お手伝いしましょうか?
不意にこう声をかけられたら
私は反射的に断ってしまうかもしれない…この前のように。
もちろん助けが要る時、
自分ではどうしてもできないときは甘んじるが
自分でできることは他人の手を借りるな
他人に助けてもらうのは
屈服だ
恥だ
という仄かな意識が
この齢になっても心のひだの間から
拭いきれない。
小学校の5、6年生のとき
私の教室移動やトイレ棟への移動介助で
母は下校時まで何度も家と学校の間を往復していた。
家との距離は自転車で10分くらいだったろうか。
急な来客などで、ときに休み時間に来るのが間に合わず
次の1時限が終わるまで脂汗でトイレを我慢したこともある。
男性担任がクラスの男子の中から
身体の大きい子を二人選んで「mokogawa君の世話係」ということにした。
もちろん本人たちの了解はもちろんだが
「教育的にもいいことだから」とそれぞれの保護者宅に頼みに行ったとか。
母は菓子折りをもって後でお礼に行ったと言っていた。
トイレ棟に連れて行っての介助はもちろん母の役割だったが
理科室や音楽室への教室移動とか
講堂で予定外の全校集会があるときなどは
その二人の級友が代りばんこに負んぶしてくれた。
時限が変って移動があるようだと
私はそわそわと母を待ったが
時間を決めたトイレは別として、
急な教室移動などは母はその態勢に任せることが多くなった。
低学年のころは授業中も参観日のように教室の後ろにいたが
もともと校舎内に居場所があるわけでもなく
家事もあるので間で家にも帰らなくてはならない。
「あのころ自動車があったらねえ…」
と後年、母は何度も言っていた。
家との往復も早くできるが授業を待つ間
車の中で編み物もできるし…などと言っていた。
それにたった一人とはいえ
教室の後ろで保護者に授業を常に見られているなんて
…教師も嫌だろう。(笑)
選ばれた二人とは特に親しいわけでもなかった。
当時は1クラスが50人程度だったからそんなに話しをした覚えもない。
私は級友に背負われることにひけ目があった。
できれば母に来て欲しかったがそうもいかない。
負う子と負われる子。
いつも校内で注目される姿だったが、それは私を背負う二人も同じことだろう。
注目されたい、目立ちたいという多分本来の地の性格?の前に
できるだけ目立ちたくない、その他大勢の中に埋もれたいという気持ちがべったり張り付いているのは
このころの経験も関係しているのかもしれない。
そして背負ってくれた二人はどうだったのだろうか…
二人とは中学生になって学区が変って別々の学校になった。
「ありがとう」
背負って運んでもらったら、私は必ず丁寧に礼を言った。
それは心からの感謝の気持ちからではなく
義務からだった…施しを受けた者の義務。
大きな級友の背中の上で私はいつも考えていた。
どうして僕はいつもありがとうと言わなければいけないのだろうか
どうして背負われるのがいつも僕で彼ではないのだろうか
それは神様が決めたのだろうか…
我ながらずいぶんとひねくれた子どもではあったが
それが今に続いているのかもしれない。