【新四国曼荼羅霊場 第1番 東林院】 | 【香川 丸亀】もあいさんちのブログ 

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四国曼荼羅霊場第1番
八葉山 神宮寺 東林院(とうりんいん)
高野山真言宗
詳細
●本尊/薬師如来 
●開山/ 行基菩薩
●中興/ 弘法大師
●創建/大同年間(807)
●所在地/779-0302 
徳島県鳴門市大麻町大谷字山田59
●電話(088)689-0053

紹介
焼物の里・大谷の聚落に東林院がある。境内は宇志比古神社に隣接し、古くから種蒔大師の信仰があった。濫觴は、弘法大師が四国霊場開創の途中に留まられ、自ら鍬をもって米麦の種を蒔かれたという、遍土に農事を奨励された最初の土地である。
その後、種苗の萌芽が発心に転じ、霊場巡礼の行者は始めに種蒔大師に詣でる風習が生じたという。故に霊山寺の奥ノ院と定められた。憶うに阿波の風土は発心の道場である。或いは、この種蒔大師に由求するのかもしれない。私はそう信じたい。文化財に稀有のものがある。弘法大師が梗を蒔かれたときの鉄鉢・緋の衣・珠数などで、貴重な寺宝ではあるが、大師の遺徳を偲ぶ意味から一般に公開されている。畏れ多いことである。他に、鎌倉後期に浄写された「ご遺書」もあり、大師信仰の篤い道場である
【種蒔弘法大師の由来】
大同3年~4年(西暦808~809)頃、弘法大師四国御巡錫の砌、東林院に御滞在し農事推奨の為、自ら鍬を採り米麦の種を蒔き、又疫病、旱魃の為には御祈念、御祈祷ありてその害を救い給う。一方民衆を集めて真言の教えを説き菩提の善種を蒔き給う事により民衆特にその御徳を慕う事、恰も赤子の慈母に於けるが如し。茲において大師当院ご出発に当たり庶民の要望に答えて等身の尊像を彫刻し給う世に之を種蒔弘法大師と崇め奉り年経るままにその霊験は広く民衆庶民の認める所なり。近年、国の農業政策は種々変れども当地は西日本有数の農業繁盛地区にしてレンコン甘薯、なし、だいこん等人間の生命の根本たる食料栄養に大いに貢献せられし事は誠に種蒔弘法大師の御徳御霊験と有り難く受け止め給う。
(新四国曼荼羅霊場ホームページより引用させていただきました)

本坊
国指定重要文化財『弥勒菩薩坐像』を拝顔させていただきました。
平安時代後期につくられた『弥勒菩薩坐像』
発見されてから、現在に至るまで導かれるような不思議なお話をご住職さんに聞かせていただきました。お話を聞かせていただきながら、間近で拝顔させていただき、美しい佇まいに感動いたしました。
幸運のお裾分けをいただけたような気持ちになりました。

大師堂


大師堂と向き合う弥勒菩薩像

種蒔大師絵
『大師が自ら鍬を持って種を蒔いた』という伝説。
東林院が、種蒔大師と呼ばれる弘法大師の伝承を伝える石碑が大師堂の前にありました。
大同3~4年(西暦808年~809年)の頃、この地を訪れた弘法大師は東林院にしばらく滞在し、自ら鍬を持って米や麦を植えて農業を奨励された最初の土地。
また災害や病気から住民を救うための祈念・祈祷をされたと云われています。
東林院さんは別名種蒔大師とも云われ弘法大師とゆかりが深いお寺です。
本堂(薬師堂)
【御本尊】

薬師如来

【御本尊真言】
 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

【御詠歌】
 種蒔きし 稲穂実りて 栄えゆく 大師の恵み 仰げ諸人

【沙羅双樹の木】
 倖せは静かなるもの 沙羅の花
十三佛御尊像
滅悪不動尊
修行大師像
一願観世音菩薩
行基菩薩像
西開行者像石碑
横穴式石室の穴観音古墳
御朱印と御影
ご住職に直書きしていただきました。

サンスクリット語でかかれた般若心経を頂きました。
額に入れ大切に保存させていただいております。
阿波弁で書かれた“一行一光くじ”
めちゃくちゃ的を得た言葉だったので、クスッと笑ってしまいました。
駐車場横のお店で御接待で頂いたお茶とお菓子。
地元の方も来られてて、楽しいお喋り。
「鳴門でおすすめは…」と、たくさんいろんな事を教えて頂いて、いっぱい笑いました。
ほっこりと優しい時間を過ごしました。
お読みくださりありがとうございました。