蘇るラビットカラー 6851他4連 貸切ツアー | 家庭内別居楽しむハダカデバネズミ

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「熟年離婚」とまではいかない、いやいけない「家庭内別居」。
嫁に話しかけても無視され食事は一人で外食かコンビニ弁当。
洗濯は二週間ぶんまとめてコインランドリーで。
こんな状況も楽しく生きるおっさんです。

1987年 10月18日、6800系デビュー30周年を記念してモ6851をデビュー時の

オレンジに白帯に戻され、大阪阿部野橋から終点の吉野駅まで運転されました。

 

 

このツアーは「貸切」扱いでしたが、抽選で選ばれたのか、どうだったのか

記憶にございませんが、ちゃっかり参加していたのは事実です。

 

 

編成は大阪阿部野橋側からモ6856(マルーンレッド単色)+6800系2両ユニット

(マルーンレッド×シルキーホワイトのツートン)※車番不明+モ6851(ラビット色)

のオールM 4両編成でした。

 

 

ラビットマークは近鉄で保存されていたのか、正規のステンレス製切り抜き文字が

取り付けられており、その後平成に6051Fで吉野線開業100周年を記念し再度復刻

された際に貼り付けられたステッカーと比べてホンモノの重みがありました。

 

 

上の写真の窓に引っ掛けられている「ラビット(2両)」はずっと昔にホームの下に

各車のドア位置を知らせるために掲げられていたプレートで、「大型(○両)」は

旧大鉄の6601系、6411系を表し、「小型(○両)」は5801系、5651系を表し、色も

濃い緑、紺色、黄色(ラビット)と区別されてにぎやかな光景でした。

 

 

イタズラが絶えないためか今や立ち入り禁止ゾーンになってしまった車掌側の

乗務員ドア窓を落とし、やや身を乗り出してラビット色の先頭車を撮影。

走行区間は直上高架工事まっ最中の北田辺→今川付近と思われます。

 

 

ラビットカー登場時の車内吊りポスター。

足の遅い旧型の吊り掛け電車しかなかった南大阪線の颯爽と現れた救世主。

当時のご乗客はどんな気持ちだったのでしょう。

 

 

石川橋梁を渡る同編成。下の写真と同様に僕が乗車した日と編成順序が

変わっているので別の日に走行風景だけを撮りに行ったようです。

 

 

吉野線下市口付近を行く。稲刈りが済んだ秋の風景。車体色の順番が、

ラビット→マルーン→ツートンと年代順に並んでいます。

6851の正面に吉野側であるにもかかわらず貫通ホロが装着されていないのは

当時は外側マルーン内側クリームの「赤ホロ」しか無かったからでしょう。

 

 

吉野線「撮り鉄」ポイントの吉野川橋梁を渡る。

 

 

吉野神宮駅で対抗列車と行き違いのため運転停車。

それにしても、この時残念に思ったのが「30周年」のデカすぎるヘッドマーク。

しかもお顔のど真ん中に付けてしまって、せっかくのいい顔が台無しに。

通常の行き先表示板と副票で良かったのでは。

 

 

それは10100系ビスタカー2世のさよなら運転にも同じことを思った次第で、

せっかくの美しいお顔が妙チクリンなデザインのヘッドマークにおかげで

台無しになっている気がして残念でした。

 

 

 

終点「吉野」駅に到着』。桜の開花季節以外は閑散とした山の駅。

6856にいろんな行き先表示版」を付けて」誰かが遊んでました。

このあたりも何もかもが禁止された現在と違いおおらかなところです・

 

 

吉野駅全体の様子。

 

近鉄通勤型車両のパイオニア6800系。次回このラビットカラーに会えるのは

ラビットカー登場100周年の2057年でしょうか?

 

ではまた。