なぜ、「このこと」に気づいてくれないのか、というもどかしさが、今あります。

 あれが悪い、これが悪いと批判する人が目につきますが、批判してしかるべきなのに、あまり批判されていないものがあります。

 現地・現場では「誰か」が、復興を遅らせている、つまり、「復興を妨害する人がいる」というより、「復興の担い手がいない」のです。

「公務員」の「余剰人員」ということで、通常あまり必要のない人たちが削減されました。通常必要ないということは、緊急な時には必要あるセクションだったわけです。
例を挙げます。現地・現場で、元々は、復興のコーディネーターの役割を担うべき、社協(社会福祉協議会)の人たちの、手際の悪さが、現地・現場の復興の障がいになってることはしばしば指摘されています。

しかし、このことは、社会福祉協議会の問題なのでしょうか?
何か重要なこと忘れてません。

本来、社会福祉協議会は、社会福祉の観点で、障がい、国籍、ハンセン病などの差別などなど、生き難いいろんな問題を抱えている人に対して働く役割を担ってたのに、小泉ー竹中改革のとき、無駄であると、補助金を打ち切り、一般財源化して、高齢者という、国民皆がやがてなる問題だけに特化させて(年とることは、誰も「他人事」ではないからね。障がいやハンセン病は「他人事」)、単なる介護事業団体に落とし込んでしまったんでしたよね。

みんなそれに大賛成したんでしょ。それでいいと判断したわけでしょう。
ならば、介護事業団体が、いろんな生活者の問題が山済みの災害復興を担うことに、不慣れになるのはあたりまえじゃないですか?
みんなこれを望んだんでしょう。そんな特別なことにさくお金はないよ!通常業務だけの人員でいいよ!削減せよと。

万が一に備える選択肢を、排除したんでしょ。小泉ー竹中に喝采をして。

「スターウォーズ エピソード3」でのアミダラ女王の言葉。
「自由はこのように死んでいくのよ。万雷の喝采の中で」