徹底した優しさ(わたしのピアノソナタ遍歴) | コリンヤーガーの哲学の別荘

コリンヤーガーの哲学の別荘

30年温めてきた哲学を世に問う、哲学と音楽と語学に関する勝手な独り言。

 わたしはシューベルトが好きである。が、たとえば人気のある未完成交響曲や歌曲集より、室内楽や器楽曲をよく好んで聴く。

 

 シューベルトの最後の3大ピアノソナタはもちろん名曲で、わたしは21番を多くの作曲家の数あるピアノソナタの中でも、もっとも愛すべき作品と思っている。しかし今日は、シューベルトのピアノソナタ第18番ト長調 作品78 D894 『幻想』についての勝手な思い入れを述べたい。

 

 27歳で出会ったこのソナタへのわたしの素直な思いは、「徹底した優しさ」であった。

 

 その前に、3歳でピアノを始めて、シューベルトのピアノソナタに出会うまで24年掛かったわたしのピアノソナタを聴いてきた経緯を述べたい。

 

 それまで、ピアノ作品と言えば、ほとんどモーツァルトやベートーベンのソナタ、あるいはショパン、リスト、フォーレ、ラフマニノフ、スクリャービン、ドヴッュシーなど(ピアノ盤のバッハを加えて)を聴いいたが、それでも、LP、CDのコレクションは圧倒的にベートーベンに偏っていた。もちろん3歳からピアノを習っていたから、ブルクミュラーやツェラー、クレメンティは小学生時代に自分でも演奏していたから知っていたけれども。LP時代にわたしはベートーベンのピアノソナタを全部収集していたいたけれど、それは単一のピアニストのものではなく、ばらばらで、ポリーニ、ケンプ、ルドルフ・ゼルキン、ブレンデル、リヒテルなどにわたっていた。単一奏者のベートーベン全集を買うほどお金はなかったのである。

 ベートーベンのソナタでは、「熱情」と第28番が好きで、数種のレコードを所有していたが、20歳のころ、第32番の『アリエッタ変奏曲』の虜になり、この32番だけは、ポリーニ、リヒテル、ブレンデル、アシェケナージ、グルダなどかなりのLPを収集した。お気に入りはグルダ盤だった。

 ベートーベンのピアノソナタと言えば、『悲愴』『月光』『熱情』の3大ソナタである。高校時代(1980年頃)、普通科だったわたしのクラスメイトの女性には、クラスに3人ぐらいまだピアノを習っていた人がいて(高度成長真っ只中に生まれたわたしの世代は、小学校低学年では、女子の半分ぐらいは「ピアノ」か「エレクトーン」を習っていたが、中学生ぐらいでみんなやめていく時代だった。男性はほぼ皆無で、高校生当時は1学年250人ぐらいいた男子で、ピアノを習い続けていたのはわたし以外には1人もいなかったと記憶する)、そういう女子は、大抵小学校入学以前からピアノに触れてきた人であったので、高校生になるころには、『悲愴』とか『月光』などが弾けるようになっていた。ちなみに、わたしは同級生の女性に、シューマンの『幻想小曲集』の何曲かを教えてもらう機会があって、シューマンのピアノ曲の魅力を知ったのはこの時がはじめてある。

 

 今でこそ、多くのピアノ作品に慣れ親しんでいるけれども、高校生時代に、しっかりと全曲を理解できて聴いていたのはベートーベーンの有名曲か、ショパンぐらいであった。

 オーケストラを聴くのが好きで、また自分のピアノの練習ということもあって、「ピアノ曲をじっくり聴く」時間が取れなかったこともあるが、もっと広くピアノの作品に触れておけば良かったとつくづく思う。

 

 音大をあきらめて哲学の道に進んだこともあって、それ以降わたしは、はじめて聴く「ピアノ作品」と距離が取れるようになった。つまり「自分もこの作品を弾きたい」というプレッシャーから解放されたことが、「聴く態度」に徹する余裕をもたらしたということだろうか?

