★ 連戦連敗でもリングに上がり続けた男達!/特別編(復刻版〜Part-Ⅳ) | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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      連戦連敗でもリングに上がり続けた男達!


(Photo by boxingnews24.com)

負けても負けてもリングに上がり続けた男達がいた。
ここに紹介する引退した5人の選手はリングに上がり始めてから当然のように世界の頂点を目指したはずだった。
しかし、彼等は勝利から見放され連敗という暗く長いトンネルからなかなか抜け出せなかったのでした。
プロボクシングという大金を生み出す弱肉強食の世界でアマチュアエリートや叩き上げが一躍世界王者に登り詰めて栄光を掴む選手がいる一方で、リングに上がり続けても勝ち星に恵まれないまま寂しく引退していく選手も数多く存在するのです。
今回そんなボクシング界の物哀しくも輝くことなく報われないままリングから去っていった選手達を取り挙げてみました。

連戦連敗は勝利という夢を追い続ける"美学"と見るか、それとも単なる当て馬の"恥晒し"と見るかは人それぞれでしょう。

2013年10月4日の英国でのこと老舗新聞社デイリー・ミラー(The Daily Mirror)紙のボクシング担当記者が試合終了後のある選手にインタビューを試みたのだった。
記者:「あなたは何故、50連敗もしながらリングに上がり続けるのですか? 英国中に恥を晒しているとは思いませんか?」との問いかけに選手は:「何故、恥なんだ!リングで戦うライセンスを持っている俺にもベルトを巻く権利はあるんだ。貴方の質問は失礼だし愚かだよ!」と憮然とした表情で怒りをあらわにしたという。
しかし、この記者の書いたタブロイド記事が切っ掛けでネット上でも拡散され英国に留まらず世界中へと話題は広がっていくことになった。そして、彼は"噛ませ犬"と陰口を叩かれながらも勝利のためにリングに上がり続けるのでした。(下記で紹介)





最弱ボクサーと烙印を押された男!

◆ レジー・ストリックランド(米国)

【対戦階級】
ウェルター級/ミドル級/Sミドル級
【生涯戦績】
363戦66勝(14KO)276敗(25KO・TKO負け)17分4無効試合
【獲得タイトル】
1998年11月24日 米国インディアナ州Sミドル級王座獲得(防衛0)
2000年11月21日 2期目インディアナ州Sミドル級王座獲得(防衛0)
2002年6月28日 マイナー団体GBF世界Sミドル級暫定王座獲得(防衛0)


レジー・ストリックランドは1987年1月6日、ウェルター級の4回戦を判定負けでプロキャリアをスタートさせた。
1989年4月26日〜1990年9月12日まで21連敗を重ねてしまう。その後も勝利のあと9連敗や12連敗を3度も経験するなどすっかり当て馬ボクサーとなってしまった。
そして、1998年にはなんと年間42試合も戦っていた。
月平均3,5試合もリングに上がった計算になる。
たとえ4回戦や6回戦であっても日本のリングでは到底考えられず不可能な試合数です。しかし、ストリックランドの戦歴は米国のインディアナ州王座(2期)とマイナー団体を含めて3度王座に就いているのは立派だったと言えるでしょう。
2005年10月5日、Sミドル級6回戦で判定負けしての9連敗で引退を余儀なくされ寂しくグローブを吊るしたのでした。

〈追記〉
これまでの最弱ボクサーは誰だという話題になると他にもそれらしい選手はいるにも拘わらず、必ずと言っていいほどストリックランドの名前が挙げられてしまいます。
引退後にストリックランドはインタビューで「勝ってた試合でも負けにされてしまった試合も山ほどあったんだ!」と語っている。
276敗していてもKO負けは25度と少なく勝利数も66試合あると考えれば個人的には最弱とは言い切れません。
ストリックランドにとって、負け数だけがクローズアップされて試合内容を取り上げられず最弱と呼ばれるのは心外でしょう。


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英国の最弱も人気を博したボクサー!

