妹はきっと悲惨な最期を迎えるに違いない…

 もう少ししたら認知症を発症し喚きちらしながら最後には二人の娘に疎まれたり、
 壊死した両足を切断されてベッドで寝たきりで余生を過ごしたり、
 糖尿病網膜症で失明して晩年は暗闇の世界で生きることになったり…


 泊った翌朝の朝食の食卓で私は妹の食べ方に目をむく。
 
 「小さい方でいい…」

 HbA1cの数値がだんだん上がるのが気になる私はとにかく白米を控えるようにしている。
 それでなくても身体中気になるところを抱えているのにこれ以上糖尿病まで加えてなるものか!

 今回の健診では少し下がって5.9だったが基準の5.5は超えている。空腹時血糖値はもう正常だったことがない。
 これらの検査では分からないが多分血糖値スパイクが身体を蝕んでいると思う。

 というのも時々自分で検査器具を買って測っているのだが、ご飯を多めに食べると上がり方が半端ないからだ。
 時に200を超えて、やがて下がるのだがこのスパイクのような上下動が一番悪い?らしい。

 「まず野菜とか糖質以外から食べるのがいい」

 糖尿病大先輩の妹のアドバイスどおり、最近はそれに改めた。
 野菜を食べご飯の代わりに豆腐を1つ。慣れると豆腐(絹)にタレ無しでも食べられる。
 ご飯は全部小さなおむすびにして冷凍保管。
 レンジでチンだが食事の最後に食べるようにすると50g程度でも足りる。

 その日は小が1つ、中が2つ冷凍庫に残っていた。
 3つチンして半分ずつにすると最近の私の食べ方からすると多い。一番小さいものを選んだ。

 当然妹は中を1つ選ぶと思ったが残りの2つをチンしてこともなげに自分の茶碗に放り込む。
 そ、そんなに白米を食べたら…

 いったい糖尿病患者として自分の食生活を考えているのか!? 毎日食前にインスリンを打っているくせに…

 「そ、それ…ちょっと多いんじゃないか?」

 恐る恐るというか、遠慮がちにだが、ついまた声をかけてしまう。
 食べることだから「あまり食べるな」とは言いにくいのだ。
 妹も私が食費を惜しんでケチで言っているわけではないのは百も承知だが、
 食事やお茶のときに幾度となくそういう話を出されるのはもううんざりなのだ。

 「食べ方が少ないとね、注射してるから逆に低血糖が怖いの!」

 そ、そうなのか…? 
 そのあたりの加減はよく分からない私。半信半疑で引き下がる。
 まあ大柄な妹と、障害で足が萎えている私とでは体重で大きな開きがあるから確かに私と同じ量というわけにはいかないだろう。

 ただ自制が効かない、ついつい食べ過ぎてしまう…というのはかつて妹が自分から言っていたことだ。
 うんざりされても、嫌な顔をされても本人のために指摘するべきか、それとも見守るべきなのか…常に気持ちは行ったり来たり。

 妹は健康状態に無関心なわけではない。
 私がTVで視た健康番組のことを話すと同じものを視ていることが多々ある。
 
 食事の量の事も認識の差というか考え方の差だろうか。
 一番いいのは食べるとほぼリアルタイムで血糖値(の近似値)が測れる器具を使うことだ。
 ご飯を食べすぎると瞬時に血糖値があがるのを目にすれば口に箸を運ぶ動きも萎える。

 自分で測定器を買って測ることもできます

 こう言った記事を見て私が購入したのはフリースタイルリブレという腕にセンサーをつけておいて随時に血糖値が測れる器具。
 このことを話すと、実は糖尿病のかかりつけ医から既に紹介されていて「考えておきます」と答えたという。

 医者が処方してくれるなら保険が効くし、毎日指先に針を刺す痛みもない。なぜ二つ返事で頼まないのだ?

