全米に轟かせることとなった。
その後は3連勝(3KO)して1952年7月28日、ヤンキースタジアムで当時の実力者だったハリー・マシューズ(米国)とNBA世界ヘビー級王座挑戦者決定戦を争い、わずか2回2分4秒のKO勝ちで見事挑戦権を獲得。長い道のりだったが42戦目にしてようやくマルシアーノに世界初挑戦の扉が開かれたのだった。

(マシューズを僅か2回KOで挑戦権獲得)


挑戦する相手はNBA(後のWBA)世界ヘビー級の遅咲き王者と呼ばれたジャーシー・ジョー・ウォルコット(米国)である。
ウォルコットはジョー・ルイスが王者だった時代に2度の挑戦も15回判定負けと11回KO負けで跳ね返されていた。
そして、ジョー・ルイスの引退によって空位となった王座を1949年6月22日、イザード・チャールズ(米国)と王座決定戦を戦うも15回僅差判定負けで王座獲得に失敗した。
1951年3月7日、再戦でイザード・チャールズに挑むもまたしても15回判定負けに終わってしまう。
しかし、1951年7月18日、イザード・チャールズとの再々戦で大方不利の予想を覆す7回55秒のKO勝ちを収めて念願であった王座に登り詰めたのでした。
それまでウォルコットは数々の激闘を繰り広げて名前は知られていたが通算5度目のヘビー級世界挑戦では当時37歳6カ月という史上最高齢での王座獲得となり一躍全米の喝采を浴び人気選手となった。当時から"試合を捨てない勇敢なボクサー"としてウォルコットは知られた。そして、現在でもその名は語り継がれている。
これは1994年11月5日、ジョージ・フォアマン(米国)が当時WBA&IBF世界ヘビー級統一王者だったマイケル・モーラー(米国)に10回KO勝ちして45歳9カ月の史上最高齢王座獲得者になるまで43年もの長い間、破られなかった記録であった。
その後ウォルコットは1952年6月5日、通算4度目の対決となる前王者イザード・チャールズとのリターンマッチで15回判定勝ちを収めて初防衛に成功したのだった。

ロッキー・マルシアーノはいよいよ世界初挑戦の時が刻々と迫ってきていた。1952年9月23日、試合会場のペンシルベニア州フィラデルフィアにあるミュニシパル・スタジアムの中央に設けられた特設リングには注目度も高まり4万人以上もの大観衆が詰めかけた。リング上では69戦51勝(33KO)16敗2分の遅咲き老練王者ジャーシー・ジョー・ウォルコット38歳とトップコンテンダーで42戦全勝(37KO)無敗のロッキー・マルシアーノ28歳が対峙すると大観衆の緊張は高まるのだった。

(かつて存在したミュニシパルNFL球技場)


大歓声の中、ついにゴングは打ち鳴らされた。

試合が開始されるとお互い接近して出方の探り合いから攻防が始まった。ウォルコットが左右フック、アッパーと仕掛ける。
マルシアーノも負けじと右フック、アッパーで応戦。
初回にもかかわらず壮絶な打ち合いとなって間もなくウォルコットの左フックがマルシアーノの顎を絶妙のタイミングで打ち抜いた。マルシアーノは腰砕けのようにへたり込むまさかのキャリア初ダウン。直ぐに立ち上がって再開。
マルシアーノにあまりダメージはないものの焦りからか動きが雑になってしまう。出だしからダウンで窮地に立たされたが立て直して左右フック、アッパーの反撃で切り抜ける。
2回に入ってもウォルコットのワンツー、左右フックがヒットしてマルシアーノは棒立ちの場面もあったがなんとか耐え抜いた。

