★伝説の世界ヘビー級王者!ロッキー・マルシアーノ/歴史に残る壮絶な戦い!/其の2(復刻再編集版) | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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元王者と新進気鋭の歴史に残る壮絶な戦い!



マルシアーノが王者になる前の1951年10月26日、米ニューヨーク市マンハッタン区にある当時ボクシングのメッカだったマディソン・スクエア・ガーデンの注目対決はノンタイトル戦にもかかわらず超満員(当時収容能力1万8千人)の大観衆で埋め尽くされた。会場にヘビー級成長株のホープロッキー・マルシアーノ(28=米国)と元世界王者で国民的英雄と呼ばれたジョー・ルイス(37=米国)が入場してくると試合前から大歓声が沸き起こった。




マルシアーノの通称が「ブロックトンの高性能爆弾」なら、ルイスは「褐色の爆撃機」と呼ばれていた。
両者の体格はマルシアーノの身長が180cmで体重が84Kgに対してルイスは187cmで体重は96Kgであった。(BoxRecの対戦時記録より)ルイスはマルシアーノと比べると一回りも大きく見えた。それだけマルシアーノは小柄だったのだ。
戦績はマルシアーノが37戦全勝(32KO)無敗で世界戦の経験はないもののKO率86,5%という驚異的倒し屋で唯一負けのない期待の白人選手だった。 37戦でホープっておかしいとお思いでしょうが現在とは当然状況が違っていました。
70年以上も前の当時は世界王座認定団体として存在したのは一番権威ある団体とされたNBA(ナショナル・ボクシング・アソシエーション)と第二団体の位置付けだったNYSAC(ニューヨーク・ステイト・アスレチック・コミッション)の2団体しかなく特に人気のあったミドル級やヘビー級などは30〜40戦していてもなかなか世界戦に辿り着けずホープ扱いの時代だった。
当時のボクシング史記録を調べると現在のように数戦で世界挑戦など皆無の時代だったようです。ルイスは68戦66勝(52KO)2敗でNBA(後のWBA)世界ヘビー級王座を25度防衛(現在も記録更新中)という輝かしい大記録を打ち立てた国民的英雄であり黒人の誇りでもあった。

ルイスは一度引退して悠々自適の生活を送っていたが、手掛けた多角事業の広告代理店、保険代理業、牛乳販売店、レストラン&カフェ店などが経営不振で思わしくなかったことに加え税金滞納も含めて莫大な借金を抱えたことで現役復帰を決断する。
1950年9月27日、王座返り咲きを狙って当時のNBA世界ヘビー級王者イザード・チャールズ(米国)に挑戦したものの、2年3カ月のブランクも影響してか王者に攻撃を支配され15回0ー3の判定で退けられてしまう。しかし、その後は8連勝してこの試合に臨むのだったが、当時の記事によれば「ルイスはもう以前のように体も動かずパンチの威力も衰えてしまった。ましてや9歳も若い強打者が相手では酷すぎる!」と危惧も囁かれ始めていた。それでも元国民的英雄とホープの新旧対決は大注目となった。


そして、待ちに待った注目対決のゴングはついに打ち鳴らされた。

序盤からマルシアーノがウィビングしながらルイスの懐に潜り込んでいく格好で重い左右フックを振り回していく。
ルイスは何処からでもかかってこいという構えで打ち気を誘う。
マルシアーノは体を反らして左右に振りながら前へと押して出るとルイスは左ジャブから強烈な右ストレートで応戦する。
2回、マルシアーノが圧力をかけ強引に接近するとアッパーからフックと攻勢を仕掛ける。
3回、ルイスは左ジャブでけん制しながら時折強烈左アッパーでマルシアーノを仰け反らせるなど元王者の片鱗を見せる。

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4回まで一進一退の展開は続いたが5回からマルシアーノの手を緩めない攻撃でルイスのペースが徐々に落ちていく。
7回に突入するとお互い打ち疲れ気味もマルシアーノがボディー攻撃から左右フックがヒットすると試合の流れを引き寄せる。
ルイスも必死に左右フック、右ストレートで応戦するものの、手数が減っていった。

迎えた8回、マルシアーノの強烈左フックがルイスの顎にヒットすると動きが鈍ってしまう。ラウンド中盤、再びマルシアーノがロープに詰めて左フックを浴びせるとルイスはついにがダウン。
ルイスはカウントを受けながらロープ伝いに気力で立ち上がりファイティングポーズをとって試合再開。
しかし、ルイスはダメージで体が思うように動かない。
再びマルシアーノの左右フック連打から会心の右フック一撃でルイスはロープに絡まるようにリング外の袖に崩れ落ちた。あわやリング下に転落寸前だった。

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もう、ルイスに立ち上がる余力は残っていなかった。
レフェリーはダメージを確認すると即座に両手を挙げ交差させた。
そして、ルイスは横たわったままで無念の終了ゴングが会場内に響き渡ったのだった。

ーTKO・8回2分26秒ー

マルシアーノの右フックが元英雄に止めを刺す一撃となった。
まさに、これが「ブロックトンの高性能爆弾」と呼ばれた所以(ゆえん)だったのです。

それではマルシアーノの歴史に残る第8ラウンドの劇的KOシーンをどうぞ!(3分17秒)


ルイスはこの試合のダメージで病院送りとなった。
マルシアーノはその後、尊敬してやまないルイスを心配して入院先を見舞ったという。
元名王者を下したこの勝利で一躍脚光を浴びてロッキー・マルシアーノの名は全米はおろか世界中に広まることとなった。


(ルイスはこの後、病院へと直行した)


一方、マルシアーノは世界初挑戦へのサバイバル戦が待ち受けるのだった。

〜〜〜其の3に続く!
(2017年に其の10まで書いた復刻再編集版)


【Rocky Marciano biography & Wikipedia・参照】