 

 そして、20歳のころ、ベートーベンの『アリエッタ変奏曲』(第32番ソナタの第2楽章)との出会いでわたしのピアノ作品の聴き方が一変する。

 

 ベートーベンの3大ソナタは、いずれも短調で、

 

  第8番 ハ短調 『悲愴』 op.13 1799年

  第14番 嬰ハ短調  『月光』 op.27-2  1801年

  第23番 ヘ短調  『熱情』 op.57 1805年

 

 なおかつ、1808年の第5交響曲より前の比較的初期の作品に該当する。

 わたしの勝手な思い入れだが、この3つのソナタは、悲しみと喜び、暗闇と希望の光、思い入れと落ち着きなど人間の対照的な感情を作品全体の精神性として秘めていて、転調やテンポ変化、強弱変化が強調されて、実にドラマティクである。モーツァルトのピアノソナタが常に自然な流れの中に身を置くのとは対照的で、ピアノという楽器のダイナミックレンジを目一杯駆使して、聴く者の精神をくすぶる。ベートーベンの前半期の作品は、どちらかというと、彼自身の感性の繊細さから、また繊細とは逆の「激情」型ともとれる感情に直線的に向かう。ただしその「高揚」はすぐさま静寂で補われるというバランスをとっている。(「悲愴」ソナタの開始に見られるこのような、唐突な悲劇性を一瞬にして落ち着きに帰る作品の提示部は、モーツァルトには絶対に見出せない。)

 

 ベートーベン最後のソナタ、ピアノソナタ第32番ハ短調 作品111 も、第1楽章は感情の起伏を表現するリズムの激しい揺れ動きと強弱の出し入れの繰り返しで、若き日の3大ソナタに負けるとも劣らない情熱感を持っているが、2楽章制をとるこの作品の第1楽章は、第2楽章の「瞑想」への助走(序奏)である。

 

 参考

 

 ベートーベンの32番ソナタと第1楽章と第2楽章との関係については、200年近く前から議論があり、古くはワーグナーやハンス・フォン・ビューロー、作家のトーマス・マンの言及もある。シュナーベルやバックハウス、アラウ、グルダなどの演奏に対する批評も含めて、『ベートーベンの32のソナタと演奏家たち』 ヨーアヒム・カイザー 著  門真 直美、鈴木 威 訳 春秋社 278~298に詳しく紹介されている。が、ここでは詳しく触れない。

 

 たとえば、ショパンの作品が1曲3分から12分ぐらいで収まって、1曲は、人間の感情のひとつを採り上げたり、1曲がひとつの「音詩」のように場面や風景を切り取り、またはひとつの舞曲の内発性のまとまりであったりするのと違って、ベートーベンの(3大ソナタに象徴される)ソナタは、1曲がひとつの抽象化された「ドラマ」性を持っているとわたしは思っていた。この作品に一貫性を与える性質が、たとえば『月光』における第1楽章の「深刻」かつ「静寂」な「月あかり」(ゆっくりと忍び寄る夜)、第2楽章の「ほのかな優しさ」をもつ「月あかり」(愛すべき夜)、第3楽章の「冷たい」「孤独」な永遠の「夜」に残酷に「まばゆさ」を持たない「夜の月」(残酷な夜)を「幻想」させる、というような、ソナタの3楽章制に統一を与えるようなイメージを理想の「ピアノソナタ」とわたしに感じさせていた。こうした聴き方を可能とする音楽を、モーツァルトのピアノソナタに求めても不可能である。

 

 しかし、32番のソナタの「アリエッタ変奏曲」は、ベートーベンが個人的な感性と全曲のイメージ的統一性(楽譜の分析上はこの2つの楽章には相関性があるのだが、それを聴き取るのは至難の業である。)を廃して、「アリエッタ主題」の自主性、自己展開に徹した「音楽への尊敬」のみが反映されていると感じた。

 

 以来、わたしはピアノソナタという分野に対する思いを変えた。

 