◆ ピーター・バックリー(英国)

【対戦階級】
Sバンタム級/Sフェザー級/ライト級/Sライト級
【生涯戦績】
300戦32勝(8KO)256敗(10KO・TKO負け)12分
【獲得タイトル】
1991年6月5日 英国(ミッドランズエリア)Sフェザー級王座決定戦で王座獲得。(防衛1度)
1995年2月10日 英国(ミッドランズエリア)Sバンタム級王座獲得で英国の地域王座ながら2階級制覇に成功。(防衛0)


ピーター・バックリーは1989年10月4日、Sフェザー級4回戦でほろ苦い引き分けプロデビュー。
10戦目までは6勝2敗2分とそこそこの戦績だった。
しかし、2003年10月29日〜2008年9月26日まで37連敗して1分けを挟んで再び47連敗(84敗1分)するなど2度に渡り記録的連敗を重ねてしまった。(1分けを挟んでいる為、84連敗ではない)
2008年10月31日、Sライト級4回戦で判定勝ちしたものの39歳となっていた噛ませ犬的存在のバックリーはさすがに体力的限界を感じて19年間の現役生活に終止符を打ったのでした。
彼は256敗を喫したが、KO負けはわずかに10度と少なくいかにタフだったのかがうかがえます。
そして32勝の内、英国ウェスト・ミッドランズ州王座の2階級制覇(Sフェザー級・Sバンタム級)の王座獲得は彼にとって州王座ながらも勲章だったでしょう。
しかしファンはもはやバックリーの勝利ではなくどう負けるのかその試合ぶりをわざわざ観にくる客が多く「逆さスター」と呼ばれてローカル放送局ながらもテレビ中継されるほど人気があったようです。英国の最弱でも勝負は二の次で唯一名の知られた存在でした。

その後、2009年これを知った米国のハリウッド映画監督でプロデューサーのジョージ・ティルマンJr.の目にとまり伝記映画製作に乗り出すことが発表された。
ティルマンJr.監督は1997年の米国テレビドラマで人気を博した「ソウルフード」で注目され、ハリウッド映画では「ザ・ダイバー」ロバート・デニーロ主演の映画もヒットして注目された。
人間ドラマからアクションまで幅広くこなすマルチ監督として知られている。有望選手の踏み台(噛ませ犬)にされた陽の当らなかった選手をどう撮るのか、その出来映えが期待された。

〈追記〉
しかし、バックリーの引退後、2010年に伝記映画が製作されると話題にはなったものの、その後はネット上でこの伝記映画をいくら検索しても見あたらなかった。
まあ、話題ばかりが先走りしたこともあってか、製作費が思うように集まらず頓挫したのかもしれませんが・・・(笑)


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ルーマニアの54連敗不名誉記録ボクサー!

◆ アレクサンドル・マネア(ルーマニア)

【対戦階級】
ミドル級/Sミドル級/Lヘビー級/クルーザー級/ヘビー級
【生涯戦績】
54戦0勝54敗(14KO・TKO負け)


アレクサンドル・マネアは2000年9月30日、ミドル級の4回戦で判定負けプロデビュー。
その後は徐々に階級を上げて戦ったが、連敗は続いた。
2013年11月9日、アリ・バグーズ(ベルギー)とヘビー級6回戦に挑んだが3回KO負けに終わり、54敗目を喫した。
結局、4試合連続でのKO負けとなった為、限界を悟ってこの試合を最後に引退した。

〈追記〉
マネアは2004年1月17日、後にIBF世界ミドル級、WBO世界Sミドル級の2階級世界制覇王者となってリングを沸かせたアルツール・アブラハム(ドイツ)ともSミドル級時代に6回戦で戦い3回TKO負けを喫している。
意外にも54敗の内、KO負けは14度と少なかった。
しかし、最後となったヘビー級と5階級にわたって戦ったが、有望選手の踏み台(噛ませ犬)にされた格好となり、全敗で寂しくリングを去った。


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“人間サンドバック”と話題になった51連敗男!

◆ ロビン・デーキン(英国)

【対戦階級】
フェザー級/Sフェザー級/ライト級/Sライト級
【生涯戦績】
55戦2勝53敗(14KO・TKO負け)


