アトリエhonokawaのyoshimiさんと、松山ユースホステルさん近くにあった、伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)さまに参拝に行って参りました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240605/21/moaisanchi/9b/58/j/o0810108015447889272.jpg?caw=800)
狛犬さん
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240605/17/moaisanchi/c8/ce/j/o1080054015447799906.jpg?caw=800)
階段を上り進めると楼門が見えてくると同時に、楼門の屋根に向かい合う二羽のカラスが目に飛び込んできました。
神様の遣いともいわれるカラス。
私達二人に必要な気付きを伝えに来てくれたのかもしれません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240605/21/moaisanchi/ee/0e/j/o1080081015447889275.jpg?caw=800)
青空を背景にした朱色の楼門がとても美しい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240605/21/moaisanchi/fa/46/j/o1080081015447889280.jpg?caw=800)
手水舎
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240605/21/moaisanchi/fc/6b/j/o1080068515447889286.jpg?caw=800)
主祭神
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
三柱姫大神(みはしらのひめおおかみ)
由緒
延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。
社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。
伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、帰神して…」、『日本書紀』に「建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す」とあり、これに神聖、清浄などいう意味の「い(斎)」が付いたもので、神功皇后に関わる名称ともされる。
当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。
現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神官、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。
社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。
伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、帰神して…」、『日本書紀』に「建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す」とあり、これに神聖、清浄などいう意味の「い(斎)」が付いたもので、神功皇后に関わる名称ともされる。
当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。
現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神官、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。
(案内看板より)
随神門
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240605/21/moaisanchi/cc/23/j/o1080081015447889293.jpg?caw=800)
明日も素敵なことがたくさんありますように✨️✨️
お読みくださりありがとうございます⛩️