 オーケストラ作品は、様々な楽器の音色で色彩化された音響の奥行きが、それ自体主題を補強して豊かにしてくれるが、単一音色のピアノの響きは、このような手法をとれない。ベートーベンの3大ソナタに代表されるの全曲統一性は、よしんば『月光』『熱情』というタイトルがその統一性への手がかりを与えてくれるとしても、その「タイトル性」は、ロマン派的な「標題音楽」という表現ではなくて、人間の精神の内面性を媒介した統一性である。『悲愴』というタイトルは、「悲しみを心に秘める」という万人に共通する「心証」の共通した統一性をよりどころにしている。

 ところが、晩年のベートーベンのピアノソナタはこのような「タイトル性」、すなわち人間の内面性からは逸脱して、主題の「内発性」へ回帰していく。主題は人間の内面性の象徴として提示されることを放棄して、つまり「悲しみ」「喜び」などの具体的な感情を直接的に表さずに、主題の音形の示す純粋な形式美を、その内発的な音楽の展開に任せる。「悲しみ」や「喜び」は、主題の内発的な変化の中で、僅か一瞬で表情を見せる(ベートーベンがかつて主題を象徴として駆使したピアノソナタの作曲技術に裏打ちされて)が、次の瞬間に別の表情へと移っていく。つまり、「悲しみ」や「喜び」という人間の精神的な感情が主題を支配するのではなく、単純な記号としての主題の中に、「悲しみ」や「喜び」という感情を解体して散りばめてばらばらにしてみせて、それらの多くの感情を単純な音形として提示される主題において全曲を「統一」し「支配」するという逆転した手法をとるのである。少なくとも30番、31番、32番の最後の3大ソナタは、そのようなものとして主題の抽象的内容が、対位法という手段において内発的に発展する、ベートーベン自信が自分の「主観」を廃したものになっていく。いわばモーツァルト的な音の自然な進行を基本において、しかしベートーベンの技巧の表現力は、はるかにモーツァルトを超えた「ロマン」を持っていて(モーツァルトが技巧として劣るということではなくて、『悲愴』『月光』『熱情』などの3大ソナタに認められるベートーベンが開拓した人間感情の「ロマン」的表現技巧が音楽史上初めて現れた「天才」を示しているということである。)、ゆえに一つの主題は、モーツァルトよりはるかに多様な手段を持って展開可能となったのである。

 

 20歳で体験したアリエッタ変奏曲との出会いは、わたしにとってピアノソナタの再発見であり、ソナタをドラマ性をもって聴いていたわたしの一種の偏見を一掃する。

 そのこととで、ベートーベンのソナタを聴き直すきっかけとなった。

 

 ところで、話は大きく変わるが、ベートーベンのピアノソナタが32曲にも及ぶのだが、モーツァルト18?曲、ハイドン52?曲に並ぶ多作のピアノソナタを残したが、この後の作曲家には、このようなピアノソナタの多作はほとんど見られなくなる。ブラームスは最初期の3曲だし、リストは1曲であり、プロコフィエフのみ8曲ある。

 

 ショパンのピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35 『葬送行進曲付』は、特にその第4楽章の「両手ユニゾン」のみの作風ついて、歴史上物議を醸し出してきた。シューマンがショパンのこのソナタについて全4楽章の「統一性の欠如」を指摘しているが、その議論はともかくも、ショパンも3曲しか残さなかった、ピアノソナタ作品の減少にはその理由がある。その理由は、3楽章ないし4楽章形式のピアノソナタが、どんなに前期ベートーベン的な、「人間の感情」でまとめられても、また逆に人間の「精神」を前提する音楽の内発性を表現する後期のベートーベンにせよ、その音楽の「小宇宙」を体現する方法が、ヘートーベンで完成されてしまって、後発の作曲家に超えられない存在であるということである。

