*4月19日エントリー の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科の院生・あんみつ君ニコと近現代史のしらたま教授オバケとの歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。

 

 本日は、杉原千畝と満州事変 のおはなし。

 

 

 

 

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 あんみつ真顔 「しらたま先生、昭和七年(1932)二月、満州に侵攻した関東軍は杉原千畝の勤務するハルビンを占領。一気に中国東北部占領を実行します。満州はまさに帝国時代の植民地政策を象徴する地となりました」

 

 しらたまオバケ 「満蒙は日本の生命線、などと喧伝されたからね。理非よりもキャッチフレーズが国民の琴線に触れる悪例。外国の領土なのに何をかいわんや、だ。1929年10月の暗黒の木曜日に始まる世界恐慌で、慢性不況に陥った日本経済を打開するには大陸進出しかない、と国を挙げて妄信していたわけだ」

 

 あんみつえー? 「にしても、軍部の満州への執着は明治以来ずっとですよね。日露戦争の直接の原因は、満州のロシア租借地を巡ってのものでした。明治四十年(1907)の日露協約でロシアとの勢力境界が定められると、しきりにそのラインを北に越えようとします。外国の領土なんですが」

 

 しらたまオバケ 「日清戦争の結果台湾を領有し、朝鮮の宗主権を否定したことで日本は欧米列強に伍する植民地保有国となる。1910年には韓国併合を強行したわけだが、植民地を持てば国が豊かになる、などはとんだ幻想だった。帝国日本にそんな国力はなかったからだ」

 

 あんみつもぐもぐ 「本 はい。世界的にみると日本の銀行の規模は小さく、正貨蓄積が少なかったので、機関銀行であっても資金繰りに困った地銀を救済することすら出来ませんでした。第一次世界大戦に伴う海外発注の好景気で資本家がみな投機に奔ったので、ニューヨーク暴落の影響をまともに受けるかたちになります」

 

 しらたまオバケ 「朝鮮半島と台湾の無理な経営は国力を圧迫した。負のスパイラルで昭和恐慌は泥沼となる。その打開策として満州を新たな資本投下先にしようとしたんだ。果てしのない、破綻するまで続く領土膨張政策だ」

 

 あんみつぶー 「植民地など持たなければいい話だと思うんですが...欧州大戦で巨額賠償金を負ったドイツがたった二十年で第二次世界大戦を仕掛けるまでに復興し得たのは、皮肉にも中国や南洋に持っていた租借地を全放棄していたおかげでした。言ってしまえば、太平洋戦争後の日本の高度経済成長だって同じでしょう」

 

 しらたまオバケ 「ああ。満州で収穫した農作物のうち、粟は朝鮮国内の米作農民の食糧となった。日本人はそれを ‟飼料” と呼んでたんだから傲岸不遜、厚顔無恥にも程がある。そうまでして朝鮮米を日本国内に移入した結果、米価急落と諸色インフレを招き、東北を中心に農家の貧窮が起こる」

 

 あんみつぼけー 「本 政府の不況対策は国債募集による積極財政だったから、オーバーローンに陥った資本家は救済されても国民の生活苦は解消されない。そこで政府御用マスコミが煽ったのが ‟満蒙は日本の生命線” というわけですね。情報統制下の国民はそれを真に受けたんだ......」

 

 しらたまオバケ 「中国では、韓国併合二年後の1912年2月、‟ラストエンペラー” 宣統帝(溥儀)の退位によって清王朝は消滅。始皇帝以来の皇帝専制は実に2133年にして終わる。孫文が建国し、袁世凱(えん・せいがい)を大総統とする中華民国となったわけだが、各地に軍閥が割拠して統一を欠く状態が続いた」

 

 あんみつうーん 「欧州大戦に乗じて、関東軍はドイツ租借地の山東省占領を足掛かりに満州進出を実行します。いちおう、奉天軍閥の張作霖(ちょう・さくりん)を支援する名目でしたが、大戦後の国際会議であるワシントン会議において鋭く糾弾され、対華九ヵ国条約の枠内に入ることを余儀なくされました」

 

 しらたまオバケ 「なお満州再侵攻を狙い、関東軍による謀略が駆使される。関東軍とは日露戦争による関東州租借権獲得に伴い、旅順に設置された関東都督府の守備隊だ。暫時増員され、1941年には14師団74万人の規模となる。1928年6月瀋陽郊外において、この関東軍が独断で張作霖の乗った南満州鉄道の列車を爆破したんだ(満州某重大事件)」

 

 あんみつおーっ! 「事故を装ったものの、関東軍の仕業なのがミエミエだったので張作霖の子・張学良(1901~2001)は激怒。敵対していた蒋介石(しょう・かいせき)の国民党と講和し、排日に転じます。これによりさらなる謀略に出たのが満州事変ですね」

 

 

 

 

 しらたまオバケ 「きっかけは1931年9月28日、奉天郊外の柳条湖で起こした南満州鉄道線路の小爆破。反日中国人の犯行と虚偽発表し、日本人住民保護を名目に満州全土に出兵。わずか三ヶ月で東北部の遼寧・吉林・黒竜江三省を制圧した」

 

 あんみつアセアセ 「本 おりしも国民政府の蒋介石がアメリカの後援を受けて広州から北伐を敢行、1930年5月に閻錫山(えん・しゃくざん)を主席とする軍閥連合と決戦(中原戦争)し、張学良の東北軍が満州から山海関を越えて援軍したので大勝を得ました。関東軍の侵攻はこの間隙を衝いたかたちです」

 

 しらたまオバケ 「謀略を主導したのは関東軍高級参謀の板垣征四郎大佐と石原莞爾中佐。なお板垣は戦後の東京裁判において、この事件を理由にA級戦犯として死刑判決を受けている。関東軍の自作自演であったと日本国民が知るのは戦後のことだ」

 

 あんみつねー 「1932年2月、杉原千畝は関東軍・土肥原賢二大佐、ハルビン特務機関長・百武晴吉中佐に同行し、北満鉄道ソ連当局に兵員輸送を交渉する通訳を務めます。このときの土肥原の態度を ‟はなはだ恫喝的” と書き残してるくらい、杉原は反感を持ったようです。土肥原もまた戦後にA級戦犯死刑判決でした」

 

 しらたまオバケ 「外務省の内部文書では関東軍を ‟浅慮、無責任、がむしゃら” と批判的に評してる。これが表沙汰になったらただじゃ済まなかっただろうがね。1932年3月には傀儡国家・満州国が建国され、杉原は新国家の外交部勤務となる。当然ながら国際社会、とくにソ連の日本への目は警戒感極まるものだった」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 植民地政策の矛盾は日本経済を圧迫。昭和不況の打開を膨張に求めた果てが、満州に対する偏執でした。

 

 次回、杉原千畝の対ソ交渉 のおはなし。

 

 

 それではごきげんようオバケニコ