ロビン・デーキンは2006年10月28日、フェザー級4回戦でショーン・ウォルトン(英国)に判定勝ちデビューを飾った。
しかし、次戦から長く辛い道のりを歩むことになる。
2戦目の2007年2月17日〜2013年10月4日まで実に50連敗して2連続KO負けを喫したことで身体のダメージを心配したBBBofC(英国ボクシング管理委員会)はライセンス発給を停止してしまった。デーキンは諦めがつかず、リングに上がることを管理委員会に訴え、健康診断で身体に異常がない旨の診断書を提出したが、ライセンスは再発行されなかった。
デーキンはそれならばと他国のコミッションを求めてドイツのボクシング協会へライセンス発行を願い出るとドイツでの試合出場許可を得ることに成功した。この稀に見る連敗を続けるデーキンにメディアもザワつき始め英国の老舗新聞社デイリー・ミラー紙も取り上げたのだった。そのミラー紙のインタビューにデーキンは「どうせ今の俺は人間サンドバックだ。これから先どうなるかは分からないが、俺はタイトル獲得に値する人間だと思っている。ドイツでの復帰が英国ボクシン管理委員会の判断を変えてライセンスを戻してくれることに期待しているんだ。ライセンスが戻れば、また夢を追い続けることができる。ボクシングが俺のすべてなんだ。連敗記録は俺の本当の能力が反映されていない」と訴え話題とともに大反響を呼んだのだった。そしてデーキンの生い立ちも紙面で紹介されていた。デーキンは先天性内反足を持って生まれ、60回もの手術を受けて6歳まで全く歩くことができず歩行訓練の努力で克服して歩けるようになった稀有な選手と紹介していた。
12歳ころから体を鍛える為に、ボクシングを始めるとのめり込みアマチュアでは75戦40勝の戦績を残している。
その勝利の中には英国ユースボクシング選手権の準決勝(ベスト4)まで進出したこともあった。その後は少なからず足に障がいが残るデーキンはプロとしてもリングへ上がり続ける姿に障がいを持った子供達の大ヒーローとなった。
話を元に戻すと結局、新聞やテレビでの大反響もあってか英国ボクシング管理委員会はデーキンを尊重してライセンスを再発行すると発表したのだった。しかし、2014年3月1日、ライト級4回戦で判定負けして51連敗という英国の不名誉記録を更新してしまう。(この連敗記録が世界中に知れ渡る切っ掛けとなった)
それでも、デーキンはまだ勝利にこだわり諦めなかった。
2015年8年25日、Sライト級4回戦でデニス・コーニロブス選手(ラトビア)と戦い3ー0判定勝ちして8年10カ月振りとなる2勝目を挙げて応援に駆けつけていた障がいを持った子供達とともに喜びに浸ったのだった。その後は暫くしてもうグローブを吊るしたのかBoxRecの対戦データ掲載はストップしていた。
彼こそが、誰よりも1勝の重みと喜びを感じたボクサーだったのかもしれない。

〈数少ない映像から〉
2012年1月28日、ロビン・デーキンが45戦目でライト級4回戦をライアン・テイラー(英国)と戦いダウン応酬の末3回連打に晒され3度目ダウンでTKO負けしたが、デーキンの戦いぶりもなかなかのものでした。(3分56秒)


〈追記〉
驚いたことに2017年7月7日、夕方の日テレ・スポーツニュースで足に障害を持って生まれたボクサーとしてロビン・デーキンが紹介され53敗目を喫したと放送された。
50連敗ボクサーとして世界中で話題となった3年前から知ってはいたが、日本でニュースになったことで哀れさも感じた。
しかし、負け続けても障害を持った子供達の為に勝利を追い続けるその精神は逞しくもあった。
2015年8月29日の2勝目が最後の試合だと思ったが、31歳となっても現役だった。
2017年の5月26日と7月6日、ともにスペインに遠征していずれもTKO負けに終わる。(これが日本でもニュースとなった)
デーキンの連敗は51でストップしたものの、通算戦績は55戦2勝53敗となった。

そして、2018年3月11日、英国のタブロイド紙デイリー・ミラーザ・サンでロビン・デーキンは12年間の現役生活から引退したと報じていた。


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衝撃の31敗全KO負けボクサー!

◆ エリック・クランブル(米国)

【対戦階級】
ウェルター級/Sウェルター級/ミドル級/Sミドル級/Lヘビー級/クルーザー級
【生涯戦績】
32戦0勝31敗(31KO・TKO負け)1無効試合


エリック・クランブルは1990年6月22日にミドル級4回戦で2回KO負けの黒星デビューとなった。
その後はデビューから4戦目に無効試合を挟んで2003年9月19日にLヘビー級の4回戦に初回TKO負けで勝利することなく32戦目で引退に追いやられた。
主戦階級には落ち着かずウェルター級からクルーザー級まで6階級をこなしたが、格好の当て馬にされてしまった。
無残にも負けはすべてKO・TKOによるものだった。
そして、戦ったという記録だけが虚しくも明確に残された。

〈追記〉
32戦未勝利のエリック・クランブルは意外にも最弱ボクサーとしての名前はあまり挙がったことはない。
試合数も少なく名前が知られていないこともあるのでしょう。
しかし、31敗のすべてがKO負けであまりにも衝撃的過ぎる。
おそらく、ボクシング史上で最も無残な結末を残した選手と言えるのかもしれない。


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