 ゆえに、ピアノソナタという楽曲形式に新たな意義を開拓することは困難となるが、それに代わり、「前奏曲」「練習曲」「夜想曲」「スケルツォ」「即興曲」など、10分ほどで自己完結する作風にこそ、ポストベートーベンの役割を見出したのもまたショパンであった。そもそもベートーベンでさえ、ピアノの単一の音色で内面を3楽章制のソナタにまとめるにしても、『悲愴』や『月光』ソナタは、全体としては15分以内の作品だが、ピアノという楽器が、オーケストラのような音色を駆使できない以上、交響曲のように40分近い時間を「小宇宙」として提示して聴き手を飽きさせない「持続」には向かない。(というかそういう書法は限られた作曲家に可能で、それが実はシューベルトであるのだが。)ショパンの24の「練習曲」「前奏曲」のように、24曲が独立してそれぞれ自己完結し、24曲全体で45分なら、人々は、全24曲のそれぞれの「連関性」にこだわることなく1曲ごとに集中して楽しむことができ、24曲に45分を許容できる。(ベートーベンは、唯一29番のピアノソナタ『ハンマークラヴィーア』で交響曲並みの長大ソナタを残しているが、この作品がその長大な長さに比較して、ピアノソナタとしての全曲の一貫性では必ずしも成功しておらず、20世紀初頭には、指揮者ワインガルトナーはこのソナタの「交響曲化」を目指すオーケストラ用編曲を行っている。) ショパンの功績は、ピアノ曲の定型を、バロック以来の複数楽章制を脱皮した10分前後のピアノによる「小宇宙」を確立して見せたことで、その「小宇宙」は、単一性の中にベートーベンの前期に見られる「精神性」を、または後期に認められる純粋な「主題回帰」を込めてもよいし、後のドビュッシーに見られる「絵画」や「印象」を込めてもよい。

 

 わたしは、ピアノソナタという分野は、後期ロマン派以降には、作曲家の主要な分野でなくなっていることに気づいた。実はベートーベンが亡くなった1827年を、ピアノソナタの楽曲的位置の後退のはじまりとすると、約100年後が「小宇宙」である複数楽章制の交響曲もまた「斜陽」を迎える。ブラームスの交響曲が、ベートーベンの延長にあってその限界を示し、ブルックナーやマーラーは、ベートーベンの拡大の上に、ドイツの自然と民衆のメルヘンと、宗教の変質を導入して交響曲を極める一方、チャイコフスキーやドヴォルザーク、シベリウスらは、ドイツ発の形式美を、自国の民族主義に焼き直したが、以後、交響曲が必ずしも作曲家の主要表現から後退していく。(これに逆行できた作曲家はショスタコーヴィチだが、それはシューベルトのピアノソナタ同様、作曲家の個性に由来するものである。)

 

 こうしてみると、いわゆる3楽章、4楽章制をとる「ピアノソナタ」の全盛期は、1750年(それ以前はあくまでもチェンバロ作品である)から1827年頃までの80年ほどで終わってしまうのであり、それはほぼモーツァルトの誕生から、ベートーベンの死までに重なるのである。

 

 すると、わたしが「ピアノソナタ」として聴き逃しているのは、唯一、シューベルトということになる。20歳代後半にわたしは積極的にシューベルトのピアノ作品を聴いた。

 

 そもそも、高校時代にシューベルトのピアノソナタに関心がなかったわけではない。LP市場の評価でベートーベンの大家と呼ばれるような、シュナーベル、ケンプ、リヒテル、ポリーニ、ブレンデルなどはいずれもシューベルトのソナタに取り組んでいた。彼らにとってはシューベルトに取り組むことは、ベートーベンに取り組むのと同じように必然であるのだろう、と勝手に想像していた。しかしLPを購入するとなると、どうしてもベートーベンの方に向かってしまう。そこでFMでシューベルトを聴いたが、シューベルトのピアノソナタは「長い」。ベートーベンの平均的なソナタの倍以上の30分~40分の演奏時間で、雑音交じりのFMの音では、とても最後まで耐えられなかった。

 

 最初にシューベルトをじっくり聴いたのは、ポリーニの19番~21番である。

 

 

マリオツゥオ・ポリーニ

 

 ピアノソナタ 第19番 ハ短調 D958(1828)

 ピアノソナタ 第20番 イ長調 D959(1828)

 ピアノソナタ 第21番 変ロ長調 D960(1828)

アレグレット ハ短調 D914(1827)

3つの小品 D946(1828)

 

 このCDがカバーしているのは、くしくも、わたしが「ピアノソナタ」の終焉として指摘した1827年のベートーベンの死から翌年のシューベルトの死の1828年に書かれた、シューベルトの最晩年の作品である。