 スマホの操作が不安なんだろう?というと図星らしい。
 そしてこのことに限らないが新しいものに対する頑固な抵抗感。

 センサーを腕に貼り付け、測定は専用の機器もあるがスマホにアプリを入れて測定機にできる。
 その方が高機能で医者とのデータ共有もできるし最新のものは低血糖時にアラームも鳴る。

 アプリのセットは私がしてやるからと言っても、あまり色よい反応ではなかった。
 何とももどかしいが、
 自分がある程度こういう方面が得意だから、苦手な人の気持ちが私は理解できないのだろう。


 「来るたびに(健康とか生活習慣のこととか)言われると来るのが嫌になるかも…」

 ずっと前に、ぽつりと妹がもらした一言にどきりとしたことがある。

 そりゃそうだよな…折にふれて気の進まない嫌なことを言われたらバスを乗り継いでここまで来るのが楽しいわけがない。
 口やかましいからもう来ないと脅したり牽制したりという感じでなく、つい口に出た妹の心の呟き。

 私は本人の身体のために、情報提供の一つにと思ってあえて気が進まなくても口にしていたつもりだが
 言われる方からしたら鬱陶しい押しつけ、心配性の教育ママ的なお節介、上から目線の自慢話…そうとれるかもしれない。

 もうやめよう。子どもじゃないんだし自分のことは自分で選ぶだろう…
 その結果が最初に書いたような最期になったとしても、それは妹の人生だ。

 自分の健康に関しても、何か異変を感じたらあっという間に悲劇の極みのようなラストシーンが出来上がって慄く私だ。
 妹は悲惨な最期のときを勝手に想像されていい迷惑かも知れない。

 ただ私が一番恐れるのは<こうなるのは目に見えていたのに、なぜ疎まれてももっと強く言って止められなかったか>という後悔の念に襲われること。
 …それこそ要らぬお節介かもしれないが。


 他人の健康管理に関する口出しはもうこれっきり…と思いながら、ついつい会うごとにちらりほらりと漏れ出てしまう懸念の一つは、
 定期的な健康診断…主にがん検診だ。

 私はもう30年近く毎年定期検査を受けている。
 妹は一度も受けていない。

 やはり健診は受けたほうがいい。今はがんでも早期なら治る時代だ。
 医学も進んでステージ4であっても寛解したり完治したりする例もあるんだし。

 「考えておく…」 

 健診だけは受けたほうがいいよと何度か勧め、この前自宅まで車で送り届けるときもついつい車内でその話をした。

 ”考えておく”か。こりゃ金輪際受ける気はないな…

 たぶん今まで一度も検査を受けていないので今更受けて何か見つかり日常が一変するのが怖いのだろう。
 気持ちは十分わかるが心の中で深いため息…


 私のように過度に?健康に敏感になり、道楽か?というほど検査機器や検査薬を使いネットで調べまくって不安に駆られて日々をすごす生き方
 (そのくせ徹底していなくて底の抜けたザルのようなところがある)
 妹のように異変を感じるまでは楽しく暮らし嫌なことは極力考えない楽天的な生き方(あくまで私の想像だが)

 どちらがどうとも言えない、生き方の違いだろう。

 「私だって何か症状が出れば病院にも行くし検査も受けるよ。でも何もないときに…(行く必要はない)」

 と妹。それじゃ遅いんだって…と内心呟く私。
 私は何事も悲観的見るし妹は楽天的に見る。
 もしかしたら内心は不安を抱えているのかもしれないが。

 言い換えれば妹は心の中に不安の種を抱えていてもぎゅっと押し込めて生きていける性格。
 私は少しでも不安の種が芽生えたらもう動転してとにかく早く白黒をつけて不安を放り出したい性格。

 どちらのやり方が正解なのか、望ましいのか!?

 冗談交じりの言い争いのようになって「じゃあ結局どちらが長生きするか勝負してみようじゃないの!?」ということになった。


 「あ、でも私の方が若いんだから同じ時期に死んだんなら私の勝ちだからね!!」

 「う…うん」

 気圧されてそう答えたが、後で考えたら…

 そりゃ逆だ。(笑)