なぜ、「このこと」に気づいてくれないのか、というもどかしさが、今あります。

 あれが悪い、これが悪いと批判する人が目につきますが、批判してしかるべきなのに、あまり批判されていないものがあります。

 現地・現場では「誰か」が、復興を遅らせている、つまり、「復興を妨害する人がいる」というより、「復興の担い手がいない」のです。

「公務員」の「余剰人員」ということで、通常あまり必要のない人たちが削減されました。通常必要ないということは、緊急な時には必要あるセクションだったわけです。
例を挙げます。現地・現場で、元々は、復興のコーディネーターの役割を担うべき、社協(社会福祉協議会)の人たちの、手際の悪さが、現地・現場の復興の障がいになってることはしばしば指摘されています。

しかし、このことは、社会福祉協議会の問題なのでしょうか?
何か重要なこと忘れてません。

本来、社会福祉協議会は、社会福祉の観点で、障がい、国籍、ハンセン病などの差別などなど、生き難いいろんな問題を抱えている人に対して働く役割を担ってたのに、小泉ー竹中改革のとき、無駄であると、補助金を打ち切り、一般財源化して、高齢者という、国民皆がやがてなる問題だけに特化させて(年とることは、誰も「他人事」ではないからね。障がいやハンセン病は「他人事」)、単なる介護事業団体に落とし込んでしまったんでしたよね。

みんなそれに大賛成したんでしょ。それでいいと判断したわけでしょう。
ならば、介護事業団体が、いろんな生活者の問題が山済みの災害復興を担うことに、不慣れになるのはあたりまえじゃないですか?
みんなこれを望んだんでしょう。そんな特別なことにさくお金はないよ!通常業務だけの人員でいいよ!削減せよと。

万が一に備える選択肢を、排除したんでしょ。小泉ー竹中に喝采をして。

「スターウォーズ エピソード3」でのアミダラ女王の言葉。
「自由はこのように死んでいくのよ。万雷の喝采の中で」
 自然災害や道路交通事故、火災の調査で知られていることなのですが、負傷者と死者の間には、相関関係があり、負傷者対死者の比率は、ほぼ10対1で、それより死者が多いと、「死者数の多い、甚大な事故」とみなされる。

例えば、ノースリッジ地震(94年)は、負傷がほぼ1万、死者が61。10対0.6となります。

ところが、阪神淡路の時、東灘区が10対3.7、須磨区が10対5.3、そして、何と長田区が10対10.35。つまり、負傷者より死者が多いという、異様な特長を持っています。

しかし、今回、警視庁緊急災害警備本部発表(昨日)の資料(http://bit.ly/gnCFGh)によると、宮城県の死者が、9026人、行方不明者、5521人。負傷者が3411人。つまり、死者・行方不明が、負傷者の4倍強!岩手は、死者・行方不明者7444人、負傷者165人。なんと、死者・行方不明者が負傷者の45倍!福島は、死者・行方不明者が2119人、負傷者が227人。ここも死者が負傷者の9.3倍。

死者・行方不明者が負傷者よりはるかに多いという、世界の災害史の常識を書き換えるものだったのです。
一昨日から仙台です。
昨日は、福島。

今日は気仙沼へ。


仙台駅周辺は、立ち食いそばの聖地。

今日は、はじめての「蔵王そば」に行こうかと、行ったんですが。

それが、見つからなかった!
駅舎一階は、事務・作業棟なので、乗降客用のスペースは限られてるんですが。

東口にも回り、2階もぐるぐる。

結局、いつもの杜そば(神田は一昨日、萩は昨日食べたので)で食べてきました。

でも、おかげで、野宿している方々とたくさんおあいできたので。むしろ佳かったかなと。

仙台は、夜回りグループの献身的な活動で、
ほぼ、野宿している方々、お一人お一人の状況はつかめてて、シャワー物資も行き届き、
こざっぱりした方々が多いです。

若い人、女性が多いのはいつも驚きです。

高齢の女性を見ると、東北の地で、どのような人生を歩まれたかと思うと、身につまされます。

そのなかで!

たくさんの衣服を着込み、小山のような姿で、
ビニール袋をたくさん身から提げ、手にも提げたご高齢の女性を見かけました。
(メトロポリタン前)

世間的な目からみる、いわゆる典型的な「浮浪」の姿。
先にツイートしたように、仙台の野宿者はこざっぱりした姿の方が多いので、驚きました。

足はたどたどしく、目は、まっすぐ前を見据え、
一歩一歩歩いておられました。

多くの野宿者の方々には、
気軽に声をかけるのですが、
ちょっと、なんか、威厳があって、
おはようございます、としか言えなかったけど。