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ダウンを奪って益々ペースを上げるウォルコットがワンツー、左右フック、アッパーとマルシアーノを攻め続けて3回〜5回と優勢にラウンドを重ねていった。
6回に入ってやや動きの良くなったマルシアーノが左右フックで攻めるとヒッティングでウォルコットが左眉をカット。マルシアーノも左目尻カットとお互いが傷を負ってしまう。
しかし、ウォルコットは的確な左右フックでロープに詰める優勢な展開は続いた。マルシアーノは苦しみながらも被弾に耐え続ける。
11回にはウォルコットの強烈な左右フックでマルシアーノはいまにも倒れそうなフラフラな状態に陥ったがここでも執念深く耐えてみせる。ここまでウォルコットが明らかにポイントで大きくリードして主導権を握っていた。
12回に突入してもウォルコットの左右連打にマルシアーノは劣勢を強いられた。それでもマルシアーノの粘りでなかなか畳み掛けられないウォルコットにも打ち疲れが生じていく。

そして、魔のラウンドと呼ばれる13回(当時は15回の長丁場で最も波乱の多い難関のラウンドとされた)に突入していった。

この回序盤、立て直して挽回に燃えるマルシアーノ。
ポイントで大差リードしていたウォルコットは無理な攻撃を避け逃げの態勢に入る。そんな中、マルシアーノに跳ね返すパワーは残っていないかのように思われたが、耐えに耐えたマルシアーノは一瞬の隙を見逃さなかった。ウォルコットがロープを背に打ち気を見せた瞬間、マルシアーノが狙い澄ましたように強烈右フックを叩き込むとウォルコットは失神するようにロープに絡まりながら崩れ落ちた。もはや誰の目にも立ち上がれないと思わせるほどダメージを負ってしまった。ウォルコットは下段ロープに左腕を掛けたままレフェリーのカウントを聞いた。~エイト・・・ナイン・・・テン!
カウントアウトされたウォルコットは力尽きてリングに伏したまま暫くの間、動かなかった。その壮絶な結末にウォルコット陣営は直ちに駆け寄るのだった。

ーKO・13回43秒ー

マルシアーノは撃的大逆転KO勝ちで43戦目にして第12代NBA世界ヘビー級王者となった。

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4万人もの大観衆はその世紀の大逆転KO劇に酔いしれた。
敗れた前王者ウォルコットの戦いぶりにも観衆から称賛の声が飛び交った。そして、敗北寸前の窮地から放ったマルシアーノの右フック一撃は"スージーQ(Suzie-Q)"と命名された。

それでは12回まで劣勢だったマルシアーノが13回劇的大逆転KOで勝利した衝撃シーンをどうぞ!(50秒)


しかし、このスージーQの命名には諸説あるようです。

❶ 第二次世界大戦時の世界に恐れられた米軍爆撃機(特にB29など)に描かれたノーズアート(機首に描く絵)が"SuzieQ"と呼ばれた。このスージーQの由来はパイロットにスージーという愛する女性がいてイラストを爆撃機の機首にペイントして飛んだことが切っ掛けで米軍航空部隊に広まったとされる。それを知った新聞記者がマルシアーノの通称"ブロックトンの高性能爆弾"に関連付け命名したというもの。つまりマルシアーノの右は爆弾パンチだということを強くイメージさせた。



❷ 米国の1930年代〜1950年代に流行ったとされるスウィングジャズなどに合わせて踊るダンススタイル名が"スージーQ"(本来はステップを指す)と呼ばれた。マルシアーノは後に妻となるバーバラと結婚する前から好んで踊っていたとされることから、伝え聞いた担当記者がそれに因んで命名したというもの。
またマルシアーノのステップが似ていたからだという説もある。
しかし、このダンス紹介にはSuzyQ、SusieQ、SuzieQと3通りのスペルが存在して紛らわしい。???(^。^)



まあ、どちらもそれらしいのですが、実際のところどっちが真実なのかは判っていないようです。個人的には❶でしょうか?
読んで頂いた皆さんも❶❷から想像してみてはいかがでしょうか!
それにしてもマルシアーノにはエピソードが満載です。

この対戦後、前王者ウォルコット陣営の再戦要求にリターンマッチが承認され両者は再び戦うことになった。

〜〜〜〜〜其の4に続く!(復刻版で不定期更新)

【Rocky Marciano Biography-参照】
【Rocky Marciano Boxscene&Wikipedia-参照】