*7月5日付記事 の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科のぜんざい教授ねこへびと、教え子の院生・あんみつ君ニコニコの歴史トーク、今回のテーマは国姓爺合戦です。

 

 本日は、満州八旗 のおはなし。

 

 

 

 

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 あんみつショック! 「先生、西暦1627年から、明王朝に反旗を翻す起義軍が各所で火の手を上げたころ、王朝は東北部の女真民族との戦いを強いられていました。まさに内憂外患の危機的状況」

 

 ぜんざいねこへび 「女真は女直とも呼ばれ、明代には建州・海西・野人の三大部に分かれていて、それぞれの首長が王朝から爵位を与えられる間接的な支配関係にあった。明末に至り、南満州の山地・興京に拠る建州女真の一首長・ヌルハチが女真全体を統一してのける。もともと明朝との接触があって中国事情に通じ、経済力豊かな一族であったことも要因だ」

 

 あんみつにひひ 「ヌルハチの大きな事績というと、<満州八旗> の制定が有名です。黄・白・紅・藍を正鑲2種で区別した8色。1旗(固山<グーサ>)=5甲喇(ジャラン)=25牛彔(ニル)で、1ニルは300人。まるで近代軍隊の師団・旅団・連隊と似てますね」

 

 

満州八旗

 

 

 ぜんざいねこへび 「軍事制度だけでなく、すべての満州族はどれかの旗に属したから、行政基準でもあり、生活単位でもあった。人口がさほど多くないからね。彼らは遊牧民族ではない。定住して狩猟・漁撈が主だが農耕も行い、毛皮や朝鮮人参を商品として中国人や朝鮮、韃靼(ダッタン=タタール)と呼ばれたモンゴル人と交易もしていた」

 

 あんみつシラー 「そういえば八旗の4色は、狩猟のときに3方から目印の黄旗に獲物を追い込む巻狩を元に考案されたんでしたっけ。こうして組織化されたヌルハチ率いる女真族は、西暦1616年、興京を都とし、<金> を建国。ヌルハチは汗(ハン)となりました。金は1234年に蒙古のオゴダイ=ハンに滅ぼされた女真の王朝で、ハンはそのモンゴルが称した王位です。ヌルハチは女真・韃靼統合の王を宣言したんですね」

 

 ぜんざいねこへび 「姓はアイシン・ギョロ。アイは金で、ギョロは族だ。金を産出する地域の一族、という意味だが、これが中国語の漢字で <愛新覚羅> と充てられたので、日本では あいしんかぐら と読む。ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀(ふぎ)が有名だろう」

 

 あんみつ得意げ 「西暦1619年、ヌルハチの勢力が許容範囲を越えたということで、明王朝は交易を停止、国境の警戒を強めます。しかし女真軍は遼東半島に進出を開始。王朝は楊鎬(ようこう)将軍の大軍を差し向けましたが、遼寧で大敗を喫しました。<サルフの戦い> です」

 

 ぜんざいねこへび 「いよいよ慌てた王朝は、熊延弼(ゆうえんひつ)を将軍としてさらに大軍を送る。彼は知将で、遼東を堅守して長期戦に持ち込むが、朝廷内で宦官に戦わない臆病者と讒言され、解任されてしまった。熊延弼を欠いた明軍は敗退を繰り返し、寧遠まで退却する」

 

 

女真(=女直、満州)の拡張

 

 

 あんみつえっ 「西暦1626年、寧遠城の主将・袁崇煥(えんすうかん)は、福建からポルトガル製の新兵器・紅夷大砲を調達します。これで城からの応戦砲撃が可能となり、なんと敵将であり王のヌルハチ本人に重傷を負わせて退却させました。ヌルハチはこれが元で、68歳で死去しています」

 

 ぜんざいねこへび 「後継したのはヌルハチの第8子・ホンタイジ(1592~1643)。明にとっては不運なことに、彼は父以上に有能だった。寧遠城の力攻めを止め、明の朝廷に袁崇煥は女真と通じているとウワサを流させたんだ。読みどおり朝廷の宦官は引っ掛かり、西暦1630年、袁崇煥は解任のうえ処刑されてしまった」

 

 あんみつむっ 「堅守健闘していた寧遠城の将兵は絶望、歴戦の将軍である祖大寿らが城を脱走し、ホンタイジにホントに降伏してしまいました。しかも虎の子の紅夷大砲をおみやげに献上したんですから、ホンタイジは喜んだでしょうね」

 

 ぜんざいねこへび 「降兵が出たとはいえ、要塞である寧遠城の攻略にはなお年月を要す。その間、ホンタイジはモンゴルの諸部を平定。西暦1636年には北元のリンダン・ハンとの争いに勝利して、フフホトで元王朝の玉璽を手に入れると、国号を <清> と改め、ハンから皇帝となった。このとき女真も満州(=文殊)と改称する。これは中原、つまり中国全土を支配するという強い意思表示だ」

 

 あんみつかお 「奇しくもこの1636年は、中国国内で起義軍の首領・高迎祥(こうげいしょう)が明の名将・洪承疇(こうしょうちゅう)に敗れて処刑され、李自成(りじせい)が反乱軍の新たな頭目となった時期でした。反乱軍・明・清の三国志状態です」

 

 ぜんざいねこへび 「ホンタイジはモンゴルから朝鮮半島に大軍を向け、南漢山城を囲んで朝鮮王・仁祖(インジョ)を降伏させ属国とした(丙子の乱)。明は切り札の洪承疇に大軍を託し、山海関の松山城に防衛ラインを敷くが、ホンタイジは羽柴秀吉の中国大返しのごとく、昼夜構わず6日で山海関に電撃移動し、軍備の整わぬ王朝軍を一気に撃破した」

 

 あんみつにひひ 「これが <山海関の戦い> ですね。降伏した洪承疇をホンタイジは厚遇し、服属した中国人将兵を <漢軍八旗> に編入します。これによって明王朝から清に鞍替えする将士が続出することになりました」

 

 ぜんざいねこへび 「西暦1643年、ホンタイジは52歳で歿した。半島攻めのとき天然痘に罹ったのと、無理を押しての連戦で体を悪くしたようだ。後継には34歳の長兄ホーゲがいたのだが、折り合いの悪いホンタイジの異母弟ドルゴンの方が有力者だったため、清軍の分裂を避けて6歳の末子・福臨(フリン)が新王となった。ドルゴンは <摂政王睿(えい)親王> を名乗り、事実上の清朝の主となっていく」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 

 東北部から興った女真民族は、ヌルハチ、ホンタイジの二代で満州・モンゴルに拡張する <清王朝> となりました。

 明王朝は内乱でいよいよ瓦解の時を迎え、反乱軍・明・清の三つ巴がついに交錯します。

 

 次回は、順治帝 紫禁城玉座につく のおはなし。

 

 

 それではごきげんようねこへびニコニコ