 

 はじめて聴いたシューベルトのソナタの「長さ」は、苦痛ではなかった。というより、40分の演奏の長さに対するわたしの偏見は間違っていた。ベートーベンと違って、「歌曲王シューベルト」が様々な主題を繰り出して、作品の長さを感じさせない複合主題的作品を期待していたわたしの愚かさを思い知らされる。そこにあるのは全曲を通した「統一性」であり、それは、歌曲王シューベルトが、ベートーベンとは異なる同一主題の変化を実現している。しかし、それは「ドイツリート(歌曲)」を生み出した彼の経験がもたらしたものであるけれど、ひとつのポエム(詩)にふさわしい「主題」を生み出すシューベルトの歌謡性でも、そういう主題をいかに展開するかが問題であって、主題の歌謡性だけで一曲のピアノソナタを支えることができないという彼の自覚を証明するものであった。

 有名な歌曲集「白鳥の歌」の第4曲「セレナーデ」は、完全な2部形式の繰り返しであるが、それは、レルシュターブの詩のもつ「韻」を踏んだ形式に沿ったもので、ドイツリートとはドイツの疾風怒濤の文学運動に連なった音楽表現であった。モーツァルトの歌曲は、オペラの「アリア」を一曲だけとりだしたような性格を持っていて、ポエムに対する音楽のありようを確立したのはあくまでもシューベルトである。

 しかし、「セレナード」のような完璧な2部形式の音楽を、そのままピアノソナタに導入しても、ピアノ音楽としては退屈であり、成功しないことをシューベルトは十分認識していた。よって主題は、ポエムの形式を後にして、ベートーべン的な複雑な展開を最初から見せる。確かにシューベルトには、『ロザムンデ』『死と乙女』『ます』のように、自分の他の楽曲からの「主題」の使い回しは認められるが、その主題を「ピアノソナタ」という世界に使用する場合は、リートの形式は通用しないと分かっていた。

 器楽の作曲において、主題は、主題自身が満足する展開を奏でて発展し、第2主題もまただ1主題と全く関係ない「歌」であってはならず、第1主題と、和声的に、対位法的に「遠い」関連にあって、ゆえに全曲を支配する関連性を感じさせる「近い」ものでなければならない。シューベルトにあってはピアノソナタはこうした信念に基づいて、最初から「ピアノソナタ」として構想されている。

 もうひとつ、リートとビアノソナタとの決定的な違いは、ソナタは「歌詞」に支配されないがゆえに、スピードと音の数における自由ということがある。人声の「発音」には一定の「時間」が必要であって、ピアノでは許されるアレグロより速いヴィヴァーチェやプレストは、リートの演奏には困難を伴う。それはテンポだけではなく、ゆっくりした曲でも16分音符の連続したスケールの連続などもリートには向かないが、ピアノ演奏ではそんな制限はない。

 シューベルトのピアノソナタにおける主題の豊かさは、確かにシューベルトの豊かなリート創作の賜物ではあるが、彼はリートと器楽の違いを明確に意識していて、ゆえに長くても8分程度で終わってしまうリートの作曲手法で、長大なソナタを構成できないことも知っていた。

 

 引用

 

 1816年6月、19歳の折にはまだ、師サリエーリの誕生日を祝う文章が書かれている(第1章で触れたように、この式典のためにみずから作詞した声楽アンサンブルか寄せられた。) はっきりと名指されてはいないものの、この日記で「われらがドイツのもっとも偉大な芸術家」と呼びかけられているのがベートーベンであることは明白であり、ベートーベン作品の特徴は注目すべき言葉づかいで記述されている。いわく、

 

 悲劇的なものを滑稽なものと、快適なものを忌むべきものと、英雄的なものをがなり屋と、この上なく神聖なものを道化と一緒くたにしてしまう奇矯さ(ピッツァレリー)。(Dok、45/35頁)

 

