ここのところ、自身の健康ネタばかりですが…


 昨日は24時間血圧計取り外しと、日延べされた心臓CTの検査。
 結果は後日の受診予約日だ。

 変なサインは相変わらず自覚するが超ビビリの私の主に精神的なものなのか、或いは…

 とりあえず受診日までは無理にでもそのことは頭から追い払う。
 当面、血圧は測らない。体温も脈拍も酸素濃度も血糖値も…

 1週間前の真夜中、救急車に乗るところから続きます。

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 救急車を呼んだあと戸締り、ガスの元栓を閉め電気ポットのコードは抜き玄関先の灯りをつける。

 一昨年あたりからこの班は救急車がひっきり無しだ。
 隣、お向かい、斜め向かいや二、三軒先など…我が母も含め次々住民が亡くなる「高齢限界集落」でもある。

 救急車は大抵やや離れたところでサイレンを止め赤色灯だけ点滅させながら対象の家の前に停まるのだが…

 ピーポーピーポーピーポー

 その日に限ってなぜか我が家の前に停まってもまだ鳴らし続けている。真夜中だ。

 「どうしたんですかー!?」

 隣の奥さん(80を超えているお婆さん)が気づいてベランダに出て来た。

 後で聞いた話ではサイレンではなく屋内の飼い犬の激しく吠える声で目が覚めたらしい。
 ストレッチャーに乗せられ車に積み込まれる私にベランダから声をかける。

 亡くなったご主人とともに昔から町内の世話役とでもいうような、少しお節介な所もあるが面倒見のいい人だ。

 「何か持っていくものがありますかー?」「私も今から一緒に行きましょうかー?」

 なかなか言えることではない。
 一回りも高齢で、真夜中にパジャマ姿でベランダに出てきたのに有難いことだ。

 口先だけでなく、18年前、私がプチ?アナフィラキシーを発症して近くのかかりつけ医院に運び込まれたとき、母と一緒に付き添ってくれた。
 父は亡くなる前年で、ほぼ家で寝たきり状態だった。

 「有難うございますー、大丈夫ですー」

 隣近所の他の人も出てくるかとひやひやしたが、それは無く安堵。
 真夜中で熟睡しているだろうし、寒いから雨戸を閉めていたり耳も遠かったり。

 気づいたとしても冬の深夜に戸外に出てこれる人たちではない。

 ただ深夜近所、特にお隣さんを騒がせたことにより、
 今度胸に切羽詰まった違和感を感じても「救急車を呼ぶ」ことに対するハードルがぐっと上がってしまった…


 「一人なんですか? 付き添う家族の人は?」

 胸をはだけて心電計、腕に血圧計を取りつけながら救急隊員が聞く。

 「居りません」


 妹にはこの時点で知らせたくなかった。

 今の時間は寝入っているだろうし、知らせても足(移動手段)が無いから病院に駆けつけるのも大変だ。
 徒に気を揉ませるだけだし。、
 そしてあまり自分からは言わないが重度の糖尿病なので、身体にも気持ちにも負担をかけたくない。

 自分だけで何とかできる、何もかも世話にはなりたくない…という思いもある。
 母の搬送で何度か救急車に同乗したことはあるが、その時も病院について一段落して知らせた。

 病院には駆け付けなくていいといつも言ってきた。

 「ええっと…妹さんが居らっしゃるようですね」

 母の搬送の時のデータが残っているのだろう…救急車が来たのは同じ家だから。
 ちっ…

 仕方なく電話番号を伝えるが連絡は控えて欲しいと頼む。

 
 前述の母の搬送のとき、その時の救急隊員は妹の電話番号を聞き出し、電話しろとしつこく迫った。
 母のキーパーソンなら目の前に私がいるではないか?

 きっと彼には車いすの私は、一人前の成人には見えなかったのだろう。
 いざというとき、判断してことを為すに足るキーパーソンとしては心もとない…と。

 こういうことは人生の中で何度か遭遇している。

 母が入院していたとき、看護師は重要な説明をずっと付き添っている私に向かってではなく、たまたま来ていて一緒にいた妹の方に向かって喋っていた。

 車いすの私の横に背の高い妹が立っていると別の場面でもよく妹は「お姉さんは…」などと言われる。
 妹は老けて見られたと思って内心むっとしているが(笑)、私も別の意味で気分が悪い。

 悪意ではなく、看護師本人も自覚はしていないだろうが、私にはこう言っているように聞こえるのだ。
 
 障害者(あなた)は半人前なんですよ…と。

 
 今回は運ばれる本人が私だから事情は違うが、この救急隊員は了解してくれた。

 「分かりました。ただ病院に着いて入院とか手術になると知らせないわけにはいきませんが…」

 それは仕方ない。
 そうこうするうち、病院に着く。