 これがシューベルト自信の考えなのか、それとも ―― このほうがあり得そうだが ―― 師サリエーリの教育方針をなぞったものなのか、書き込みからは判然としない。だがいずれにせよ、当時の〔ウィーンの紙上で実際に見られた〕ベートーベン批判をそのまま借用した「奇矯さ」という語彙には、距離をとりつつ魅せられるという入り混じった思いが映し出されている。

 

『フランツ・シューベルト ― あるリアリストの音楽的肖像』  ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン 著 

 堀 朋平 訳  アルテスバブリッシング 64~65頁

 

 「悲劇的なもの」を「滑稽なもの」と、「快適なもの」を「忌むべきもの」と、「英雄的なもの」を「がなり屋」と、「この上なく神聖なもの」を「道化」と一緒くたにしてしまう。この対比的なものを混在させて全曲の統一性を保つベートーベンの魅力についての指摘は、わたしが本稿で「悲しみと喜び、暗闇と希望の光、思い入れと落ち着きなど人間の対照的な感情を作品全体の精神性として秘めていて、転調やテンポ変化、強弱変化が強調されて、実にドラマティクである」と述べた、ベートーベンの前半期のピアノソナタを言い当てている。1816年の時点で、ベートーベンは28番イ長調 作品101までを出版していて、この28番のスコアをシューベルトが見ていた可能性は低く、シューベルトの言及は、少なくともピアノソナタの分野では、いわゆる「3大ソナタ」に代表される前半期のベートーベン作品へのものであろう。

 

 シューベルトは20歳頃から「ベートーベンとの対決」を意識していた。それは、ベートーベンという偉大な存在への畏怖というより、シューベルト自身が、ベートーベンへの挑戦を成しうる作曲技法を自ら獲得していたということを証明するもので、シューベルト自身が謙遜のゆえに自分の才能をそこまで評価していなくても、すでにこの時点で彼は唯一ベートーベンを超える資質を持っていた。若い時から弦楽四重奏曲やピアノソナタに挑戦した彼の器楽への挑戦は、特にその若い番号の作品は、未完成で、第1楽章だけとか、いわゆる「草稿」「修作」の類にされるものが多い。だがこの作曲に対する遍歴は、彼の独自の器楽への努力として結実しつつあった。(CDを収集しようとすると、ベートーベンの場合「交響曲全集」「弦楽四重奏曲全集」というのは、すべての作品が完成された総合楽譜として存在するのに対して、シューベルトは欠落だらけで、未完成交響曲もこういう状況から生まれている。シューベルトにおける「完成」とはいずれも晩年に認められる現象である。)

 

 しかし、シューベルトは独自の道を行きつつ、ベートーベンの「最後の3大ソナタ」の境地に比肩するように「主題は人間の内面性の象徴として提示されることを放棄して、つまり「悲しみ」「喜び」などの具体的な感情を直接的に表さずに、主題の音形の示す純粋な形式美を、その内発的な音楽の展開に任せる。「悲しみ」や「喜び」は、主題の内発的な変化の中で、僅か一瞬で表情を見せるが、次の瞬間に別の表情へと移っていく。つまり、「悲しみ」や「喜び」という人間の精神的な感情が主題を支配するのではなく、単純な記号としての主題の中に、「悲しみ」や「喜び」という感情を解体して散りばめてばらばらにしてみせて、それらの多くの感情を単純な音形として提示される主題において全曲を「統一」し「支配」するという逆転した手法をとるのである。」という境地を獲得する。それはベートーベンのアプローチとは必ずしも一致しない。

 

 ピアノソナタ第18番ト長調 作品78 D894 『幻想』 

 

 この作品は、終止穏やかで、ゆっくりと進む。第1楽章の最初のシンコペーションの2和音が全曲の雰囲気を支配する。シューベルトの目指したものが『幻想』というタイトルに、いささか不透明な「落ち着き」と「優しさ」に浸るわたしたちの一種の「午後の図書室」に似たような、日常の忌まわしさからの解放が込めらられている。

 

 字数が限られてきたので、この続きは「続編」に譲るが、シューベルトのピアノソナタ18番に関して。ぜひ内田光子先生の演奏で聴いてほしい。

 

 

 

 

 

 つづく